日本国内でコロナ禍の感染収束が見えない中、東京五輪の開催を事実上強行した日本政府に対し、批判の声が少なくない。しかし、東京五輪では批判の矛先が日本政府のほかにも向いている。広告代理店最大手の電通だ。「国賊」と呼ぶ声もあるが、その批判は正しいのか。
東京五輪と電通
冒頭で触れたように、東京五輪の開催に関して電通を批判する声は少なくない。この記事ではその批判は説得力があるものなのかを検証していこうと思うが、そもそも電通は東京五輪でどのような役割を担っていたのだろうか。
この点については、電通の過去のプレスリリースでしっかりと触れられている。以下、プレスリリースの原文を引用しよう。
「株式会社電通(本社:東京都港区、社長:石井 直)は、一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(本部:東京都新宿区、会長:森 喜朗)から、同組織委員会のマーケティング専任代理店として指名されました。」(プレスリリースより)
「これにより当社は、組織委員会のマーケティングパートナーとして、マーケティングプランの策定やスポンサーセールスなどを支援していくことになります。」(プレスリリースより)
電通の公式サイトではこのほか、国際オリンピック委員会(IOC)や日本オリンピック委員会(JOC)などの団体と密接な関係を有していることを説明し、放映権などを独占的に販売できる権利を多数保有していることも紹介されている。
東京五輪における電通への批判
ただし、先ほどのプレスリリースでの説明と公式サイトでの説明では、電通が東京五輪で開会式と閉会式ではどのような役割を担うのか、電通はどのようなビジネスモデルで東京五輪からどれくらいの収益を得るのかなどが、よく分からない。
しかし残念ながら、より具体的な電通の役割などを調べようとしても、あまり公的な情報が見つからないのが現状だ。そのためここからは、電通が批判を浴びた具体的なトピックスをピックアップし、トピックスベースで説明をしていこうと思う。
電通出身の佐々木宏氏に対する多数の批判
東京五輪で、開会式と閉会式の企画・演出の統括役を一時務めていた人物がいる。佐々木宏氏だ。同氏は電通で数多くの有名なCMを手掛けたことで知られるが、女性タレントの渡辺直美さんの容姿を侮辱するかのような演出を提案したことが発覚し、統括役を辞任した。
佐々木氏が電通出身者であることもあり、批判の矛先は電通にも向けられた。そして、「文春砲」によってさらに電通への批判が高まることとなった。
文春の報道によれば、開会式と閉会式の実質的な執行責任者は当初、演出振付家のMIKIKO氏だった。しかし、マーケティング専任代理店である電通側の意向で、最終的にMIKIKO氏が責任者を辞めざるを得ない状況になった。そして電通出身の佐々木氏が統括役となった。
この件については、これ以上詳しい報道があまりないのでこれ以上は触れないでおくが、容姿の侮辱は論外のことであり、佐々木氏が統括役となった経緯も不透明なままでは、国民の支持を得られないのは当然のことと言える。
開会式と閉会式に対する落胆が電通批判に
開会式と閉会式に関しては、「#電通金返せ」「#電通を許すな」といったハッシュタグがTwitter上を飛び交った。タレントのビートたけし氏もオリンピックの開会式を酷評し、「ずいぶん寝ちゃいましたよ。驚きました。金返して欲しいですね」とテレビ番組で発言した。
このように、今回の東京五輪では開会式と閉会式の演出に対して批判の声が多かった。そして実質的に開会式や閉会式のしきり役となった電通に対し、「電通に芸術センスを感じないと証明されたのも同然」「閉会式、公民館レベル以下」といった声がTwitter上で上がった。
最近では持続化給付金をめぐる批判の声も
上記のような批判が、東京五輪における電通に対する主な批判と言えるが、電通が関わった事業で批判の声があがるのは今回が初めてではない。
電通は、政府から多くの事業を受託している。「10年間で100件超」(ロイター通信)との報道もあるくらいだ。そして最近では2020年、経済産業省の「持続化給付金」に関する不透明な業務委託の状況などをめぐって、電通に対する批判の声が高まった。
電通はその後、新たに経済産業省からは新規事業を受託しないことを発表しているが、その後も電通に対する批判の声は止まず、そのような状況で東京五輪の開幕を迎えたため、電通への批判が増幅されたと言えよう。
パラリンピックで、名誉挽回の機会は訪れる?
今回の五輪で電通に対する批判がどれほど真っ当なものかを判断するのは難しい。そもそも、東京五輪自体にブラックボックスとも言えることが多すぎ、分析するのは簡単ではない。
ただし、電通のブランドイメージが落ちたことだけは確かだと言えそうだ。9月5日にはパラリンピックが閉幕する。五輪中、電通に名誉挽回の機会は訪れるのだろうか。
文・岡本一道(金融・経済ジャーナリスト)