大学卒業後、大手メーカーに就職し、金融機関向けの入出力関連のソリューション営業に従事。
江戸時代から続く播州織産地の老舗企業を、先代の急逝により、25歳で承継。
2020年Forbes JAPAN「ローカルヒーロー賞」受賞。
2022年経済産業省「次代を担う繊維企業100選」選定。
2024年オーガニックテキスタイル世界基準「GOTS」認証取得。
オリジナルの企画生地は600品番以上を在庫しており国内外の御取引様の様々な御要望に御対応する事が可能です。
グループ企業を通じオリジナルの生地の企画・製造・販売から衣料製品・付属品の企画・製造・販売までを川上から川下まで一貫して行っているのが弊グループの強みです。
創業からこれまでの事業変遷
ーー 創業からこれまでの事業の変遷について、大きなポイントをいくつか教えていただけますか?
株式会社植山テキスタイル代表取締役・植山 展行氏(以下、社名・氏名略) :当社の変遷は大きく分けて6つのステージに分けることができます。
まず、創業は1948年で、戦後の間もない頃に私の祖父が立ち上げました。当初は兵庫県の地場産業である播州織という織物業から事業をスタートしました。創業から1985年までは、下請け中心で、大手商社や問屋から仕事を請け負っていました。これがステージ1になります。
ステージ2は1985年からで、プラザ合意の影響で輸出が難しくなり、提案型営業や在庫販売へとシフトしました。これは私の父が代替わりした際に取り組んだことで、工場をM&Aしたり、問屋とも提案型のコミュニケーションを取るようになりました。
ステージ3である2007年から2011年は、海外展開を強化しました。中国やアメリカ、フランスなどに拠点を持ち、販売を行っていました。
ステージ4の2011年からは、私が後継者として参画して、製造・販売管理などのグループ会社間の効率化や業務の見直しを行いました。また、東日本大震災の影響もあってメイドインジャパンに注目が集まり、日本製品の再評価が進みました。
2017年以降のステージ5では、ECブランドの強化に取り組みました。また社内体制として、コロナ禍に起因する働き方改革や、それに伴う人事評価制度の再構築も進め、グループ企業の透明化に努めました。
そして現在をステージ6として、さまざまな新しい取り組みに向けて仕込んでいる段階になります。
ーー 新しいことにどんどんチャレンジしていく背景には、何か特別な理由があるのでしょうか?
植山 :2011年に私が参画した際、物の配置から生産管理まで非効率な点が多く見受けられました。そこで、業務の見直しや効率化を図り、同時にスマホやクラウドサービスの導入を行いました。これにより、従業員の仕事が楽になり、全体としても効率が上がったと感じています。
ーー 改革や変革の中で、現場の抵抗はどのように解決されたのでしょうか?
植山 :当時はスマホの普及により、新しいものを使うことが便利であることを社員は理解していました。それを会社でも行うと、効率化により業務が楽になるということを示すことで、現場の抵抗を解決しました。私自身もシステムの導入や運用に関わり、従業員からの問い合わせにも対応しました。これにより、徐々に新しいやり方に対する抵抗がなくなりました。
ーー 社内改革のための動機づけに関して工夫されたとのことですが、具体的にどのような取り組みをされましたか?
植山 :お客様のEDI(電子データ交換)で受発注を行いたいという要望に対応するというきっかけをうまく活用して、社内のシステム構築を進めました。お客様からの受注データがスムーズに流れるように、こちらも電子化を進め、倉庫にもデータが流れる必要があることを社内に示したのです。また、お客様の現場に実際に足を運び、非効率な部分や物の置き方を改善するための良い例を見せていただきました。
さらに当社では、クラウド化など最新システムを取り入れていますが、補助金を活用して費用対効果を高めるストーリーを作り、国の制度を利用して費用を抑えていることを提示しました。業務効率改善や付加価値向上を目指して、お墨付きをもらって進めています。
ーー グループ化も進める中での改善だったと思いますが、完了するまでどのくらいの時間がかかりましたか?
植山 :2016年に各部門を集めて合併を検討しましたが、最初から一気通貫でできるわけはなく、実際に合併が完了するまでに10年かかりました。当然、提案当初は社内から総スカン状態でした。グループ会社の統廃合も検討しましたが、会計士からは「なぜ合併する必要があるのか」や「面倒だ」と言われる始末でした。途中で外部のコンサルタントも入れましたが、それほど役に立つものではなかったので、最終的には私が強引に進めて実施しました。
代替わりの経緯・背景
ーー 先代が急に亡くなられたことで、植山社長が急に継ぐことになったと事前に拝見しましたが、その際にどのような苦労があったのでしょうか?
植山 :まず、その時の状況や気持ちについてですが、2011年当時、私は社会人4年目で別の会社でシステム系に携わっていました。父親が還暦を迎えるタイミングで、私に会社を継いでくれないかと相談してきたのです。そこで私は承諾し、1年後に戻ってくることを約束していました。
しかし、父が急に亡くなったことで引き継ぎもないまま会社を継ぐことになり、急いで帰ってみると、いろいろな問題がありました。財務面では、当時、為替デリバティブというハイリスクハイリターンな金融商品があり、それが原因で負債が7億円ほどあり、売上も20億円程度しかないのに、借り入れが約29億円という状況でした。会計士に相続を見てもらったところ、死亡保険金をもらって事業承継はやめた方がいいとまで言われていました。
しかし、地元の基幹産業であり、同級生の父母がたくさん働いているこの会社を潰すわけにはいかないと思い、私は事業承継することに決めました。もともと裕福な暮らしをしていなかったので、全てなくなってゼロになっても問題ないという気持ちもありました。
ぶつかった壁と乗り越え方
ーー 植山グループではいろんな課題があったと思いますが、それらを乗り越える中で、どのような経験がありましたか?
植山 :まず、倉庫や物の段取りなど、誰が見ても変な部分が多かったです。前職で業務フローの可視化を行っていた経験があったので、それを活かして無駄を減らす改善を行いました。また、私自身が倉庫の整理など実務から始めたことがスムーズな改善につながりました。
ーー その中で、特にボトルネックだった課題は何でしたか?
植山 :やはりグループがバラバラだったことが非効率で1番の課題でした。昔はグループ企業は分社化することが一般的でしたが、それは各会社の管理体制が整っている前提で、はじめて成り立ちます。当社にはそれがなかったので、インプットとアウトプットの出入り口を揃えたり、業務システムや呼び方、ドメインなどを統一することで、効率化を図りました。また、業務改善を行う中で、経営に関してもスピードを意識しながら施策を打っていきました。
今後の経営・事業の展望
ーー 今後の展望についてお聞かせください。
植山 :昨今のトレンドとして、オープンファクトリーや人材不足という点が挙げられているため、まずは地域貢献を重視し、地域とともに成長していくことが大切だと思っています。未だに北播磨地域の約3割は同じ業種の会社です。当社は、そういった同業企業の雇用の受け皿としてグループ拡大していますし、今後もそうあるべきだと考えています。
また、ブランディングやサステナビリティを含めた取り組みも重要で、高い付加価値やおしゃれな服を作ることで、ブランド力を高めていきたいと考えています。そうした取り組みを通じて、地元の雇用を守りながら、事業を発展させていきたいと思っています。
全国の経営者へ
ーー 経営者を中心とするTHE OWNER の読者の皆様へ、メッセージを一言いただけますでしょうか?
植山 :こういうコメントを求められると、自分はそれをできているのかと自問自答してしまい、あまり大きなことは言えないのですが(笑)。
ただ、経営にゴールはないので、学び続けることが重要だと思います。そのためには若い方や成功されている方など、他業種を含めてさまざまな方から刺激を得ることが大切です。視野を広く、視座を高く持ち、共に成長できる人と出会い、一緒に仕事をしていくことが何よりも肝心だと思いますし、私自身もそうしていきたいと強く思っています。
ちなみに、補助金獲得や事業再編、システム導入の壁打ち相手のような業務も行っているいるので、そちらにもご興味がある方はぜひご連絡いただければと思います。
ーー 本日は貴重なお時間をいただきありがとうございました。
- 氏名
- 植山 展行(うえやま のぶゆき)
- 会社名
- 株式会社植山テキスタイル
- 役職
- 代表取締役