前編では映画を撮るプロセスについて私たちがまったく知らない世界を教えてくれたインバルさん。後編では、そんな彼女の創造性がどこから来るのか、その秘密に迫りたいと思います。
インバル・ホレシュ(Inbar Horesh)
マドリードとテルアビブを拠点に、映画監督、脚本家、講師として活躍。テルアビブのMinshar School of Artsでの卒業制作『THE VISIT』は第67回カンヌ国際映画祭シネフォンダシヨン部門でプレミア上映され、複数の国際賞を受賞し、イスラエル・アカデミー賞の最優秀短編映画賞にノミネートされる。中編ドキュメンタリー映画「CROSSING」、短編映画「BIRTH RIGHT」は、2020年パームスプリングス・ショートフェストのアカデミー賞予選で最優秀作品賞を受賞し、その他の賞にも選ばれている。また、2021年パリで開催されたシネフォンダシヨンカンヌ映画祭レジデンスに参加し、最優秀賞を受賞、さらにシネマート映画祭の開発支援コンペで2賞を獲得している。
ーーとても積極的に活動されるインバルさんですが、キャリアを通じて実現したいことはありますか?
インバル: イスラエルの観客に批判的な思考を促すような映画を作りたいですね。イスラエル人はイスラエル映画をあまり観に行かないし、政治的なイスラエル映画はイスラエルでほとんど上映されていないのが悲しいです。自国の観客に見てもらえるような政治的、批評的な映画を作ることは、私がぜひ達成したい目標です。
ーー日本でも、日本文化より欧米、特にアメリカ文化がもてはやされる傾向があるので共感できます。インバルさんにとって、良い映画とは何ですか?
インバル: 私にとっての良い映画とは、私を魅了し、完全に没頭させてくれる映画です。映画体験に完全に浸り、感じ、笑い、泣き、そして見終わった後、何日も、時には何年も、強いイメージやアイデアが心に残ることが好きなのです。つまり、私にとっての良い映画とは、観ている間は自分の人生を忘れさせてくれるが、映画が終わった後は自分の人生や世界について考えさせる映画なのです。
ーー あっという間に見終わって、なおかつその後余韻に浸れるとまるで夢を見ていたかのような気持ちになれます。その没頭を生む体験を創ることが創作活動の醍醐味とも言えますね。創作かつおうにおけるインスピレーションの源は何ですか?
インバル: 通常、私の人生でもっとも私を苦しめるものは、私が作品の中で探求したいと願っているものですね。
ーー僕自身もアーティストとして活動しているので、苦しみや痛みといった体験が創作のエネルギーになるというのは理解できます。インバルさんは今スペインに住んでいますが、異なる国での生活は、創作に影響を与えましたか?
インバル: もちろんです!まず、故郷の国を振り返ることで多くの視点が得られ、この視点が私の作品を支えていると思います。第二に、移民であること、そして居心地の良い場所を離れたことで、私の作品に新しい素材をたくさん与えてくれました。
ーー旅が多くの人の人生にインスピレーションを与えるのも、まさにそういった理由かもしれないですね。そしてアートにおける最大の困難のひとつ、不確実性にも繋がる話ですね。特に大きな予算がかかるプロジェクトでは、不確実性にどのように対処しているのでしょうか?
インバル: 私は、日々を生き延び、自分で選んだ旅を信じるようにしています。この不確実性の中で、もう少し安心できるような形で、自分自身とキャリアを確立していきたいと思っています。その間、私はヨガをし、その道を楽しむようにしています。
ーー心のバランスを保つ方法を持つというのは先行きが見えない世界を生きる上で必須ですね。アーティストとしてのキャリアを追求する上で、もっとも大切なことは何だと思いますか?
インバル: オーセンティシティ(芸術作品が本物または真実であること)です。このような不安定な職業では、常に売れ残ることを心配するあまり、成功につながりたいという誘惑があると思います。でも、一番大切なのは、常に誠実であり続けることです。そして、願わくば、私たち自身が、他の人々にとって十分に興味深い存在でありたいものです…。
ーー私たちは生活のあらゆる場面で、自分を偽ったり、損得感情で忖度をしたりと、100%真実・本物であることは少ないですよね。最後に読者の皆さんに何か伝えたいことはありますか?
インバル: 私のメッセージは、アーティストとして、常に自分の社会と国をより良くしようと努めているということです。私の作品には批判的な要素が含まれていますが、それはすべて愛の結果であり、イスラエルのより良い未来を作ろうとした結果です。関心は、盲目的な支援ではなく、継続的な改善への批判的な要求であるべきです。
インバルさんの話を聞くと、私たちが普段何気なく見ている映画の背景には、様々な感情、苦悩、プロセスが隠れていることに気付かされます。映画のビジネスとしての側面では起業家のような不屈の精神が求められる一方、アーティストとしての創造には非常に繊細で敏感な感性が求められます。映画がそんな双方の側面を持ち合わせた高度な表現ということがわかります。皆さんの映画の見方も少し変わったのでは?