本WEBマガジンでも過去に2回紹介した量子アルゴリズム設計プラットフォームを提供するClassiq Technologiesが、いよいよ日本にオフィスを開設する見通しだ。NirCEOに伺った最近のアップデートと日本市場進出の意味を紹介する。

Quantum Computing for Business (Q2B2022)での発表

去る7月13日、14日の2日間、ウエスティンホテル東京にてQ2B2022という国際会議が開催された。Q2BとはQuantum Computing for Businessの意味であり、単なる技術開発ではなく、ビジネスへの応用、実用化を見据えた量子コンピューティングのソフトウエア、ハードウエアの技術開発を進めるベンダーとそれを支えるVCが集まる国際会議である。

QCWAREというアメリカの量子コンピューティング企業が中心となって2017年から開催している会議で、2017年と2018年はマウンテンビュー、2019年はサンノゼ、2020年はコロナ禍のためバーチャル、2021年はサンタクララで再びリアルに戻り、今年、2022年は東京で開催された。QCWAREという一企業が業界の主要プレイヤーが集まって議論する場を組織し、毎年その会議を途切れずに続けるところは如何にもシリコンバレーらしいが、また、アメリカの以外で開催される最初の会議が日本というのも、量子コンピューティング分野での日本の位置づけを示唆しているように感じる。

会議には、IBM、D-Wave、PsiQuantum、富士通、慶応大学、東京工業大学、名古屋大学などの量子コンピューティング業界のリーダーに加えて、自動車や金融などの分野でのユーザ企業、政府、投資家が参加した。今回紹介する量子コンピューティングのスタートアップ、Classiq TechnologiesのCEO、Nir Minerbiもこの会議に参加し、二日目にプレゼンテーションを行った。彼の演題は”Accelerating the Journey towards Quantum Advantage”であり、このプレゼンの中で、Nirは日本オフィス開設の考えを明らかにしたのである。

Classiqプラットフォームの重要性

まずClassiqのプラットフォームについて振り返っておく。量子コンピューターは、IBMやグーグルなど世界の名だたる多国籍企業が開発にしのぎを削っている戦略技術であり、現時点では100量子ビット規模の量子計算ができる段階にまで達している。とは言え、100量子ビットで実現できるアルゴリズムは極めて限定的であり、しかも、そのためのソフトウエアを開発する(量子回路を設計する)ことも簡単ではない。

2021年1月の記事でも書いたが、量子アルゴリズムを開発するということは、現在のコンピュータが開発された初期に、コンピュータが理解できる機械語で直接プログラムを書いたようなものであると考えればよい。現在のプログラミングが容易なのは、人間の言葉に近い高級言語とそのプログラム開発環境が整備され、そのプログラムを機械語へ翻訳するコンパイラと呼ばれるシステムができたからこそ、である。

量子コンピュータにはまだこのような環境が整備されておらず、高度な知識を有する専門家のみが量子回路設計をすることができる。従って、製薬企業や金融機関など、量子コンピュータを使ってこんなことがやりたいというアイデアを持っている企業がいるとしても、彼らがそのための量子回路を設計することは簡単ではない。量子コンピュータのハードウエアの進歩は目覚ましいが、その能力を活かす量子ソフトウエアが開発できなければ“ただの箱”であることは、現在のコンピュータも量子コンピュータも変わりはない。ハードウエアとソフトウエアは車の両輪で進化する必要がある。

Classiqのプラットフォームは量子回路の設計を手助けするものだが、今回Nirは、彼らのプラットフォームが特定のハードウエアに依存するのではなく、IonQやColdQuantaなどのハードウエアやAWS、Azureなどのクラウドサービスなど、様々な量子コンピューティング環境をサポートするようになったことも発表したそうだ。これにより、ハード/ソフト両輪での量子コンピューティング開発が更に進むことになるだろう。国際特許も既に25取得しているという。

タルピオット人材が11名になった

Classiq Technologiesは、2年半前の2020年4月にNir Minerbi、Amir Neveh、Yehuda Navehの3名により共同創業されたとても若い企業であるが、既に2度、総額で約$64Mの資金調達を行っている。筆者がこの企業に注目したのは、創業者のNirとAmirがともにイスラエル国防軍 (IDF)のエリート教育プログラム、タルピオットの卒業生であるためだ。タルピオットプログラムの詳細については拙著『世界のエリートはなぜ「イスラエル」に注目するのか』を参照頂きたいが、少数の才能ある若者が選抜されて3年間厳しい教育を受け、プログラム卒業後は兵役として6年間IDFで先端技術開発に従事する。

世界のエリートはなぜ「イスラエル」に注目するのか

新井 均 (著)

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兵役を終えた人材の多くは、その技術力と経験とを活かしてハイテクベンチャーを起業する。自ら起業しない場合でも、有望なイスラエルのスタートアップには何らかの形でこのタルピオット卒業生が関わっているという。いわば、次々にイノベーションを生み出す“スタートアップ大国イスラエル”の名実ともに核となる人材を育成しているプログラムなのである。

この2年半で、Classiqの社員数も55名となったそうだ。そのうち11名は、なんとタルピオットの卒業生なのである。マイクロソフトやグーグルでもタルピオット人材は数名ということなので、1社に11名も集まっているのは大変めずらしいケースであると言えよう。何故これだけエリート人材が集まるのか?Nirによれば、Classiqが「将来を感じさせる技術」を開発しているからに他ならない。

7月25日のisrael21というメディアに、”Israel building leading-edge Quantum Computing Center“という記事が掲載された。イスラエルにはイノベーションエコシステムの核になっているThe Israel Innovation Authority (IIA) という政府組織があるが、彼らが量子コンピューティングセンターをテルアビブに作ることを発表したのである。そして、このセンターに技術を提供する企業の中に、Classiqも選ばれた。

医療分野や農業分野であってもイスラエルで生まれるイノベーションの核となっているのはソフトウエア技術であることが多い。従って、最先端の量子コンピューターをイスラエルが保有するということは、そのエコシステムの中に「イノベーションを生み出すための最先端の武器」が組み込まれることに他ならない。そこにClassiqの技術が使われるのである。

自分たちの開発成果がイスラエル全体の今後のイノベーションを支える基盤となるとすれば、エリート技術者たちにとっては魅力的な活躍の場、であることは間違いないだろう。

日本市場の意義

Nirによれば今年ないし年明けには日本オフィスをオープンしたいそうだ。彼らには既に日本企業のパートナーや投資家がいるだけではなく、日本企業の顧客も多い。従って、顧客へのサポートを強化し、更にパートナーと共に新たなビジネスチャンスを作り出すためにも日本での拠点作りはClassiqにとって重要なのである。既に、オフィス開設のための人材を一人日本で採用したそうだ。

量子コンピュータの実用化に向けた研究開発は、アメリカと中国が一歩先を進んでいるのは事実である。しかし、ハードウエアだけでもソフトウエアだけでも駄目で、両方の開発ができるからこそ、IBMやアリババは量子クラウドサービスを提供できている。幸い、日本の大学、研究機関での量子コンピュータ研究の歴史は古く、富士通やNECのような大手企業も開発競争に参画している。また、光や半導体などの要素技術にも強みがある。

経済安全保障の要である超LSIが日本のウエハや製造装置がなければ作れないように、量子コンピュータにも日本の精密部品や要素技術が必須となるはずだ。Classiqのようなイスラエル企業と日本企業が連携して、具体的ニーズのある日本市場で技術を育ててゆくことは、間違いなく国益につながる。今後の展開に期待したい。