最高の組織──全員の才能を極大化する
大賀 康史 (おおが・やすし)
株式会社フライヤー 代表取締役。2001年早稲田大学理工学部機械工学科卒業、2003年早稲田大学大学院理工学研究科機械工学専攻修了。2003年にアクセンチュア(株)製造流通業本部に入社。同戦略グループに転属後、フロンティア・マネジメント(株)を経て、2013年6月に株式会社フライヤーを設立。1冊10分で読める本の要約サービス「flier」を運営し、ビジネス書を中心にビジネスパーソンが今読むべき本をウェブ、アプリにて要約形式で紹介。効率よくビジネスのヒントやスキル、教養を身につけたいビジネスパーソンが利用しているほか、社員教育の一環として法人契約する企業も増えている。2019年10月に会員数45万人を突破。共著に『7人のトップ起業家と28冊のビジネス名著に学ぶ起業の教科書』(ソシム)『ターンアラウンド・マネージャーの実務』(商事法務)がある。2019年3月に『最高の組織ーー全員の才能を極大化する』(自由国民社)を出版。

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人は勤務時間が長い方が育つのか、短い方が育つのか

結論は簡単だ。短い方が良い。平均8時間も働けば十分である。ここでは1 つの仕事で長時間労働すべきでない理由を述べる。

短時間の方が業務の生産性やアウトプットに集中できる

今と時代が違っていたこともあるが、私は新入社員のころ、「新人は寝ないのがバリュー」と言われて、朝の3 時から4 時頃まで毎日働いていた。それとともに、自分のその時の能力で 〝そのときの〞仕事で最大限パフォームするのは、どのくらい働いたときなのかを試行していた。私のケースだと、朝4 時まで働いてしまうと、月曜日から曜日が進むにつれ脳が効率的に動かないようになっていくので、生産性もアウトプットの全体量も悪化することがわかった。もっと短い時間で済ますことが最適なように思えた。

少し時間が経って、毎日24時前後まで働くことで価値が発揮できるようになった時に、プロジェクトの事情で全員21時までに帰りなさい、と言われたことがあった。生意気だった私は、「マネジメントが変わらないのに、そんな短時間で仕事が終わるわけないじゃないですか。」というようなことを言っていた。しかし、結果は違った。21時までにしたところで、何も変わらないどころか、アウトプットが良くなったのである。

そのからくりはこうである。時間の制約があることから、仕事の集中力が劇的に改善した。そして、21時までに仕事が終わるように、プロジェクトの全員が工夫するようになり、またミスも減って無駄なことがなくなった。さらに仕事の見積りがより正確になり、プロジェクトメンバーが有機的に連携できるようになった。

長く働いても良い、あるいは働く時間に制限がないと、多くの人は目の前の仕事を順に盲目的に仕事をするようになってしまう習性があるのだ。これが効率の悪い仕事が生まれる構造である。長時間労働だと業務の生産性やアウトプットよりも頑張り自体に満足してしまう。結果として仕事の生産性が大幅に下がってしまう。しかし、時間が短く定まっていれば、いかに効率的に仕事をするかに集中でき、おのずと思考プロセスが促進される。

労働時間が短い方が高い集中力で仕事に取り組める

本当に高い集中を発揮できる時間は一日に8 時間もないと思っている。集中の度合いにもよるが、6 時間程度ではないだろうか。これからの世の中では多くの定型業務は自動化されていくだろうから、一日8 時間働くということ自体、数十年後には少数派になっているような気さえする。集中力を研ぎ澄まして、ゾーン状態、フロー状態とも言えるような状態になることを自分でコントロールできれば、その間の仕事の生産性は何倍にもなるだろう。

自分の成長や仕事の成果のために重要なのは、時間の長さではなく集中力である。それもすこしの違いではなく、集中力の重要性の方がはるかに高い。行う業務の種類にもよるだろうが、多くの業務では集中力次第で生産性に1/3 〜3 倍の開きが出るものだ。集中力が最大限に発揮される仕事をアレンジすることに、トップは集中をするべきだろう。

自分をストレッチするための刺激が得られる

脳が活性化している瞬間はどのようなときだろうか。経済学者シュンペーターはイノベーションを新結合とあらわしていた。つまり、ヒラメキは多くの知の組み合わせから導き出されるということである。

さらに、イノベーションのためには、知の深化と知の探索が求められるという。知の深化は1つのことに深く向き合うことでなされると思うが、知の探索は同じ環境で長時間過ごしているよりも違う環境の人や新しい知に触れた時になされるものだ。

学術的なことを踏まえるまでもなく、新しいことに触れたときに思考が活性化する経験は誰にでもあるのではないだろうか。自分をストレッチする機会を効果的に生み出すためには、業務時間内外で様々な人に会ったり、違った環境に自分の身を置くと効果的だ。いつ業務が終わるかわからないような長時間労働下だと、そのような機会を作ること自体が難しい。刺激を得る時間を確保できた方が、効率的に自分を高められる。

複業や育児などの選択肢が広がる

オープンイノベーションという言葉が語られるようになってから、10年は過ぎただろうか。今では日本でもほとんどの大企業が自社のリソースだけでイノベーションを起こすことに限界を感じ、国内外のスタートアップや専門家にイノベーションの実現をゆだねるようになっている。

もちろん社外の叡智をどん欲に吸収することは有効である。しかし、もっと有効なイノベーション推進の方法がある。それは、社内の人材を解放し、積極的に社外の組織に組み込んでもらう、という方法である。つまり、副業あるいは複業の促進をすることである。複業には、送り出す側の会社にとってもメリットが大きい。

複業を行う側の視点では、ただ副収入を得ることだけを目的にしてはいけない。新しい環境で刺激を得て、自分の能力やスキルをアップデートしよう、という動機か、純粋に自分が心からやりたいことを複業という形で仕事にする、というものにする。

どちらかを満たしていれば、きっとその新しい環境下での仕事はその人を大いに成長させてくれる。興味もあり、自分の目的にも合致しているのである。満たされないと感じている仕事だけをしているときよりも、集中力が格段に上がる。

複業を促す前提として、仕事の時間を定時で区切るようにすべきである。終業時間が全く読めないと、生活がばたばたして、複業により体を壊すことになりかねない。送り出し側は今の仕事に過剰な負荷をかけないようにするべきである。そのような環境を整備した上で、どんどん人材を外と交流できるようにしたい。

また、複業ではなく、その時間を使って子育ての時間を確保するということでもいいだろう。子育てに集中してみると、大人と子供が本質的に大きくは変わらないことや、大人がいかに不完全であり、自分勝手であり、外から心の中がわかりにくいものかが理解できる。結局仕事は一人では完結しない。人への理解を深める努力を継続することにより、自分の仕事の質を改善することにもつながるだろう。

そのため、複業であれ、子育てであれ、趣味であれ、会社側は最大限にそれを応援できるようにして、精いっぱい成長の機会をつかんでもらうようにしたい。業績改善という経済的な目的に対しても、長期的な視野で真理を突き詰めていくと、一見非合理的に見える複業の解禁は実は合理的なのである。

やりがいがあれば報酬は少なくても良いのか?

メンバーにとって、自分の生きる目的に沿っていて、働きやすい環境があって、成長しやすい場が提供されたとする。その場合、他社よりも給与が低くても良いのだろうか。

もちろんそうではない。給与や賞与などのインセンティブを長期的に抑制することは結果としてマイナスに作用する。やりがい搾取は持続できない。適切な報酬は、その人が生きていく上で必要なものだからだ。人のモチベーションを高く維持するためには、理想的な環境と適切なインセンティブのどちらも不可欠である。

例えば、その人に家族がいたとしよう。子供がいれば、その子供の可能性を最大限に伸ばすため、最高の環境を与えたいと思うだろう。お金のかからないものもあるが、多くはお金が必要になる。記念日に誰かに感謝の気持ちを届けたいこともあるだろう。これも多くのケースではお金がかかる。おしゃれを楽しみたいと思うこともある。これだってお金がかかる。気分転換においしいものが食べたい……挙げ始めるときりがない。

ミレニアル世代は物欲が強くないと言われている。当然人それぞれではあるし、例え物欲があまりない場合でも体験には他の世代以上に重きをおいている。体験だってお金の制約が少なくなれば、もっと可能性が広がっていくに違いない。

ほとんどの人は、人生の一定の局面でお金が必要になるものである。会社のメンバーに我慢をずっと強いることができるだろうか。そして、それを会社が強いているのだとしたら、メンバーは心からハッピーなのだろうか。

「生きていくには金も夢も必要だ。」ドラマ「半沢直樹」の名シーンの言葉だ。きれいごとだけでは世の中は成り立っていない。これが現実だろう。

一方で、不当とも言える高すぎる報酬を払うことはメンバーにとっても良くない。他の会社で得られるだろう金額を大きく超える報酬は、他の会社に転職するオプションを狭めるばかりか、既得権益の権利主張が強くなっていってしまう。その人が他社で得られるだろう報酬水準を常に意識して、それと同等の金額を支払うことが本当は妥当だろう。ちなみに会社を経営する立場としては、他社よりも少しでも多く設定したいとは考えている。

少し話が変わる。社員が他の会社から転職の誘いがあり、もっと給料がもらえるから転職したいという話があったら、どうふるまうべきだろうか。圧力をかけて抑止するのはもっての他だが、ありがちで最悪な手法は、引き留め工作をして直ちに給与を増額することだろう。全員が知っていなかったとしても、誰がいくらもらっているかは、社員の他の誰かは知っているものだ。さらにこの手の話はあっという間に広まってしまう傾向がある。給与を上げた理由が転職をほのめかしたことだとしたら、全員に不信感が出るし、場合によっては同じことをしようとする人まで出てくるかもしれない。さらに、もし給与水準が本当に低いのであれば、それまで会社がその人から搾取していたことを自ら立証するようなものである。

その他の慰留工作としては、本人がやりたいと言っていた部署に異動させることもよく聞く。本人は嬉しいかもしれない。ただ、他の人へのマイナスの影響を考えると、これも得策ではないように思う。異動後に長く会社に残るケースよりも、数年後にやっぱり会社を辞めるケースの方が多いと感じている。

相手の立場で考えて、転職が最善の選択なのだとしたら、もうその会社に引き留めることは止めた方が良い。その会社はその人にとって最善の選択ではなくなっているのだから、今さらじたばたしてもしょうがないのである。今後の引継ぎがうまくできるように、アレンジすることに注力した方がずっと生産的だ。

なお、報酬を市場の評価と同等にすべきかどうかは、短期的にはくずれても良いように思う。今期を耐えれば来期は改善するケースや、スタートアップなどで会社が上場すれば多くの報酬が見込めるようなケースである(一般的に創業から上場までは7 年から10年以上の期間がかかることが多いことには留意が必要)。

逆に採用時にやりたいことができるなら報酬は気にしません! と言う人もいる。これはこれで素晴らしいことなのだが、現時点の話がずっと続くと思ってはいけない。どこかで人生のステージが変わりお金が必要になるかもしれない。また、今は気にしない、ということであって、長期的には報いられたい、と思っているかもしれない。人によっては、成長した後に給料の高いところに転職しようと思っている場合もありえる。

今の仕事が人生の目的に沿っている場合でも、適切な報酬が中長期的には必要だと心得ておくべきだ。

会社の業績と報酬のトレードオフをどう考えるべきか?

利益は会社にとって空気のようなものである。多額の資金を調達して、成長を最優先にして思いっきり赤字を掘り下げても構わない上場直前のスタートアップであれば別だが、一般的には利益は運営を継続するための必要条件である。それも適切な水準の利益を創出できるビジネスモデルを持っていることが前提となる。

そこで考えなければならないのが、報酬の水準によっては、会社の利益を毀損してしまうのではないか、ということである。メンバーの報酬を市場価値に見合うように適切に設定した場合と、少なく設定した場合では、当然ながら会社の利益が変化する。少なくとも該当の期では、報酬が多い方が会社の利益は減少する可能性が高い。

しかし、これも長期的にはそう運ばないことは想像に難くない。優秀でやる気にあふれる人材が長く活躍できる環境を整えることほど、会社の長期的な業績にインパクトのあることはない。だから、業績へのプレッシャーが強くとも、過度に支給水準を抑制することは避けなければならない。

なお、進化型組織では給料ですら自分で決めるところもある。そのような組織では、もはや給料を決めることは会社側の仕事ではない。その代わり、どの水準の給与が適切なのかを共有できるように、財務的な知識や長期的な経営について丁寧な説明と育成が必要になる。