北野異人館街の歴史を辿れば【兵庫エリア】
北野異人館街の歴史を辿れば【兵庫エリア】

みなさんこんにちは!バタバタ走るよ、お祭りガールことライターのかすみです。
みなさんは神戸と聞いたらどんなイメージを思い浮かべますか?私は異国情緒溢れる港町というイメージが湧きます。

では神戸はいつ頃からそのような雰囲気を持つようになったのでしょうか。今回はそんな神戸のイメージを象徴している名所異人館街の歴史を紹介していきます。

「北野」の誕生

時は平安時代、かの有名な平清盛が京都の北野天満宮の神霊を分けて、新設した神戸北野天満神社に祀ったことで、神社の周辺地に「北野」という名前がつきました。

当時、清盛は兵庫へ遷都を計画していましたが、神戸北野天満神社の位置は忌むべき方角とされていた鬼門でした。つまり、新しい都の鬼門を鎮護するために神社は建てられたんですね。

科学のない時代は陰陽道が信じられていたので建造地まで影響しているのは面白いですよね。今もなおこの神社が現存していることにも歴史のロマンを感じます。

日本の開国と神戸港の開港

その後はのどかな村として平和な時代が続きます。

そんな村の雰囲気が一変したのは1853年ペリー来航により始まった日本の開国です。長く続いた鎖国の時代が終わり、異国の文化が日本国内に一気に入ってくるようになりました。1865年に兵庫港が開港、続いて神戸港が開港されます。

神戸港の開港は都のある京都に近いため、異人嫌いの考明天皇からは相当渋られたそうです。そのため、開港決定は6ヶ月前とギリギリに決まりました。

これにより影響を受けたのは外国人。なぜなら家がないからです。
住居の建造には当時5、6年の歳月を要しました。ようやく家ができたと思ったら、今度は土地がない。そこで、ない土地は作ろう!という動きから北野に目がつけられました。

では、なぜ北野だったのか?

北野は大通りに面した坂道の上下に広がっているため交通の便がよく、神戸の街が見下ろせる高台にあるベストスポットだったからです!景色も利便性も高い北野って素晴らしい。

私も住みたいです。

戦禍による影響第二次世界大戦と風見鶏の館

時は経過し、北野住宅街はオフィス街へと変わっていきました。
北野に平和な時代が戻ってきたかと思えば一変、第二次世界大戦を含む戦争が勃発。外国人は国外退去もしくは母国に強制送還されてしまいます。苦労して異国の地に築いたのに簡単に取り上げられてしまう現実の残酷さは計り知れないです。

残された建造物は、戦火により焼失。

風見鶏の館

戦後にわずかに残った建物も、高度経済成長期に近代的なビルやマンション•住宅に建て替わってしまいました。

そんな異人館街に転機が訪れるのは1977年のこと、NHKの連続テレビ小説「風見鶏」が放映され、物語の舞台である北野異人館街の代表的建築物「風見鶏の館」をはじめとする異人館街に注目が集まったのです。「風見鶏」では、ぎんという日本人女性が1人のドイツ人パン職人と出会い、戦争で離れ離れになっても懸命に夫を待ち続けて2人で開業したパン店を守り続ける内容となっています。在日外国人からは”われらの母”と呼ばれ慕われた女性の一代記の放送効果により、聖地巡礼など来館者数が増加し異人館街は、建物の修復や保護に力を入れられるようになりました。

こうして異人館街は神戸の一大名所になり、現在に至ります。

まとめ

いかがでしたか?
歴史を知ることで異人館街や神戸の街の魅力を深く理解し、楽しめるようになったらうれしいです!

以上ライターのかすみでした。

参考

神戸北野の歴史は平清盛から始まった!神戸港と旧居留地から町を知る HISTRIP
https://www.histrip.jp/170215hyogo-kitano-1/
神戸北野ヒストリー 神戸北野異人館街公式サイト
https://www.kobeijinkan.com/history
神戸の近代史 神戸市ホームぺージ
https://www.city.kobe.lg.jp/culture/modern_history/archive/history_01.html
NHKアーカイブス 連続テレビ小説 風見鶏
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010216_00000
風見鶏のホームズ
https://kobe-kazamidori.com/