最高の組織──全員の才能を極大化する
大賀 康史 (おおが・やすし)
株式会社フライヤー 代表取締役。2001年早稲田大学理工学部機械工学科卒業、2003年早稲田大学大学院理工学研究科機械工学専攻修了。2003年にアクセンチュア(株)製造流通業本部に入社。同戦略グループに転属後、フロンティア・マネジメント(株)を経て、2013年6月に株式会社フライヤーを設立。1冊10分で読める本の要約サービス「flier」を運営し、ビジネス書を中心にビジネスパーソンが今読むべき本をウェブ、アプリにて要約形式で紹介。効率よくビジネスのヒントやスキル、教養を身につけたいビジネスパーソンが利用しているほか、社員教育の一環として法人契約する企業も増えている。2019年10月に会員数45万人を突破。共著に『7人のトップ起業家と28冊のビジネス名著に学ぶ起業の教科書』(ソシム)『ターンアラウンド・マネージャーの実務』(商事法務)がある。2019年3月に『最高の組織ーー全員の才能を極大化する』(自由国民社)を出版。

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才能のある人がなぜ会社に所属するのか

会社という言葉からどのようなイメージが浮かぶだろうか。会社になぜ多くの人が集まる合理性があるのだろうか。

会社経営者側、採用側の都合はわかりやすい。事業を進めていく上で、幅や規模が広がっていくと、どうしてもより多くの人が必要になるという理由で採用を進めるケースが多い。サービスを改善することでも人が必要になることがあるし、サービスを広げていく際にも同様である。また、事業を維持するだけでも、退職する人をカバーしなければいけないので、採用を行っている会社は多い。

一方で、個人はなぜ会社に所属するという判断をしているのだろう。「安定した収入が必要」「社会人としては会社に所属するのが当たり前だと思っていた」「フリーランスも魅力があるが、一人で経済的に自立するのは不安」など様々な理由があるだろう。これらは本人の理由としては一見正しいのだが、突き詰めて考えれば絶対的に正しい理由付けではない。

まず、「安定した収入」は正社員にならなくても可能である。正社員になって安心していると結果として不安定にもなりえる。正社員でも会社の業績や自分のパフォーマンスによっては、会社から必要とされなくなる可能性もある。そもそも会社の平均寿命が長かったのは、高度経済成長期くらいのもので、それでも今の1 人のビジネスパーソンの平均的な勤続年数に比べると短い。つまり、職業人生を絶対に全うできる会社を見つけることは、難易度が高く、ほとんど不可能だと思ってしまった方が良い。

会社に所属するのが当たり前だったのは、昭和の半ばから平成の時代までで、これからはもっと自由に働く場を選べるようになっていくだろう。さらに、自立することは初めは大変ではあるだろうが、ひとたび軌道にのれば、特定の会社の業績に依存しない、誰にも依存しない究極の安定が手に入る。自分という個人が人から求められるようになることこそが、究極のジョブセキュリティなのである。

このように考えれば、自分に自信があり努力ができる人にとって、会社に所属する必然性はない。ただ、それでも会社あるいは集団に所属することが良い場合もある。会社に所属することが合理的な理由を挙げてみる。

  • 自分ひとりで行っているよりも、その会社のメンバーと密に協業した方が社会に対して意義の大きいことができる。
  • 一人だと続かない、あるいは楽しくない仕事でも、長期にわたって信頼できるメンバーと仕事ができることで、幸福感につながる。
  • 自分の状況に応じて、働き方の度合いをゆるやかにコントロールできる。例えば、子育てや親の介護に時間を使いたいときは、会社に所属している方がうまく時間をアレンジしやすい。

このような応募者の背景を理解した上で、採用に取り組まなければならない。一流の人材はあらゆる企業から引っ張りだこである。漫然と企業側の都合で採用活動をしていては、一流の人材に参画してもらうことは難しい。

人材採用が最重要の意思決定であることは前述のとおりである。自律的で主体性の高い組織ではメンバー自体が重要であることは言うまでもない。人材採用には、できる限りのリソースを割くべきである。

人材の採用基準

では人材採用をどのような基準で判断するべきなのだろうか。

私がフライヤーを創業後、採用活動を重ねてたどり着いた結論は次のようなものだ。また、これはスタートアップだけに当てはまるのではなく、多くの組織に適用できる真理だと感じている。

① カルチャーフィット > ② ポテンシャル >> ③ スキル

カルチャーフィットを最重要の項目ととらえ、次にポテンシャルと考え、スキルは劣後とみている。

なぜこれが成り立つのかを伝えるには、よくある採用の失敗事例を伝えることが良いように思う。いまだに学歴や前職の会社名だけで採用を判断している人はいないと思っているので、そのような例には言及しない。カルチャーフィットがよくないと、何が起こるのかを例示したい。例えば優秀だと思って採用した人が、入社後すぐに問題を起こすケースである。

例えば、スキル面を最も重視して採用した人がいたとする。しかしいざ入社してみると、その人は周りのメンバーに過剰な負荷をかけたりネガティブな影響を与えることで、次々とチームメンバーを辞めさせてしまった、あるいはモチベーションを下げていってしまった。当然の結果として、チームに1 人加わったが、周りの3 人が機能しなくなってしまい、チーム力は減退する。そしてまた採用が必要となり、新たな採用コストが必要となる。その問題の人がいる限り、きっと新たにそのチームに加わるメンバーもいきいきと働くことができない。このようなケースは多くの組織で見られるが、そのような問題が発生した理由は、採用時にカルチャーフィットを重視しなかったからだ。その結果として採用がチームにとってマイナスになってしまっている。

次はカルチャーフィットとスキルがあるが、ポテンシャルがない、というケースである。ポテンシャルというと漠然としているが、何か新しいことに取り組んだ時にすぐにその勘所をつかみ、数カ月もすると専門家のようにふるまえる、という能力だと定義する。

ポテンシャルの構成要素は人によって違っているし、職種によっても違っているだろうが、一般的には、新しいことへの好奇心、ポジティブな感情の強さ、地頭の良さ、成果を出す習慣が身についているかどうか、などから成り立っているように思う。

このカルチャーフィットとスキルがあるが、ポテンシャルがない、という人のケースではカルチャーフィットは満たされているので、その人が加入することがマイナスになることはほとんどない。しかし、サービスが変化し、採用時に重視したスキルが通用しなくなったときには、その人材が力を発揮することが難しくなるだろう。現代の事業環境では、同じことをずっとしていられる会社はむしろ心配すべき状態で、多くは衰退期に入っていることだろう。成長企業であれば、やるべきことが短いサイクルで変わることになり、スキル以上にポテンシャルが重要となってくる。どんどん新しい領域にチャレンジをして、一流になれる能力の方が、今持っているスキルよりも重要になる。

最後にカルチャーフィットとポテンシャルがあり、スキルがないケースである。このような人は初めの3 カ月程度は苦労するかもしれないが、その後ほぼ間違いなく活躍する。たった3カ月の我慢である。メディアでは即戦力採用が重要と言われてはいるが、それは正確に言えばカルチャーフィット有かつポテンシャル有かつ即戦力(スキル有)、ということである。スキルよりもカルチャーフィットとポテンシャルの影響の方がはるかに大きい。

つまり、カルチャーフィットとポテンシャルのある人であれば、スキルが多少不足していたとしても採用すべきだと言える。

また、人を育てられない、あるいは育たないという課題を聞くこともある。そのような組織の場合は、本来正社員採用をすべきではない。その都度必要な人材を集めるように業務委託で人を集める方がはるかに合理的である。言い換えれば、社員を雇おうとする以上、その人を長期にわたって育てる、あるいは育つ環境を提供することにコミットしなければならない。つまり、人を育てられないのは企業として致命的な欠陥であり、決してそれを前提にしてはいけない。もし人を育てられない組織なのだとすると社員を採用することの意味は、金銭を払うことで好きなことだけでなく嫌なことでも言うことを聞いてもらえる奴隷契約を結ぶようなものだ。そのような組織が長期にわたって健全に発展することはない。

一つ一つ突き詰めて考えていくと、カルチャーフィット>ポテンシャル>>スキル、という優先順位が正しいことが腹落ちしないだろうか。

では、そのような人材を採用するためには、どのような採用プロセスが良いのだろうか。

フライヤー式の採用プロセス

ちょっと常識に反することを言う。採用はできるだけその組織のトップから面談を行うべきである。もしトップが採用面談を苦手としている場合は、組織の中で最も自社のカルチャーを理解し、カルチャーフィットやポテンシャルを見抜くことが得意な人で代替することになる。ただ、できるだけトップが行う方が望ましい。

例えば、フライヤーの採用プロセスはこうなっている。

・書類選考
・代表取締役面談
・取締役面談
・一緒に働く人による面談
・内定

一見常識に反していても、これが合理的であるということを詳しく解説してみたい。

評価が分かれそうな、飛びぬけて優れた才能を持つ異能の人を採用できる

通常の採用プロセスでは、欠点の少ない人材が通過する傾向がある。それは採用した人が問題を起こした際に必ず、誰が面談を行ったんだ、という話になるからである。多くの人は問題の責任を取りたくないものだ。そのため、現時点では成果が不確実なポテンシャル人材や能力にでこぼこがある異能な人が嫌煙される傾向がある。

しかし、採用する部門のトップが先に面談をすれば、そのような人を後のプロセスに進めることができるし、次に面談をする人は気楽に面談ができる。先にトップがOKと言った後だから、ちょっと欠点が見えたとしても目をつぶりやすい。際立った能力を持つ人を採用できる可能性が高まる。

また、会社のカルチャーにもよるが、人は自分より優秀な人ばかりになると、自分の立場が脅かされると考えることもある。もし責任者が通して、自分のところでNGを出すとすると、明確な説明責任が発生する。自分より優秀だと感じた人の採用を止めることが難しくなるのである。組織内で正しいことを誰にでも言える、という環境を作れていれば、本当に問題がある候補者には例えトップがOKと言った後でも、不採用にすることは可能である。

過去に様々な組織で採用をした経験では、その人のポテンシャルを見ているというよりも、なぜか言うことを聞いてくれそうな角の丸まった人が採用に通りやすく感じていた。そのような組織から斬新なサービスが生まれる可能性は低い。

採用に関わる人のモチベーションが下がらない

採用に携わった人はこのような経験をしたことがないだろうか。多くの面談をして、〝この人は〞という人を先に進めても進めても、以降の面談でNGとなり、採用されない。採用のためにかけた労力は何だったんだ、という経験である。

採用では通常業務とは異なる対応をしなければならない。業務にも負荷がかかった上で、成果がずっとない、という体験をすると誰でもモチベーションが下がる。トップが一次面接をすると、経済的にはより時間単価の高い人の時間が多く費やされることになるが、それによりメンバーのモチベーションを保てるのであれば、十分投資対効果はある。それに採用の重要性からすれば、その程度の労力やコストはかけた方が合理的でもある。

人を見る目が継続的に養われる

トップが人を見る目がない、という組織は不幸である。新規事業のために中途採用を行うたびに、適切な人材を確保できずに失敗を重ねる。特に多くの組織はピラミッド構造であるから、トップが採用にコミットする幹部クラスの採用で失敗があった時の被害は甚大である。新規事業ではなくても、組織の拡大に合わせて必要な組織強化の一環と思って採用した人が全く会社になじめずすぐに辞めてしまったり、しばらく働いた結果不適合であることがわかるケースもある。いずれにせよ損害が大きい。

その逆にトップに人を見る目があれば、適切な人材を採用できるので、事業の可能性が無限大に広がる。人を見る目、という能力はクリティカルに重要なのである。アリババの創業者であるジャック・マーの凄さを5 分で見抜いたソフトバンクの孫さんの例もある。私はまだまだ未熟だが、長期的に取り組んでいる能力改善のテーマはこの分野にある。だから、最高のトレーニングだと思って毎回の面談を楽しんでいる。

紀元前、中国に漢帝国を築いた劉邦に触れたい。劉邦の最大の敵だった楚の項羽との比較はリーダーシップ論として興味深いものだ。劉邦は日頃ぼんやりとしていて、欲に弱く、戦にも弱いが、人材登用の天才だった。一方の項羽は周りの将軍や身内への愛情に厚く、自身も戦いにめっぽう強く、騎馬上の姿もりりしいカリスマ的な大将だった。項羽は敵に対しては情け容赦なく、侵略した地で虐殺と略奪をする一面があり、制圧した地での反乱がおさまらない。劉邦は頼りない大将ではあるが、軍師である張良を重用し、また戦いの天才である韓信に大きな軍を任せ、陣容を拡大。項羽に対して敗戦続きだったが、劉邦は垓下の戦いで張良の策を起用し、韓信を中心に敵を追い詰め、項羽は自害する。劉邦の適材適所と優れた策略を採用する度量により、漢は中国を統一したのである。

項羽と劉邦の例は、リーダーにとって人材登用の能力がどれだけ重要であるかを、歴史が示していると言えるだろう。