真綿布団の縫製工場からアパレルメーカーへ転換/ナンガ  横田智之社長
(画像=横田智之社長)

自社の持つ有形資産を活用高級ダウンジャケット製造

1941年に祖父が興した真綿布団の縫製工場を、父親が登山者向けの寝袋(シェラフ)製造に、そしてアパレル事業へ。時代の変遷とともにビジネスを変革させてきたのがナンガ(滋賀県米原市)だ。

3代目に当たる横田智之社長は、社長就任後ダウンジャケット製造に着手、同社の商品はデザイン性はもちろん、高機能として評価が高まり、昨年の売上高28億円と大きく伸長させた。

大学卒業後、もともと婚礼レンタル衣装の営業マンだった横田社長が同社に入社したのは、25歳の時だった。

既に父親が寝袋メーカーとして新たな柱を作っており、職人肌で営業の苦手な父親に代わり、横田社長は全国の店舗リストを頼りに商品を販売する毎日だった。

当時、10名の社員を抱え順風満帆に見えたが、実は寝袋は季節製品で、安定した販売実績を上げることはできなかった。「商品の特性上、9月から12月は忙しいがそれ以外は暇だった。工場を安定稼働させるには新しい柱が必要だと感じていました」(横田智之社長)。

そんな時、OEMでウェアを作ってほしいとの話が横田社長のもとに舞い込んできた。「特に山が好きではなかった」横田社長は、この話に乗り、本格的にアパレル事業に進出した。寝袋に使うミシンはそのまま使えるし、素材も地元の良質な真綿を使うことができる。計画生産が可能になると考えたのです」(横田社長)

同社が位置する滋賀県米原市は、かつて養蚕業が盛んで、繭から作る真綿布団の産地として知られている。「地域と自社が持っている有形資産を活用することで、新しいビジネスが可能になる」(横田社長)と考えたのだ。

真綿布団の縫製工場からアパレルメーカーへ転換/ナンガ  横田智之社長
(画像=▲定番ジャケット 「オーロラダウンジャケット」)

とは言え、アパレル事業のノウハウはない。一からのスタートで試行錯誤の毎日だった。しかし、「まずはやってみろ」という父親の言葉を頼りに、国内素材にこだわりつつ、原価を抑えるなど改良を加えることで、徐々に品質の高さが認知されるようになった。

社長に就任したのは32歳の時。ウェアの売り上げが半分を超え、「NANGA」ブランドが広まってきたタイミングだった。その間には父親の代から働いていたスタッフが、意見の相違から離れていくこともあった。しかし代わりに若いスタッフが集まってきた。「国内生産にこだわることで、高品質を維持し、これが当社の信用力になっている」(横田社長)

昨年には、東京に単独店舗を出店、大阪、名古屋と主要都市に店舗を構えるとともに、EC事業にも力を入れている。