矢野経済研究所
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ゼロコロナ政策への忍耐が限界だ。11月中旬以降、新型コロナウイルスの1日当り感染者数が連日最多を更新、ロックダウンは中国全土で2万か所に及んだ。そして、24日、新疆ウイグル自治区で火災が発生、10名の命が失われる。ニュースは「ロックダウンによって消防車の到着が遅れた」とのコメントとともにSNSで拡散、これが全土に波及した抗議デモの発端となる。

要求は都市封鎖の解除、移動制限の緩和から現指導部の退陣、言論の自由、民主化へと向かう。抗議行動は習近平国家主席の母校清華大学にも広がった。学生たちが掲げる白い紙は、“言いたいことを言えない社会” の象徴だ。
そして、29日、当局はデモを念頭に「敵対勢力による浸透・破壊工作に毅然として痛撃を与える」と声明した。国家安全維持法によって圧殺された香港の民主化運動、そして、1989年の天安門の悲劇が直ちに思い起こされる。

30日、混乱の最中、江沢民元国家主席が死去した。果たしてこのタイミングでの江氏の不在は事態に変化をもたらすか。確かに彼は現指導部にとって一定の “重石” であったかもしれない。しかし、民主化運動を “動乱” と断罪した鄧小平氏を引き継ぎ、今日まで続く統制社会への道筋をつけたのはまさにその江氏だ。その意味で現指導部も彼の正統な後継者であり、したがって、デモの要求を呑む形でのゼロコロナの放棄はあり得ないし、抗議行動への容赦もないだろう。

習氏は江氏の死去を受けて「悲しみを乗り越え、中華民族の復興のために団結、奮闘する」と述べた。政策や考え方を異にする者を “敵対勢力” とみなし、これを排除するための “団結” や “奮闘” が何を意味するのか、あえて指摘するまでもあるまい。とは言え、デモは必ずしも “民主化” に向けて一本化されているわけではない。隔離政策や行動制限が緩和され、日常が回復し、生活の安定に見通しがつけば総じて怒りは収束してゆく可能性が高い。問題はその時、取り残されるであろう “白い紙たち” だ。彼らの行方が心配だ。

今週の“ひらめき”視点 11.27 – 12.1
代表取締役社長 水越 孝