アメリカを代表するポップアートの旗手、アンディ・ウォーホル(1928-1987)。先日のクリスティーズオークションではマリリン・モンローのポートレート作品が過去最高額を更新。動画配信サービスNETFLIXではドキュメンタリーシリーズ『The Andy Warhol Diaries』が放送されるなど、ウォーホルのリバイバルに拍車がかかっている。なぜ今、ウォーホルなのだろうか?長い美術史の歴史において重要な人物であるウォーホルがどのようにしてアート界を変えたのか。そしてウォーホルと現代との4つの共通点を見ていこう。
ウォーホルがアート界にもたらした3つの変化
1:日用品をアートへと昇華
1949年、ウォーホルは出身地であるピッツバーグからニューヨークへと移る。そこで商業デザイナー/イラストレーターとしてキャリアをスタートさせ、1960年にファインアートの世界に参入した。ポップアートのテーマは、1950年代以降の豊かになった人々の生活を構成する大量生産や大量消費社会、大衆文化など。ウォーホルは、戦後社会の文化を表す日常的にありふれたモノや大衆から人気を集めたセレブリティーたちに対して芸術的なアプローチをとり、アート作品へと変身させたのだ。
その代表的な作品に挙げられるのが、ブリロ・ボックス(アメリカの食器洗いパッドの箱)やキャンベル・スープ、マリリン・モンローの作品である。時代に添いつつも独自性のある解釈でアートの世界に新しい風を吹き込み、ウォーホルはポップアート運動興隆の最重要人物となった。
出典:https://www.khanacademy.org/
2:絵画とシルクスクリーン
ウォーホルを語る上で欠かせないのが、版画技法の「シルクスクリーン」である。従来の作品は“一点物”であることに価値を見出していたのに対し、ウォーホルはシルクスクリーンで“量産する”という正反対の方向で制作。また、その素材にアクリル絵の具、支持体としてキャンバスを選び、絵画と版画(手仕事と複製)を組み合わせ、作品としての新しい価値も創出した。
有名なウォーホルの言葉に「アンディ・ウォーホルについて知りたいのなら、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、私はそこにいます。裏側には何もありません」というものがある。作品に内面性を込めるのを放棄し、常に表面的であり続け、アメリカの商業主義における大量消費、大量生産社会がもたらす空虚さや軽薄さをシルクスクリーンで量産された作品に落とし込んだのだ。
出典:https://1960sdaysofrage.wordpress.com/
3:アーティストの概念を変えた
シルクスクリーンと同じく、1964年に構えたウォーホルのスタジオ「ファクトリー」での制作も重要なポイントだ。そこでは着想から作品の仕上げまで全ての作業をウォーホル一人で行うのではなく、ウォーホルの指示のもと、アート・ワーカーと呼ばれるスタッフたちと共同作業で作品を制作していた。つまり、実際に作業をするのがアーティストでなくても、最終的に完成される作品とアーティストを「概念的」に繋げることにより、アーティストを「デザイナー」として捉え、アーティストであることの定義を変えたのである。
出典:https://www.gildensarts.com/
ウォーホルと現代の4つの共通点
1:戦争と死
1962年のある日、ウォーホルはキュレーターのヘンリー・ゲルドザーラーに、よりシリアスなテーマを扱うことを提案される。ウォーホルが本格的に「死」に向き合うようになったのは、同年、急死したマリリン・モンローに影響されてからだ。そして、後にウォーホルのキャリアのなかでも最もパワフルな作品シリーズである「Death and Disaster(死と惨事)」が生まれる。それは、ウォーホルが日頃から集めていた新聞や雑誌、タブロイド誌などのメディアにあった事故や自殺、災害、死刑執行の際に使用される電気椅子、暴動、核爆発などの写真を流用してシルクスクリーンで制作するというものだった。
1955年からアメリカとソ連の代理戦争といわれるベトナム戦争が続き、メディアは凄惨な戦争のシーンを繰り返し取り上げた。1960年代初頭は現代と同じくロシアの緊張が高まっていた時でもある。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが毎日繰り返し流れる昨今において、ウォーホルが同じイメージの反復で表現した「死と惨事」シリーズに現代と結びつきを意識せざるをえない。
2:ウイルス
2020年、ニューヨークは世界的にも新型コロナウイルスの脅威に強くさらされたスポットだ。人が消え、がらんとした街並みが連日ニュースで放送されたのは記憶に新しい。ウォーホルが時代を築き上げた街ニューヨークは、1970年代後半から80年代にかけてエイズが大流行した場所でもある。ウォーホルも多くの友人と晩年の恋人であったジョン・グールドをエイズで亡くしている。当時のメディアは、不道徳で放蕩な行動に値する病気としてエイズのことを表現し、ゲイコミュニティーをターゲットに恐怖心をあおっていた。メディアによる過剰な報道に、目に見えないウイルスと共生せざるをえない現代とまさしく重なるではないのだろうか。
ウォーホルは晩年、1985年から1986年にかけてレオナルド・ダ・ヴィンチの「The Last Supper(最後の晩餐)」シリーズを制作するなど、宗教的なテーマが目立った。ビザンチン・カトリックを信仰していたウォーホルは、自身の信仰心と同性愛者という性的指向に揺れ動きながらそのキャリアを全うした。しかし、このシリーズはウォーホルが直面したエイズ危機をうけて制作されたものなのかははっきりと明言されていない。
3:LGBTQ
近年、ようやくLGBTQコミュニティーに対する理解が深まりを見せているが、同性愛者であったウォーホルが活躍していた時代は、当然今ほどの理解はなかった。後にLGBTQ当事者らの権利獲得運動の転換点ともされる「ストーンウォール暴動」が1969年ニューヨークが起こる。そして1970年代に入ると、アメリカは自由主義的な考え方に移行し、ウォーホルも出入りしていた伝説のナイトクラブ「スタジオ54」の全盛期を迎え、同性愛者たちやドラァグコミュニティーは自身のセクシャリティーを大胆に表現するように。
当時の時代の空気に触発されたウォーホルは、10枚組のポートレート作品《Ladies and Gentlemen》を制作した。これは、どのポートレートも被写体の性別が曖昧なままで、ニューヨークのゲイシーンを讃えている。偉大なるアーティストとして愛されるウォーホルは、同時にクィア・アイコンとして今を生きる若い世代のLGBTQコミュニティーを啓発する存在でもあるのだ。
出典:https://www.dailyartmagazine.com/
4:15分間の名声
1968年のウォーホルの名言に「In the future, everyone will be world-famous for 15 minutes.(将来、人は誰でもその生涯で15分間世界的に有名になれる)」というものがある。この「15分間の名声」は、大袈裟ではなく誰もが実現可能な時代にある。例えば、リアリティ番組出演から世界的なセレブリティとなったキム・カーダシアンに始まり、国内で屈指の人気を誇るYouTuberのHIKAKINなど。テレビ、Instagram、TikTok、TwitterやYouTubeなどのメディアによって、一般人が名声を得る時代の到来をウォーホルは予言していたのである。
革新的なアートで価値観を刷新してきたアンディ・ウォーホル。カリスマ性のあるその人物像に人々は魅了され続け、ウォーホルの死後早くも35年が経った2022年。ウォーホルがもし生きていたのなら、今のこの時代をどう見て、どんな作品をつくったのだろうか。表面的で風刺的であることは間違いないだろう。
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現在、アンディ・ウォーホルの作品は全8作品を取り扱い中。ウォーホル以外にも奈良美智やバンクシー、KAWSなどの人気アーティストを取り扱っていますので是非ご覧ください。
文:ANDART編集部
参考
・Five reasons Andy Warhol is so popular right now
・5 Ways Andy Warhol Changed the Art World
・Andy Warhol, the Death and Disaster Series and Prestige
・Warhol’s Confession: Love, Faith, and AIDs
・Death and Disasters: Appropriating and Manipulating News Imagery