(本記事は、大野 裕之氏の著書『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』=大和書房、2022年11月4日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
コメディを形作る3要素
アメリカで映画俳優としてデビューを果たした若き日のチャールズ・チャップリン。その当時の彼が残した名言をご紹介しましょう。
チャップリンは、映画界にデビューした1914年だけで少なくとも36本の映画に出演し、その才能を開花させ始めます。当時彼が所属していた映画会社・キーストンとの契約が満期に近づいた時、監督のセネットは契約更新を求めてチャップリンに週給500ドルという破格の条件を提示しました。
しかし、チャップリンは、1000ドル以下は無理ですと答えます。セネットは驚き、「私だってそんなに貰っていないぞ」と言いますが、チャップリンはお客は誰を見に来ているんですか、と反論。セネットは、キーストンを辞めていったスターたちが、その後鳴かず飛ばずになっていることを指摘して、移籍を思いとどまらせようとしましたが、その時にチャップリンが言い放った言葉が、「僕は、公園と警官とかわい子ちゃんさえあれば、コメディを作れます」でした。(ちなみに、この言葉はアメリカで一番有名な「チャップリンの名言」です。)会社を替わろうとしたら、「干されるぞ」と脅しをかけてくる上司に対して、こんなセリフを自信満々に言ってのけるなんて痛快そのものですが、この発言にはチャップリンの本質が凝縮されています。
「公園」とは、世界中のどこにでもある場所です。「会社」や「学校」のように用途が決まっているわけではない、人と人が出会い集う、あるいは孤独にたたずむ、「ただの場所」です。「警官」とは権力の象徴、「かわい子ちゃん」とは庶民のあこがれや夢の象徴です。そして、矛盾だらけのコスチュームに身を包むチャーリーは放浪者にして紳士である、「誰でもない、どこにもいない、だからみんなが共感できる人物」です。
つまり、放浪者チャーリーは、あこがれのヒロインの夢を見ている。そんな彼の夢を権力は邪魔をしてくるけど、チャーリーはささやかに抵抗して逃げていく。「庶民・夢・権力」のシンプルな三角形をどこでもない「公園」に置いて、人間の感情や社会の矛盾をリアルに描き、笑いに変えたのです。そのシンプルさの中に、チャップリン映画に誰もが共感できる秘密の一端があると言えるのではないでしょうか。
個人的に言って、追っかけは嫌いだった。それは俳優の個性を消し去ってしまう。映画についてはほとんど知らなかったものの、個性に勝るものがないことだけはわかっていた。(『チャップリン自伝』中里京子訳、新潮文庫)
キーストンの監督たちとは、演技に対する考えの違いから対立し、一時は解雇寸前まで追い込まれます。その時、キーストンのニューヨーク本社から一通の電報が届きます。
―「チャップリン映画が大当たりしているから、至急もっと彼の作品をよこせ」。大衆は、それまで見たことのなかったチャーリーの個性に魅了され、彼は瞬く間にスター・コメディアンになったのでした。
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