M&Aコラム
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研究者のほとんどいない中小企業M&A。M&A業界のリーディングカンパニーである日本M&Aセンターに2010年に入社し、法務部長を務める横井伸さんが今春、一橋大学大学院法学研究科ビジネスロー専攻(通称、HBL)で中小企業M&Aの法務についての研究で博士号を取得しました。博士号取得までのエピソードや研究成果について伺いました。

仕事と両立しながら一橋大学大学院法学研究科ビジネスロー専攻へ

―中小企業M&A法務の研究での博士号取得、おめでとうございます!

横井さん:2021年4月より社会人向けの大学院である一橋大学大学院法学研究科ビジネスロー専攻の博士課程に籍を置いていました。博士課程の通学は基本的には週に一度だけです。水曜夜20時半からのゼミに修士の方と一緒に参加するほかは、教授陣や仲間とのディスカッションを通じて土日や休日に研究を進めて自分のペースで論文を仕上げていくので、仕事との両立は十分に可能です。

業界トップの会社の法務責任者として働く中で、わからないことだらけになってしまって、もう仕方ないから自分で研究しようと思ったのが入学のきっかけでした。HBLには、大手企業や大手証券会社などの法務担当者や責任者、弁護士事務所経営、現役の大学教授や中央官庁の幹部クラスの方など、若手からシニアまで多彩なバックグラウンドの人たちと極めて優秀な教授陣が揃っており、毎週水曜の夜は熱い議論が交わされていました。

私が最もお世話になったのは、指導教官であった得津晶教授です。先生はまさに天才(というか鬼才)でした。先生のご指摘はいつも会社法・金融法の先の先を見据えたもので、本当に勉強になりました。大抵、その場では先生のご指摘に的確な回答ができないのですが、家に持ち帰ってじっくり検討すると「あのご指摘はこういうことだったのか」「自分は表面しか見ていなかった」と自分の無学ぶりに反省することしきり…と言ったことを繰り返しました。そうして徐々に自分の論文の骨格や金融法・会社法の考え方を身に付けていった感じです。先生の丁寧で熱のこもったご指導により、考えられないくらいに充実した2年間でした。

一橋大学大学院HBLの魅力

―HBLではどんな生活でしたか。

初年度は、西村あさひ法律事務所の執行パートナーである中山龍太郎先生のゼミでした(2年目から、ここに得津先生と高井章光先生が加わられて中山・得津・高井ゼミになりました)。修士の方中心に20名ほどのクラスメートが、毎週順番に自らの論文テーマについて発表して議論します。1年目はコロナ禍の影響でオンライン中心でしたが、豊富な知識に裏付けられた中山先生のコメント力は非常に的確で素晴らしく、大変勉強になりました。また、初めてゼミに参加した時に、中山先生が書かれた法学研究の心構えに大変感銘を受けたのを覚えています。

2年目からは、週末・休日は朝から晩までほぼ論文一色の生活になりましたが、得津先生とのディスカッションが大変面白く、議論と修正を夢中で繰り返しているうちに着実に内容が進歩していったと思います。

もっとも、私は論文作成に全振りしていたので、途中でゼミ以外に全く単位を取得していないことに気付きました。そこで、2年目はいろいろな科目を取得しました。その講義科目がまた、大変素晴らしく充実していました。得津先生の「ベンチャー企業の法」や金原先生の「外国法特講1」など、どれも大変勉強になり面白かったのですが、M&Aつながりでは、岩倉正和先生の「M&A法務1・2」が印象深かったです。

岩倉先生は弁護士として日本のM&A法実務を切り開いて来られた正真正銘の第一人者で、法律事務所を移籍された時には「M&Aの軍師が移籍」と報道されたほどのレジェンドです。ここで聞ける最先端のお話の数々は他では代えが効かない貴重なものでした。

以上のように、HBLはゼミ・講義ともに非常にレベルが高く、大変な充実ぶりで、このレベルの講師陣が集結しているのは奇跡に近いと言えます。まさか会社から歩いて行けるほどの距離にある千代田キャンパスでこんなに素晴らしいコースが展開されているとは思いもしませんでした。修了した今でも、たまにもう一度戻りたいなあと感じています。

HBLは、今年から同窓会も結成されました。卒業後もゼミのクラスメートに当社に遊びに来ていただいたり、飲み会を開いたり、いい感じに発展しています。博士・修士に限らず、論文を完成させるために共に頭を悩ますというのは特別な経験なので、こうした経験を分かち合った仲間が職業や業界の垣根を超えて広がっていくことが、HBLのもう一つの面白さだと思っています。

学術論文で求められるのは新しい発見

―研究の過程で苦労されたことは。

私はもともと外国法に関心が強く、未上場の中小企業のM&A法に関して、実務で先行するアメリカ法との比較法を研究テーマにしていました。従って、論文内容も9割はアメリカ法に関する分析と考察です。そういう意味では、研究というよりも、翻訳家になったような2年間でした。

当初の頃は、M&A業界首位の会社で長年最先端の法律問題に関わってきた分、中小企業のM&Aの法務に関しては自分が一番詳しいという自負があり、それをひたすら詳しく書いていけば論文が完成するものと勘違いしていました。ですが、論文の要件は極めてシンプルで、その分野で誰も知らない発見を一つすること。業務のことはいくらでも詳しく書けるものの、世界で誰も知らないことを書くにはどうすればいいんだろうと、1年目は土日が来るたびに途方に暮れていました。

また、私は、経済学部の出身で、修士はロースクールでした。いままで一度も学術論文を書いた経験がありませんでしたので、研究や大学の勝手は全く分かりませんでした。そんな中、最低でも3年、平均5年程度かかり、非常に長丁場な研究が必要とされる博士課程において、2年という短期間で博士号の取得ができたのは、大変熱心にご指導いただいた先生方との出会いと、研究者のほとんどいない中小企業M&Aというブルーオーシャンな研究テーマによるものと思っています。

―研究はやり切ったという感じでしょうか。

それが面白いもので、深く研究すればするほどわからないことがまた出てきて、前よりもわからないことが増えてしまいました。

どんな業界でも発展の影に研究者の存在は必須ですが、中小企業M&Aにおいては研究者がほとんどいません。この分野はあまりにも研究者が足りないので、ライフワークとしての研究は続けるつもりです。また、これをきっかけにこの分野に興味を持ってくれる人が出てきて、さらに研究が進む足がかりとなればうれしく思います。

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急激に変化する環境に追いつくために試行錯誤を続けてきた

―話がさかのぼりますが、日本M&Aセンターに入社されるまでのことを教えてください。

先に述べた通り、私は経済学部の出身です。今回、日銀総裁になられた植田和男先生のゼミで国際金融論を勉強していました。学生時代はまったく法律に関心がなく、国家公務員試験も経済職で受験しています。その後、中央官庁でわずかな期間ですが仕事をする中で、法律を活用して世の中のために働くのは素敵だなと思い始めたんです。当時はちょうど制度の変わり目で、司法試験も旧試験の一発勝負型からロースクールによるプロセス重視の法曹養成に大きく移行していく時期でした。一念発起して仕事を辞めた後、法律の勉強を本格的にはじめ、ロースクール1期生として入学。2年で卒業して弁護士資格を取得し、法律の道に入りました。弁護士になるまではずいぶん回り道をして時間もかかっています。

その後は弁護士として全国を飛び回る中で、中小企業の後継者不在問題を目の当たりにしました。当時は「中小企業M&A」という言葉はほとんど聞いたことがありませんでしたが、間違いなく事業承継の支援は今後の日本に必要であり伸びる業界であると確信し、2010年に当社初の社内弁護士として入社を決めました。この頃は、同業他社はほとんど見当たらなくて、当社の東京本社もわずか40-50人くらいしかいませんでした。いざ入ってみると物凄い活気と熱気で、まさに今後急進していくベンチャー企業に当事者として飛び込んだわけです。

―入社後の状況はいかがでしたか。

当時は黎明期の中小企業M&A支援の小さなベンチャー企業でしたから、そこに「遂に社内弁護士が来た」と大変重宝されました。連結1,000人超の会社にまで大きく成長を遂げた今、現在の経営陣からレジェンドのアドバイザリーまで、みな当時はプレイヤーでしたから、日本全国一緒にかけ回って苦楽を共にしています。また、当社はこの業界のパイオニアでしたから、業界の人材供給源のような役割も果たしてきました。会社の枠組みを超えて、様々な中小M&Aアドバイザリーと面識が出来ました。

ただ、仕事は試行錯誤の連続でした。中小企業のM&Aはわからないことだらけで、調べようと思っても論文も何もなく、市販の実務書がすべてを網羅しているわけでもありませんでした。社内でも前例もマニュアルもなく誰も教えてはくれませんし、自分から働きかけないと何も始まらないので、案件に何件も入れてもらって少しずつ業務を整えていきました。当社が初の海外拠点を作る際には、自分で開拓したタイとカンボジアの法律事務所に自ら研修に行って実地で現地法の勉強をして人脈や知見を広げたりしました。

必ずしもすべてのものが用意されているわけではない中で、自分の頭をフル回転させて試行錯誤しながらこれまでやってきたような感じです。普通の会社のように、長くいればいるほどわかることが増えていくわけではありません。会社も取り巻く環境もすさまじいスピードで変化していますから、自分の成長速度が追い付いていないと引き離されてしまうわけです。感覚的には、仕事をすればするほどわからないことは増えていきますが、自分なりに考えて新しい分野を開拓していくのはものすごく楽しく、いつも一生懸命でした。入社してからの13年はあっという間に過ぎてしまい、気が付けば法務部も様々な専門家が集まった10名超の専門集団(東京・大阪)にまで成長しました。

その間、ご縁があった中央経済社様からは、「買い手の視点からみた中小企業M&AマニュアルQ&A」などの書籍を書かせていただいたり、法務部メンバーが順番に「月刊ビジネス法務」に約1年半の連載をもたせていただいたりする機会を頂戴しました。この時の連載をまとめてブラッシュアップさせた書籍「M&Aの視点からみた中小企業の株式・株主管理」も発売されました。

また、2021年からは早稲田大学商学部の看板講座である寄附講座「起業家養成講座1」でM&Aリスクの講義をしています。この講座は何百人もの学生が履修されており、チームに分かれて、ビジネスモデルを競い合います。実際の起業家も輩出しており、私も初年度は審査員を務めさせていただきました。未来のベンチャー起業家にM&A法務という切り口から関われるのは大変面白く、今後とも、様々な法務ナレッジの社会への還元に努めて参りたいと思っております。

―今後のご自身のビジョンと博士号を取得して変わったことを教えてください。

博士号は「足の裏の米粒」と言われることもありますが、私の場合は大きく変わりました。

神戸大学の産学連携事業(神戸大学大学院経営学研究科中小M&A研究センター:通称MAREC)に客員教授として関与させていただくことになり、神戸大学の経営学分野の研究者の皆様方と一緒に日本の中小企業M&A研究を創り上げていく仕事に取り組むようになりました。今後は東京と神戸と往復しながら、この分野の研究者を一人でも多く育てることが私の新たなミッションであると思っております。

また、中小企業M&A業界の自主規制機関である「M&A仲介協会」の事務局メンバーにも入りました。当協会は業界の標準ルールの設計や質の向上にとって必要不可欠で、会社の垣根を超えた業界各社との交流や意見交換に大変なやりがいと面白さを感じています。

業界全体の未来のあり方を考えることは、業界トップの会社の法務責任者に課せられた「特別な責任」だと思っています。私自身、わからないことは尽きませんが、自分なりに研究し続けていく予定ですし、業界に知見を還元し、信頼性やステータス向上に貢献していけるよう、尽力していきます。

プロフィール

横井 伸 法務部長/弁護士 博士(経営法)Ph.D.

愛知県出身。筑波大学付属高校、東京大学経済学部卒業。2006年明治大学法務研究科(法科大学院)修了。同年、司法試験合格。2007年弁護士登録(第二東京弁護士会)。2023年一橋大学大学院法学研究科ビジネスロー専攻博士課程修了。
ディール進行上のコンプライアンス・受託スキームの検討など法務全体の統括責任者を務めている。
主な著書に、「買い手の視点からみた中小企業M&AマニュアルQ&A(第2版)」(中央経済社)、「M&Aの視点からみた中小企業の株式・株主管理」(中央経済社)など。
神戸大学大学院経営学研究科 客員教授(2023年6月1日就任)。

著者

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M&A マガジン編集部
日本M&Aセンター
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