株式会社緑酔園は、捨てられてしまう高級木材に着目し、草木染めや香りの抽出など、独自のプロダクトを生み出しています。「すべてを庭」として捉える視点から、空間全体をプロデュースするという新しい価値観を提案。本コラムでは、ブランドを立ち上げた背景や、植木屋の仕事の奥深さについてお話を伺いました。 |
捨てられてしまう高級木材を有効活用
私は植木屋の家系に生まれ、祖父から続く三代目としてこの仕事に携わっています。幼少期から庭や木々が生活の一部であり、それが私の感覚を形づくってきました。
御神木クラスの伐採なども行いますが、伐採で残った枝などには建築材の中でも高価なものがあるのです。赤ケヤキと呼ばれるものや、クワ、黒柿などは超高級木材ですね。チップにしたりバイオエタノールにしたりと使い道はあるのですが、「ゴミとして処理するだけではなく、新たな価値を生み出せるのではないか」と考えたのが始まりです。
最初は高級木材を活かして何か作れないかと試行錯誤しましたが、自分たちは植木屋であり家具職人ではありません。その中で出会ったのが”草木染め”です。調べてみると、草木染めは昔から身近な材料で行われてきたことが分かりました。たとえば、昔の人々は木や石の粉を顔料代わりにして染めていたのです。
また、木の枝には独特の香りがあり、それを活かせる可能性も感じました。ヒノキのお風呂や新築の和室が持つ心地よい香りを思い浮かべて、香りを抽出してアロマ製品に応用できるのではと考えたのです。状況を大喜利みたいな感じで、「この素材で何ができるか」を常に探求しています。
草木染めは自分の発案ですが、その後のアイデアは社員が調べたりマルシェで見つけてきたりして製品の幅を広げてきました。たとえば、江戸時代から伝わる手法を用いた高級ガーゼの製作は、コミュニティのつながりがきっかけで実現しました。
「これやったら面白いかも」と深く考えずに始めた取り組みも多く、時には失敗することもありました。それでも何かあれば本業で補えばいいと考えていたので、リスクや恐怖を感じたことは無かったかもしれません。
「庭」という空間をつくるのが植木屋の本質
私たちの製品はナチュラルなのが特徴です。肌触りが良く、とても軽い素材で作られており、吸水性も高く、使い込むほどに「育っていく」ような感覚を味わえます。色合いは原色のような派手さではなく、自然の持つ控えめで落ち着いたトーンです。
花も鮮やかに咲いているように見えますが、実際は自然なグラデーションによる調和で華やかさを感じさせています。自然は互いに寄り添い合うことで魅力を発揮するもの。そのイメージを形にしたいと考えています。
もともとが植木屋なので、目指す先はアパレルや雑貨屋ではありません。昨今では、植木屋という職業の価値が下がりつつある現状に疑問を感じています。本来、植木屋や大工は職人でありアーティストのような存在でした。しかし、現在では単なる作業員のように扱われることが多く、職人としてのランクが下がってしまっているように思います。私は20年以上修行を積み、技術や知識を深めてきました。それを安く扱われるのは許せないという思いから、このブランドを立ち上げたのです。
私たちの本質は「空間を創造すること」にあります。家の外でも中でも、あるいは机の上でも、私たちが「庭」として捉えた空間はすべて庭になります。その空間全体をトータルでプロデュースしたいと考えています。植木屋はただ枝を切るだけではありません。商品を通じて私たちの価値を感じていただけたら嬉しいです。
思い通りにいかないからこそ面白い
植木屋の魅力は、「すべてができる」ことにあると思います。一方で、思い通りにいかない部分もあるからこそ面白いのです。自分が思い描いた通りの石や木は存在しません。「何年後にこうなるだろう」と想像しても、その通りにはならないことが多いのです。思い通りにいかないけれど、それが自然に調和して結果的には理想的になる。この矛盾を楽しみながら仕事をするのが植木屋の醍醐味です。
大工のように想像通りに形を作るのではなく、植木屋は「曖昧なものをつくっていく」という感覚です。「あるもので、ないものをつくる」という曖昧なラインでやっているのが楽しいですし、日本文化にも通じる部分があると感じます。
今後の展望としては、私たちの仕事を通じて世界を変えていきたいと考えています。世界というのは曖昧で、その捉え方は人それぞれです。たとえば、「ゲレンデヴァーゲンが欲しい」と思った瞬間に、街中でそれがたくさん目に入るように感じることがあります。捉え方を変えることで、実際には数が増えているわけではないのに、そう感じてしまうのです。
同じように、私たちがすべてを庭として捉えることで、そこに新たな価値や世界観を提供できる会社でありたいと思っています。