市場の見えざる「心」が導く インパクト資本主義とは?――『IMPACT: Reshaping Capitalism to Drive Real Change』
(画像=GLOBIS知見録)

今、求められるパラダイムシフトとは?

インパクト
(画像=IMPACT)

新型コロナウイルス感染症の拡大によって、人々の価値観が大きく揺らいでいる。人と人との接触が制限され、教育や仕事にも大きな影響を与えている。私たちの生活は一変した。グローバル資本主義の限界を指摘する声も聞かれる。

私たちはどのような世界に暮らしたいだろうか? それは今日、すべての人々に投げられた問いだ。

その問いに向き合う一助となる書籍『IMPACT: Reshaping Capitalism to Drive Real Change』(ロナルド・コーエン卿著)を紹介したい。

著者は言う。

「今こそ、“インパクト資本主義”という新しいパラダイムへの転換が必要だ」

インパクト資本主義とは何か、なぜその結論に至ったのか、どのようにすれば実現できるか、本書を読み解いていこう。

ロナルド・コーエン卿:インパクト資本主義の父
(画像=出典:英国内閣府 )

著者ロナルド・コーエン卿 は、インパクト資本主義の提唱者であり、実践者である。先駆的な慈善家であり、ベンチャーキャピタリストであり、プライベートエクイティ投資家であり、世界的なインパクト革命の先導者だ。

コーエン卿がこれだけのことを成し遂げるに至るまでには、彼の並外れたライフストーリーがあった。

11歳のとき、スエズ危機でエジプトから逃れることを余儀なくされ、英国に難民として受け入れられた。そのとき、彼は英語を話すこともできず、わずかばかりのお金しか持っていなかった。しかし、懸命な努力の末、首席となり奨学金を獲得し、オックスフォード大学に入学し、その後、ハーバードビジネススクールでMBAを取得した。

コーエン卿は、人々を助けたいという想いから、ベンチャーキャピタリストになり、彼が26歳のとき、Apax Partnersを共同設立した。これは欧州初のベンチャーキャピタルであり、現在では欧州最大規模のベンチャーキャピタル、プライベートエクイティファームにまで成長した。(グロービスは1999年にApaxグループと合弁会社エイパックス・グロービス・パートナーズを設立し、200億円のファンドを組成した。)

しかし、コーエン卿はただ起業家に投資をするだけでは貧困や不平等といった社会課題は解決せず、むしろ拡大していくのではないかと考えた。資本主義という経済システムが社会課題を生み出しているのではないか。コーエン卿は人々を助けるための新しい資金の流れを生み出したいと考え、60歳でApaxを去った。

コーエン卿は言う。

「“彼は年間30%の投資収益率を実現した”と碑文に記されたくはない。人生にはもっと大きな目的があるはずだ」

そして、彼はある結論にたどり着いた。

資本主義はもはや機能していない。新しいシステムが必要だ。

利潤とインパクトの両方を追求することを原動力とする新しい経済システムを構築しよう。

それが、インパクト資本主義だ。

コーエン卿は60歳からキャリアの第2章として、インパクト投資を主導した。インパクト投資とは金銭的リターンと並行して社会や環境へのインパクトを同時に生み出すことを意図する投資だ。

コーエン卿は英国首相から依頼を受け、G8社会的インパクト投資タスクフォースの議長を務めるなど、約20年にわたってインパクト投資業界を牽引し続けている。

理論を越えて:有望な解決策
本書『IMPACT: Reshaping Capitalism to Drive Real Change』では、コーエン卿がリードしてきたインパクト革命の20年の歴史と多様な実例と具体策を通じて、インパクト革命のロードマップを示している。

貧困や不平等といった社会課題を解決するためには、投資家や企業の行動を変えなければならない。とはいえ、投資家や企業の行動を変えることは容易ではない。そこで、インパクトの測定が必要となる。社会や環境へのインパクトを数値化し、その効果が明らかになれば、投資家や企業の行動は変わると考えた。

しかし、どうやってインパクトを測定するのか。そんなことは可能なのか。

インパクトの測定に関して、今日に至るまで多様な方法が生み出されてきた。Global Impact Investing Rating System(GIIRS)IRIS+SASB standardsGRI Standardsなどが代表例だろう。しかし、これらは財務的利益とは別にインパクトを測定するものであり、財務的利益とインパクトの「両方」を表現できていない。

私は公認会計士として、大企業に対して統合報告の導入をアドバイスし、SASBやGRIのフレームワークを活用して非財務情報(社会性情報や環境情報など)の開示を促進してきた。また、KIBOW社会投資のインパクト投資家として、財務的利益と社会や環境へのインパクトを両立する企業に対する投資を行ってきた。その中で、課題となっていたのが、財務的利益とインパクトとの統合だった。

注目すべきは本書が提案するインパクト加重会計impact-weighted accounts)である。これは、コーエン卿がハーバードビジネススクールなどと共同で開発したもので、財務とインパクトの両方を反映した新しい財務諸表(損益計算書と貸借対照表)である。

インパクト加重会計のようなイノベーションが今まさに求められている。

1929年に起こった世界恐慌時、統一的な会計基準は存在せず、投資家は財務的利益を客観的に測定することなく投資を行っていた。そのことが世界恐慌を招いた原因の一つとされ、1930年代に一般に公正妥当と認められた会計基準(GAAP)が創られた。同じように、コロナ危機の今、コーエン卿は一般に公正妥当と認められたインパクト原則(GAIP)を提案する。コロナ危機は人々の価値観に変化を与え、資本主義を再考する契機となった。投資家がインパクトを客観的に測定して投資を行うことで、コロナ危機によって拡大する貧困や不平等といった社会課題の解決を促進することができる。

インパクトを正確に測定するなんて無理だ。そういった批判もある。しかし考えてみてほしい。私たちは100%正確なインパクト測定を行う必要があるだろうか。意思決定に有用な水準で測定できれば問題ないのではないか。会計基準だって唯一絶対など存在せず相対的真実に過ぎない。今もなお世界中で議論され改正され続けているではないか。経済学者ケインズの言葉を借りれば「正確に間違えるよりも、概ね正しい方が良い」のだ。

経済学の父、アダム・スミスは『国富論』で(市場の)「見えざる手」(個人個人が自分の利益を追求することで、見えざる手に導かれるかのように、社会全体の利益になっている)というコンセプトを示した。また、彼がより誇りに思っていたという『道徳感情論』では利他主義で行動する人について論じた。

もし彼が現代に生きていれば、インパクトを(市場の)「見えざる手」を導く「見えざる心」にしていたかもしれない。

すべての人に役割がある
コーエン卿からの要請もあり、グロービスは2015年にKIBOW社会投資ファンドを立ち上げた。KIBOWは社会課題を解決する起業家に投資をし、新たな資金還流の仕組みをつくっている。

少子高齢化が進み、財政赤字が膨らむ日本において、政府だけで社会課題を解決することは今後ますます難しくなっていく中で、私たち一人ひとりの行動変容が求められている。

コーエン卿は読者に語りかける。

“インパクト革命の1ページは、あなたの手によって記されるのだ。”

IMPACT: Reshaping Capitalism to Drive Real Change:Sir Ronald Cohen 発行日:2020/7/2(日本未発売) 価格:£16.99 発行元:Ebury Press

*本記事は、GLOBIS Insightsの記事を翻訳編集して掲載したものです。

(執筆者:五十嵐 剛志)GLOBIS知見録はこちら