アナログ傾向の長かった業界に先んじてICT導入 コロナ禍で相次いだ結婚式キャンセル・延期の危機を乗り越えるきっかけに グレートディッパー(神奈川県)

目次

  1. 1980年にアナウンサー養成スクールとしてスタートしたが、婚礼司会の依頼をきっかけに、4年後にブライダルを主とした会社に衣替え
  2. 披露宴の様相が時代とともに移り変わり、司会者に求めるものも変化 主催者や新郎新婦の要望に合った人を派遣する必要性
  3. 人口減少社会で結婚式の件数も減少傾向の中、新型コロナウイルス蔓延(まんえん)による打撃も
  4. 業界全体がアナログ志向だった中、2019年東日本台風を機に、ICTシステム化の必要を痛感
  5. コロナ禍の中、結婚式・披露宴のキャンセル、延期に対する措置はICTシステムを導入しなければ乗り越えられなかった
中小企業応援サイト 編集部
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結婚式や披露宴のカタチも1980年代の「ハデ婚」から「ジミ婚」やオリジナリティを大事にしたもの、おもてなし重視のもの等、時代とともに変遷している。時代が変わる中でも、そうしたあらゆる形態の結婚披露宴を盛り上げ、進行してきたのが、婚礼司会と言える。

かつては友人をはじめとする出席者が行うケースも多かった披露宴司会だが、プロの司会者に任せるというトレンドを商機と捉え設立されたのが、神奈川県横浜市に本社を置く株式会社グレートディッパーだ。

委託契約で司会者100人以上を抱える同社は、結婚式場や披露宴会場、スケジュール管理などが多岐にわたって煩雑になったことで、オンラインでこれらの管理をできる体勢を整えた。そのことが、結果的に会社を救うことになったという。(TOP写真:2019年6月に行われた創立40周年パーティーの様子)

1980年にアナウンサー養成スクールとしてスタートしたが、婚礼司会の依頼をきっかけに、4年後にブライダルを主とした会社に衣替え

アナログ傾向の長かった業界に先んじてICT導入 コロナ禍で相次いだ結婚式キャンセル・延期の危機を乗り越えるきっかけに グレートディッパー(神奈川県)
会社設立の経緯や時代背景などについて説明する伊藤紫社長

グレートディッパーの前身となる「株式会社ヨコハマアナウンス学院」は1980年6月に設立された。設立したのは、現在グレートディッパーの取締役社長を務める伊藤紫氏の父。本業でテレビ神奈川のアナウンサーを務める傍ら、後進を育成するためのスクールとして立ち上げた。

「横浜市のある結婚式場の責任者が父の知り合いであったことから、設立間もない頃に、『結婚式の司会ができる人材はいるのか』という声が掛かったそうです。1980年代初めの当時は、まだプロの結婚式の司会者は少なかった時代。結婚式専門の式場も増え、結婚する人自体も多かったし、結婚する人はもれなく式を挙げていた頃。この知り合いから司会者の派遣を引き受けて以降、翌月から何十件と司会者派遣の依頼があったようです」と伊藤社長が説明する。

こうした事業の状況から、結婚式の司会者派遣を軸足とした事業展開ができると踏み、1984年8月に、ヨコハマアナウンス学院を吸収・合併する形で、「有限会社グレートディッパー」が設立された(1992年5月に株式会社に組織変更)。伊藤社長の母の岡村静子さん(現・代表取締役会長)が社長となった。派遣できる司会者は常時男女合わせて100人程度。司会者のみならず、音響オペレーター20~30人をはじめ、演奏家や歌手を含めた音楽関係者を50人程度派遣できる体勢を整えた。

前述のように、結婚式の件数が多い時代で、ブライダルフェアには行列ができ、大安吉日の週末などは早い者勝ちで式場の予約が埋まっていった。「結婚式の専門式場では、一部屋を1日4回転させてフル稼働していた頃。2時間半の披露宴をきっちりスケジュール通りに回さないと、時間が押して後のカップルの披露宴に影響が出てくる。披露宴を時間通りに進行させるためにも司会者が必要とされたのです」(伊藤社長)と、グレートディッパーのような司会者派遣事業の存在が各方面から求められていた。

披露宴の様相が時代とともに移り変わり、司会者に求めるものも変化 主催者や新郎新婦の要望に合った人を派遣する必要性

アナログ傾向の長かった業界に先んじてICT導入 コロナ禍で相次いだ結婚式キャンセル・延期の危機を乗り越えるきっかけに グレートディッパー(神奈川県)
スタイルや要望に合わせ、さまざまな司会者を結婚式に派遣している

時代が移り変わる中で、グレートディッパーでは、常時100人前後の司会者を抱え、結婚式場や披露宴に派遣してきた。ハデ婚がブームになっていたのは1980年代から1990年代初頭。規模が大きく、120人から200人程度の招待客であることはザラ。ゴンドラに乗ったりスモークをたいたりといった派手な演出が好まれたのもこの頃で、まさに日本がバブルを謳歌(おうか)していた時代と重なる。

バブル崩壊後は結婚式・披露宴の件数こそさほど変わらなかったが、「値段が崩れ、1件あたりの単価が低くなって、いわゆる価格破壊が起きました」と伊藤社長。ただバブルの頃には、テレビ局のアナウンサーや芸能人が副業として結婚式の司会を務めるケースも多かったが、そうしたいわゆる“高い”司会者が呼べなくなったことで、グレートディッパーのような事業者は重宝されたともいえる。価格破壊により、売上単価は落ちたものの、他のところの需要が回ってきた。伊藤社長は「司会者に求められるものが変わってきた。それは状況に応じて動けて、臨機応変にアナウンスができるという資質」と指摘する。

レストランやゲストハウスでの披露宴が行われるようになってきたのもこの頃から。「専門式場などでの披露宴では進行パターンがあらかじめ決まっていて、主賓のスピーチ、歓談、友人らの余興、お色直し…といったものが進行通りに行われ、司会者は司会台でそれを進めながらしゃべるだけの形だった。それがゲストハウスウェディングなどでは司会者が全てを動かすような形になり、楽しく元気いっぱいなものや落ち着いたものにしたいなど、披露宴を挙げる人の要望が細かくなった。そうした顧客の希望に添える司会者を養成することも必要になってきたんです」という。現在では、女性の司会者が求められるケースがほとんど。一方で、男性司会者は「プロレスの実況風で」「渋い声で司会ができる人」と具体的な要望があるケースが多いという。

人口減少社会で結婚式の件数も減少傾向の中、新型コロナウイルス蔓延(まんえん)による打撃も

アナログ傾向の長かった業界に先んじてICT導入 コロナ禍で相次いだ結婚式キャンセル・延期の危機を乗り越えるきっかけに グレートディッパー(神奈川県)
社内に入ると、幻想的な雰囲気の中飾られた花などが出迎えてくれる

平成も終盤を迎えた頃には、若年層の減少などによる影響が各方面で取りざたされてきた。もちろん結婚式や披露宴の件数も、その影響からは免れない。「業界的にも頭打ちで、結婚する人が減っただけでなく、いわゆる『ナシ婚』、つまり籍は入れても結婚式や披露宴をしないという選択をする人も増えていきました」

そんな時代を直撃したのが、2020年からの新型コロナウイルスの蔓延だ。「緊急事態宣言時はもちろんですが、コロナ下においてはほとんどの結婚式、披露宴が中止あるいは延期になりました。コロナ明け以降は、コロナ前までの8割方まで回復したと思われますが、例えばコロナ前なら60~80人の招待客があった披露宴が、30~40人になるケースは多い。チャペルで挙式をして写真を撮るだけだったり、親族で会食するだけなので司会者が不要だったり、お色直しなどがあれば別ですが、演出のないケースは司会者が要らなくなるのです」

そうした状況の中で、国際結婚や日本に住む外国人カップルの結婚式が増え、バイリンガルの司会者は以前に比べ格段に需要が増えているという。 和の要素がある和太鼓や三味線などでの演出が求められるケースが出てきたほか、「企業の一般宴会などは毎年同じホテルで行われるケースも多く、ダンサーやマジシャンなどのエンターテイナー派遣も請け負ってきました」と伊藤社長は説明する。

コロナを機に、世間一般ではオンライン化が進んだが、実はグレートディッパーではコロナ直前の2020年にオンラインでの仕事ができるようなシステム整備に着手。それがコロナを乗り切る原動力にもなったという。

業界全体がアナログ志向だった中、2019年東日本台風を機に、ICTシステム化の必要を痛感

アナログ傾向の長かった業界に先んじてICT導入 コロナ禍で相次いだ結婚式キャンセル・延期の危機を乗り越えるきっかけに グレートディッパー(神奈川県)
ICTを導入し、煩雑だった会場との連携やスケジュール管理が容易になった

「ブライダル業界というのは、長くアナログな体勢が続いていました。デジタル化、システム化が進んだのはここ10年ぐらいで、コロナ禍がきっかけになったケースも多いと思います。それ以前はといえば、手書きの受注書をFAXで受け取るのが当たり前の世界。特に我々のような所謂『パートナー企業』と呼ばれる会社では、ICTシステムを入れている会社は少数でした」。伊藤社長が述懐する。

パターン化することが難しい特殊な業態で、「それぞれにオーダーするものも異なり、手作業の方が早い面もあった」という。

受信FAXの内容を手書きで台帳に書き出し、司会者を手配し、請求書を手書きして送るという、アナログな世界。さらに手配する司会者は「大きな画板のような台帳にスケジュール一覧を作り、手書きで記入するなど、システム化の進むこの時代に遅れすぎているな、とは感じていた」とも。委託契約の司会者は100人以上。その一人ひとりに対して、アカウント料を支払ってまで同一のアプリに入れるというのは現実的ではなかった。「司会者の中でも、本業としてフル稼働している人がいる一方で、副業や家庭の都合で月に1、2本しか稼働できないという人もいてまちまち」という状況だったためだ。

ICT導入に大きく舵を切るきっかけとなったのは「令和元年東日本台風」だ。2019年10月の台風19号は、同月11~13日の3連休に関東地方をはじめ、東日本各地に大きな爪痕を残した。10月の3連休といえば、結婚式にも最適なシーズン。当然多くの結婚式、披露宴の予定があり、グレートディッパーも司会者などを派遣することが決まっていた。前日からスタッフは会社に泊まり込み、各会場からの連絡に対応しつつ、朝になれば電車がストップしている状況の中で、会場に司会者を送り届けるスタッフもいた。できうる限りの対応ができたのは、伊藤社長はじめスタッフの尽力のたまものだったわけだが、伊藤社長の中ではこんな思いが渦巻いていた。「スタッフが会社に来なくても対応できるような状態をつくらなければ」。

実はその少し前の夏頃から、自分たちの形式に合わせる形でアプリを作れるクラウド対応の簡易業務作成システムの導入を検討し始めていた。ICTシステムの導入に対する補助金も出るタイミングだったことから、2020年初頭に導入。これが会社の危機を救うことになる。

コロナ禍の中、結婚式・披露宴のキャンセル、延期に対する措置はICTシステムを導入しなければ乗り越えられなかった

アナログ傾向の長かった業界に先んじてICT導入 コロナ禍で相次いだ結婚式キャンセル・延期の危機を乗り越えるきっかけに グレートディッパー(神奈川県)
取引先と電話で話す伊藤紫社長

グレートディッパーが簡易業務作成システムを導入したのと時を同じくして、新型コロナウイルスが発生し、日本でも徐々に話題になり始めていた。2月、3月と時間が進むにつれ、その影響は甚大になり、4月には緊急事態宣言が出された。「当時、結婚式や披露宴のキャンセルが相次ぎ、そのうち延期になったものは月に1,000件もあったんです。これを大きな台帳に手書きにしていたりしたら、とてもじゃないが追いつけなかった」と伊藤社長は言う。

コロナ禍当初は、その影響の大きさを見通せていた人はほぼいなかった。数ヶ月経てば、披露宴が行えるだろうという思いの下で、数ヶ月先に新たに日取りを押さえても、再び延期にせざるを得ず、「多い方では4、5回の延期を余儀なくされるケースもあり。紙ベースで記入などしていたらどれがどの情報かもわからなくなり、とても追いつけない量だった」という。

コロナ禍前に導入していたことで、ICTシステムの取り扱いにもちょうど慣れた頃だったことが奏功した。こうした経験をもとに、スタッフ間の連絡にビジネスチャットを取り入れたり、勤怠システムも導入して、同社のICT化は目覚ましく進行していった。

「今は司会者のスケジュールはスプレッドシート上で管理していますが、簡易業務作成システム上での式場の管理などと自動で連携できるようにしたい」と伊藤社長。十人十色であらゆるタイプの結婚式が行われる今、ICTの力を借りてさらなるきめ細かい対応を行う準備を進めている。

アナログ傾向の長かった業界に先んじてICT導入 コロナ禍で相次いだ結婚式キャンセル・延期の危機を乗り越えるきっかけに グレートディッパー(神奈川県)
グレートディッパー社内の様子。スタッフが連携して現場や司会者を支える

企業概要

会社名株式会社グレートディッパー
住所神奈川県横浜市中区本町4-43 A-PLACE馬車道8F
HPhttps://www.great-dipper.com/
電話045-212-3722
設立1984年8月
従業員数12人
事業内容 結婚式司会派遣、音響オペレーター派遣、演奏家派遣、結婚式プロデュース業など