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約25年にわたって鉄鋼やステンレス、アルミニウムなどの建築資材、機械部品の金属加工他を行う有限会社新居製作所(群馬県桐生市)。2023年、創業者新居昇氏が高齢(当時88歳)のため、個人事業主として機械修理や溶接などを担っていた小島克宏氏(当時45歳)に同社の株式を100%譲渡して、円滑に事業承継を果した。40歳以上の大幅な若返りだった。小島社長は得意の機械加工や溶接技術を生かして事業範囲を広げるとともに、ICT化によって事務処理や業務のデジタル化を図り、新たな成長を目指している。(TOP写真:金属製品の複雑な形状の溶接も行っている)
事業を受け継いだ小島社長は、繊維機械メーカーを経て、鉄工所の工場を間借りして個人で事業を行っていた
新居製作所は、1989年に新居昇氏が創業。パレットや運搬機器、棚や台車等工場設備の保全用品、機械部品等の金属加工を行っていた。
一方、小島克宏氏は桐生市内で繊維機械メーカーに約14年間勤務の後、同市内の鉄工所の工場を間借りして、個人事業主として機械の修理や溶接などを手掛けていた。
小島氏は繊維機械メーカー勤務時、溶接担当としてスタートしたが、機械の組み立ても担当したいと進言。この結果、溶接と機械組立までこなせることから、中国やインドなど海外にも機械の修理などに出向いていたという。小島氏の上司の「終身雇用の時代ではないから、自分の腕一本で食えるようになれ」との指導もあり、自分の技術を生かして「2017年沢山の方々のご協力ご支援をいただき、みどり市内の鉄工所の工場の一部を間借りして個人事業主として独立した」と語った。
経験豊富な小島氏に事業承継の打診。従業員も引き継いで2023年に社長就任
しかし、間借りしていた鉄工所の廃業が決まったこと、その鉄工所の取引先だった新居製作所の創業者が80代後半と高齢だったことから、金属加工や溶接などの経験が豊富だった小島氏に対して、新居製作所の事業を承継するよう要請があった。同社はもともと加工や溶接の品質、寸法などにこだわって顧客先の信頼を得ていたことで事業の継続が可能と考えたほか、小島氏が個人事業として展開していた取引先も重複していた。
この結果、若い頃から自分の会社を持ちたいと思っていた小島氏はこの承継を快諾。新居製作所の株式を100%買い上げ、従業員5人もそのまま引き継いで、2023年4月に代表取締役に就任した。新居氏は現在も取締役会長として職務を補佐している。
テーマパークの遊具、温泉施設の改修など新規顧客を次々と開拓
本社工場内には、金属加工用の穴あけ機、溶接機、切断機などが並ぶ。小島社長は新規分野の需要開拓に力を入れている。例えば、老朽化したごみ焼却場を建て替える場合、旧工場を解体して、同じ場所で新工場を建設するケースがある。その場合、旧工場解体の際に周囲に粉じんなどが飛散しないようテントで囲うが、そのテントを支える鉄骨が必要となる。その鉄骨の屋根部分などは微妙な曲げ加工と溶接が必要となる。
主要取引先が受注した案件は小島社長が入社前のものだが、ごみ処理施設の老朽化は全国的な課題となっており今後も需要が見込めそうだ。このほかにも、大規模テーマパークの遊具用レール、四国の温泉施設の改修、北陸の寺の改修事業、さらには競輪場のフェンス建て替えなど、複雑な形状の溶接などの案件受注に成功しており、着実に実績を積み上げている。
コロナ禍の影響は「全くない」。社長自身が現場に出向き機械を修理
コロナ禍の影響については、「全くなく、むしろ売上が上がった」(小島社長)と言い切る。たまたま大型設備の加工の仕事が集中していた時期だったほか、機械の修理が増えたためだ。
機械の修理は、本来はその機械メーカーに依頼するが、それでも困難なケースもあるという。その場合、小島社長がユーザー先に出向いて、現地で不具合の部分を見つける。小島社長は「見れば材質や構造などもわかる」ので、利用していた部品と同じ部品を製造して修理する。もちろん、責任の所在を明確にするため、修理した上で、そもそもの機械メーカーの確認を得て再稼働する手続きを取る。現場での機械の修理は小島社長だけが担当しており、出張先は東北から中部地方にまで及ぶという。
機械の修理は部品だけでなく、電気や設備関連の場合もあることから、これらが専門の協力会社と連携して仕事のやり繰りをしていたこともあって、修理の仕事が増えた。
手書きの事務処理からパソコン導入、業務のシステム化とCADも駆使 社内のネット環境も整備
小島社長は就任後、ICT化にも力を入れた。入社前はパソコンもなく、事務処理や事業関係の書類なども全て手書きだったという。そこで、「パソコンを導入し、事務処理のシステム化を始めたことで「コストダウンにつながった」ほか、CADも利用している。今後3D-CADを使って設計したい意向だ。
ネットワーク環境も整えて取引先とはメールで連絡するなど、業務の処理時間短縮を果たした。自社技術を広くアピールするため、ホームページの利用も必要とは感じているものの、「現状の仕事量をこれ以上増やす余裕がない」(小島社長)ため、ホームページ開設は将来的な課題という。
小島社長の溶接技術は一級品 自らの技量、経験に自信
実は、小島社長自身、工業高校生の頃に教師から溶接の出来具合をほめられたことから、「溶接が好きになった」という。その後も30年近く溶接に携わったほか、ゼネコンに出向いて鉄の厚板の溶接方法を学ぶなど、現在では「薄いものから、ある程度の厚さのものまで溶接できる」という。
溶接の難しさを尋ねたところ、鉄などの素材は製造時間によってそれぞれ特性が違う。「生き物を扱うようなものだから、溶接を覚えることには時間を惜しまなかった」という。溶接した部分の内部の品質を確認するため、超音波を使い空洞である「巣(す)」を検査するが、小島社長の加工品は巣がないものができるほどの技を持っているという。
溶接に関しては国家資格、民間資格などさまざまあるが、小島社長は「資格を取得しようとすればできるが、取得すればその技術に特化してしまう」と、資格よりも、自身の技量、経験に自信を見せる。
周りの人々に感謝の気持ちを持ちながら、着実に成長する技術者集団を目指す
新居製作所の課題は、小島社長自身が現場作業も行うため、今後も増加が予想される機械修理の依頼に応じきれないところだ。このため、機械加工や溶接などの経験者の人材を確保し、技術を教えながら、社長自身が修理に注力する体制を築きたいという。
小島社長は会社を経営できるまでになれたのは、「人と人とのつながりを大切にしてきたこと」と述懐。今後も周りの人々に感謝しながら経営者としての道を歩む考え。46歳とまだまだ若いことから、当面は最低でも現在の仕事を維持し、新入社員を入れながら、「一歩ずつ成長していく技術者集団にしたい」と、着実に歩み出している。
企業概要
会社名 | 有限会社新居製作所 |
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住所 | 群馬県桐生市相生町3丁目800-26(テクノパーク) |
電話 | 0277-53-7733 |
設立 | 1989年 |
従業員数 | 5人 |
事業内容 | 建築部材などの金属加工・溶接、工場保全用品の製造、機械修理など |