「れいわ現象」の正体
牧内 昇平
1981年3月13日生まれ。朝日新聞記者。2006年東京大学教育学部卒業。同年に朝日新聞に入社。経済部記者として電機・IT業界、財務省の担当を経て、労働問題の取材チームに加わる。主な取材分野は、過労・パワハラ・働く者のメンタルヘルス(心の健康)問題。共著に『ルポ 税金地獄』(文春新書)がある。過労死問題については、遺族や企業に取材を重ね、過労自死をテーマにした「追い詰められて」などの特集記事を数多く執筆し、それらを元に2019年3月に『過労死』(ポプラ社)を上梓。過労死の凄まじい実態をあぶりだしたとして話題になる。

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「生きててくれよ!」の魅力について

山本氏の演説についても感想を聞いてみた。

ーー山本氏の演説は、素朴な言葉で人びとの情念に訴えている点が人気を呼んでいるのだと思います。一方、「大衆をあおっている」との批判もあるようです。

「でもね。日本には左派ポピュリズムという政治的立場はこれまで台頭してこなかったのです。左派ポピュリズムが日本に根付くことは悪いことではないと、わたしは思います。実際に政権を担うだけの政策体系はなかったとしても、広く貧困の大衆の支持を集める政党ができれば、それで政策のバランスはとれます。こうした政党には十分存在意義がある」

ーーれいわに寄付した人を取材していて気づくのは、山本氏の演説に自己肯定感を与えられたと感じている人が多いことです。

「哲学者のジョン・ロールズが書いた『正義論』で一番のポイントは『自尊』(セルフリスペクト)です。これがすべての人に保障されるべき最も重要な基本財であると、ロールズは書いています。そのことを正面から言う政治家はあんまりいませんでしたよね」

ーーなぜでしょう?

「当たり前だと思っているのでしょうか。そのことを単なるお題目ではなくて人に納得させることは難しいですよね。もし低所得者の実感に合うような形で、セルフリスペクトを語りかけることができているのだとしたら、それは素晴らしいことだと思います」

ーーこれまでの政治家はそういう言い方をしてこなかったのでしょうか?

「言うとしたら『基本的人権』ですよね。すべての人には基本的人権があるのだから、生活保護の水準は引き上げねばならない。年金は確保しなければならない。普通は、人権概念という近代政治の枠組みの中で語ってきたわけです。これは正しいのですが、そういった言葉では通じない人びとがいるということです」

ーー少なくとも1980年代から日本の格差拡大は始まったと思います。昔はセルフリスペクトなどストレートに言わなくてもよい時代だった。現代はその土台さえ失った人が多数いる、ということではないでしょうか。

「全くその通りだと思います。セルフリスペクトを声高に叫ばなければならない時代になった、ということです」

このあたり、橋本氏の言っていることはとても分かりやすかった。わたしが支持者たちと会って感じていたことを、うまく言葉にしてもらった気がした。りっぱな政治家はほかの政党にもたくさんいるだろう。だが、残念ながら少し話が難しかった。学校の授業のようで、聴衆との距離が遠かった。そこに違和感がある人びとが、山本氏に親近感をいだいたのだろう。

貧困は自己責任じゃない!

いわゆる自己責任論についても橋本氏の考えを聞いた。

世の中にはいまだに「貧困=自己責任論」がはびこっている。貧しいのは本人の責任。努力しなかった本人が悪い。こんな考え方が広く行き渡ってしまった感がある。タチが悪いのは、「貧しい人びと自身がその考えに浸っている」という言説である。たしかに意識調査をすれば、貧困層にも自己責任論が広がっている。だが、新聞などのメディアがそれをそのまま報じてはいけない。「本人がそう思っているのなら仕方ない」となるからだ。貧困層が自己責任論に傾いてしまう「理由」を深掘りすべきである。

ーー世の中に貧困を自己責任とする考え方が広まっているようで、残念です。

「ものごとを選択する余地がある場合に限り、人びとは責任を問われるべきです。アンダークラスの人びとに自己責任論は成立しません。低賃金で不安定な仕事を社会的に強制されているのです」

ーーでも、生活が苦しい人たちの中にも、自己責任論を受け入れる人たちがいますよね。

「たしかに、自己責任論はアンダークラスの人びとにもある程度まで浸透しています。『貧乏な自分』という現実がある中で、自分は努力している、自分には能力があると思い続けるのは難しいことです。矛盾と葛藤を抱え込むことになるからです。しかし、自分は努力しなかったし能力がないんだからしかたがないと考えてしまえば、現実を静かに受け入れることが可能になります。そのように自分を納得させてしまう人びとが、アンダークラスの中に一定程度いるのは事実でしょう」

ーーアンダークラスの人びとがすすんで自己責任論に賛成しているわけではない。むしろ貧困の現状に折り合いをつけるため、「自己責任だ」と考えざるを得ない人びとがいる、ということですね。

「そうです。一方で、自分は努力している、自分には能力があると思い続けるなら、社会が間違っているという認識にたどり着く可能性が大きくなります。やはりセルフリスペクトが大切です」

エリートたちの自己責任論をいかに崩すか

れいわから話が少し離れるが、大事だと思うので書いておきたい。当然のことながら自己責任論は、貧困層よりも金持ち階級の方が信じている割合が高い。大企業のエリートサラリーマン、橋本氏が「新中間階級」と呼ぶ人びとにも深く浸透している。この層の人びとに自己責任論から脱却してもらうには、どんな言葉が必要なのか。

ーー新中間階級の人びとに自己責任論が広がっているのですか。

「新中間階級に自己責任論の傾向が強まっていったのは、ここ20年のことだと思います。わたしが関わっている調査によると、1995年まではかろうじて新中間階級はリベラルだった。不公平がこの世の中にあることをはっきり認識していた人が多くて、富裕層から貧しい人にお金を回す『所得再分配』にも割と好意的でした。ところが2005年からアレっという結果が出るようになりました」

ーーなぜ、2000年代から新中間階級に自己責任論者が増えてきたのでしょうか?

「戦後民主主義の成果と言えるのか分からないですが、これまでは弱者との連帯、弱者への共感という心性があったのかもしれません。そうしたものの見方が、高学歴な高所得者から急激に失われてきたと感じています」

ーーなぜ新中間階級で目立つのでしょうか?

「自己責任論には表と裏、プラスとマイナスのふたつの側面があります。プラスは『自分が恵まれているのは自分のおかげだ』、『自分が努力し、能力があったからだ』という側面です。これがマイナスにはたらくと、『自分が貧乏なのは自分のせいだ』となります。これは表裏一体の関係です。新中間階級はこれまで勉強や仕事で成功してきた人たちです。この人たちはまず、自身の成功をプラスの側面で考える。『自分の地位や財産は自分で築いたものだ』という見方です。そしてこの層の人びとは論理的にものを考えますから、いま世の中にある貧困についても同様の考え方をする。『貧しいのは本人の責任だ』。そうしておかないと論理整合性がとれないのです。こうして、強固な自己責任論が成り立ちます」

ーー論理を大事にする人びとに自己責任論から脱却し、貧困対策に積極的になってもらうには、どうすればいいですか?

「正義や倫理だけで多くの人が一斉に動くとは考えられない。わたしは『自分の利益にもなりますよ』と伝えることが必要だと思っています。いまは恵まれていても、子どもがアンダークラスに入る可能性は低くありません。大学を出てもいい仕事に就けるとは限りません。だとしたら、アンダークラスが生まれないような社会の方がいいし、仮にアンダークラスになったとしても、最低賃金で1500円もらえる社会の方がいいわけですよね。1500円だったら子どもがフリーターになってもそんなに絶望する必要はない。子どもだけでなく、いま新中間階級の人たち自身が老後に転落することもあり得ます。退職金は減っているし、年金の水準も下がっていきます。よほどの大企業に勤めている人のほかはアンダークラスに転落する可能性があります。いくらか貯金があっても大きな病気をしたら1千万円くらい簡単になくなるでしょう」

ーー新中間階級の人びともいつ生活が苦しくなるか分からない、ということですね。

「もう一つ言いたいのは、格差の大きい社会とは不健康な社会であるということです。貧困に直面している人びとだけでなく、それ以外の人びとにもさまざまな悪影響がある。格差の大きい社会ではストレスが高まり、病気になる確率が増える。追いつめられて犯罪をおかしてしまう人が増えるので、犯罪被害にあう確率も高まる。社会全体から連帯感が失われていき、助け合いによって問題解決する雰囲気がなくなります」

説得力のある言葉だった。貧困・格差はすべての人びとを息苦しくさせるのだ。社会全体で貧困・格差をなくす努力を続けねばならない。そのためにも声を大にして言いたい。自己責任論をふりかざすのは間違っている。これからも自己責任論・撲滅キャンペーンを張っていく。