(本記事は、大野 裕之氏の著書『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』=大和書房、2022年11月4日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
笑いを求めた先のヒューマニズム
「笑いと涙とヒューマニズムの映画作家」と言われるチャールズ・チャップリン。しかし、その本質には、何度も撮影を繰り返し、徹底的に無駄をそぎ落として「笑い」を求めた完璧主義がありました。
チャップリンが修業を積んだイギリスの軽演劇ミュージック・ホールは、帝国主義を反映した人種差別的なギャグであふれていました。性的にきわどいネタもたくさんありました。しかし、チャップリンの代表作には、そのような要素は見当たりません。
ただし、NGフィルムの中には、意外なことに民族のステレオタイプをネタにしたギャグや、いわゆる下ネタも登場します。しかし、これはある意味当然のことで、今も昔もパッと思いつく笑いとは、他人を小馬鹿にするギャグや下ネタなわけです。
しかし、何度も撮り直すうちに、人種や性的な題材を扱ったギャグはカットされていきます。演技を繰り返すうちに、かつてユダヤ人地区でユダヤのネタをやってしまって失敗したことを思い出したのかもしれません。チャップリンは、世界中の人が心から笑えるユーモアだけを求めていたのです。
チャップリンは「笑いと涙とヒューマニズムの映画作家」であるとしばしば言われ、それゆえに「安全な笑い」を嫌って敬遠する向きもありました。しかし、チャップリンの「ヒューマニズム」は、頭でっかちに思いついたものではなく、あくまで笑いや芸にこだわって、撮り直しにつぐ撮り直しの末に体得されたものであることは強調しておきたいと思います。彼の映画の中の笑いと涙は、「安全な笑い」とは程遠い、世界中の人を笑わせたいという一人の芸人による、果てしない苦闘の賜物です。時代や国境を越えて響く彼の「メッセージ」も、磨き抜かれた身体芸に裏打ちされているからこそ、いまだ残酷なまでの強度と説得力を持つのです。
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