ファミリービジネスが9割以上を占める日本において、後継者不足による倒産や廃業は切実な社会課題だ。富国のカギを握る中小企業の活性化が叫ばれる中、注目されているのがアトツギベンチャー。会社を後世に繋いでいきたい経営者にとって、意欲的な後継者が増えていくことは歓迎すべき変化である。そんな野心あるアトツギを支援し、「アトツギベンチャー」という言葉の産みの親でもある一般社団法人ベンチャー型事業承継の代表理事 山野千枝氏に継ぐ側、継がせる側の覚悟について話を聞いた。ぜひファミリービジネス永続化の手がかりにしてほしい。
【著書】
「アトツギベンチャー思考〜社長になるまでにやっておく55のこと」(日経BP)
「劇的再建:非合理な決断が会社を救う」(新潮社)
アトツギが正しく評価される社会を実現したい
――まずは山野さまのご経歴と一般社団法人ベンチャー型事業承継が設立された経緯を教えてください。
ベンチャー企業やコンサルティング会社で勤務した後、30歳の時に大阪市経済戦略局の大阪産業創造館へ転職しました。そこでスタートアップや中小企業の支援に20年ほど従事した経験が今の仕事のベースにもなっています。2018年に一般社団法人ベンチャー型事業承継を立ち上げたのですが、当時はまだアトツギに対する社会の認知も支援も充実していませんでした。ないなら作ろうということで設立した団体です。
――貴団体の事業内容について簡潔にご解説ください。
大きく2つありまして、1つはアトツギが社長になるまでに習得すべき学びを得るためのオンラインコミュニティの運営。もう1つは行政などからの受託です。スタートアップ支援から、アトツギを対象にしたベンチャー支援に予算を振り替え、アトツギ対象のアクセラレーションプログラムを始動させている自治体があり、その運営を任されています。
大きなところで言うと、中小企業庁が主催している「アトツギ甲子園」というピッチイベントの企画運営に携わっています。それともう1つ、ディープテック(※)支援も始めていまして、加工会社や素材メーカーなど技術領域の会社のアトツギを対象にディープテック化を目指そうというプロジェクトも始めています。
(※)ディープテック:社会課題を解決して生活や社会に大きなインパクトを与える科学的な発見や革新的な技術のこと
――大阪産業創造館時代にビジネス情報誌『Bplatz』編集長を務め多くの経営者と会話する中でアトツギへの価値観が変わっていったのでしょうか。
私も実家がファミリービジネスでした。20代の頃は同族経営の世界からどうにかして遠く離れようと思っていたのもあり、スタートアップ支援がしたくて大阪産業創造館に転職しました。
『Bplatz』編集長としてユニークな会社を取材する機会に恵まれた中で、スタートアップの創業者たちとアトツギの経営者たちは、アプローチこそ違えど結果的に両方ともイノベーションを起こしていることに興味が湧きました。
「爺さんが裸一貫でリヤカーを引いて始めた会社を俺の代で潰すわけにいかん」と言いながら世界に誇れる技術を生み出しているアトツギの姿、地味かもしれないけれど尊い。
日本の経済を支え、イノベーションを生んできた文化をなくすわけにはいかない。会社を繋いでいくアトツギが正しく讃えられる文化を作りたい、アトツギの魅力をもっと世の中に知ってほしいと考えました。団体設立の原点ですね。
――アトツギベンチャーとはどのような企業を指すのでしょうか。
三類型していまして、株式公開を目指していく「イグジット型」。株式公開を目指さず、オーナーシップを維持したうえで規模の拡大を目指し、地域の税収や雇用に貢献していく「地方豪族型」。規模の拡大も株式公開も目指さず、独自性と収益性の高いビジネスモデルで生き残っていく「ランチェスター型」。
当団体にはメンターと呼ばれるアトツギベンチャー経営者が全国に200人ほどいるのですが、イグジット型が15%ぐらい、地方豪族型が35%ぐらいで、残りの50%ぐらいがランチェスター型という分類になっています。
――貴団体が関わったベンチャー型事業承継の具体例をご紹介いただけますでしょうか。
昨年の「アトツギ甲子園」ファイナリストでもある大分県日田市で林業を営む田島山業株式会社は、J-クレジットを大企業に販売して山を守る仕組みを作り注目を浴びました。2024年2月にはLINEヤフーがJ-クレジットを大量購入して共同記者会見を実施しました。
同じく大分県で廃棄野菜のパウダーを作っている株式会社村ネットワークは、離乳食などへの展開ができるような商品パッケージを作っています。それに、アトツギの應和春⾹(おうわはるか)さんがもつ臨床心理士の資格を活かした働くお母さんの相談事業をサービスに交えたプラットフォームの事業化を目指してアトツギ甲子園に出場しました。その結果、予定よりも数年早く事業承継をしています。
若い世代に託していくことで歴史が繋がっていく
――後継者不足が叫ばれる昨今、後継者がいたとして誰もが順風満帆に事業承継できるわけでもないと感じます。アトツギの難しさや葛藤はどんな部分にあるのでしょうか。
同族経営の場合、後継者は30年ぐらい時代観が違う先代から引き継ぐことになります。30年違うと、見えている未来の姿も描いている危機感も違います。新しいことにチャレンジしようとする時に、周りを説得しながら前に進めていく必要があるのが特に苦労する部分です。お金の工面や事業のアイディアの有無ではなく、既存の組織の中で新しいことを始めていく難しさが一番だと思います。
――裏を返すと、継がせる側にとっても30年間のギャップが難しい部分になるのでしょうか。
継がせる側は、30年間のギャップがあることをあまり認知していないケースが多いと思います。時代の変化には気づいているけど、あと10年くらいなら逃げ切れると思ってしまっている。だけどアトツギは、10年後どころか5年後も危ういと感じています。そういう危機感が噛み合わないところは、三国志の時代から何も変わっていない同族経営の難しさだと思います。
――そういう課題を払拭、解決していくためには何が必要になるのでしょうか。
結局、どちらも意識を変えないといけませんし、社会全体が「若い世代にどんどん託していこう」というムードになっていく必要があると思います。「アトツギ甲子園」の実施はそれを目指したものです。まだ社長にもなっていないし、実印もなくお金も借りられない立場だけど、未来の経営者として表に出る機会を増やしていくことが大きな力になると思いますし、結果的に事業承継が早まるケースも増えています。
――ベンチャー型事業承継によって新しい事業にチャレンジするためには、継ぐ側と継がせる側はどんな関係性でいるべきでしょうか。
私はいつも「アトツギはだんだん社長になっていく」と言っています。たまたま経営者の家に生まれ、リーダーシップなんて発揮したことがない人たちが社長になっていくのがアトツギの世界です。その中で、与えられた権限や立場によって徐々に経営者マインドになっていくものなのです。会社によって事情があるので社長交代の時期を早められないケースもあるでしょう。でも採用や新規事業など、会社の未来に関連する取組みはアトツギに任せていくべきです。
それは先代の“物語”が残ることにもつながります。後継者が育たずに会社を潰すか売るかせざるを得なくなってしまうと、先代の物語を語り継ぐ人もいなくなってしまう。本当に会社を残したくて、自分の生き様を後世に継いでほしいのであれば、バトンを渡す準備をする必要があります。
――事業承継を円滑に進めるコツは何だと思われますか。
アトツギが会社の歴史を知ろうとする姿勢を周囲に見せるというのは大切です。表面的な、社史に載っている綺麗な話だけではなく、創業家だけが知っている黒歴史や秘話がどの会社にもあるものです。それを乗り越えて今の社風が生まれているのだとか、その反省から今があるのだということを共有することで、関係がほどけていくのです。
先々代が生きているうちに聞いておかないと誰もわからなくなるとか、どんな理由でもよいのですが、それを先代と一緒に聞きに行く。結果的にそういう無形資産が会社のブランディングに使われるようになったり、先人に対するリスペクトを見せるきっかけにもなったり、会社の信頼性に繋がるところもあるので、すごく価値のあることだと思います。
――最後にアトツギベンチャーが壁を乗り越えていくためのアドバイスをお願いします。
よく「先代を投資家と思え」と言うのですが、意思決定者が先代である以上、大規模な予算を組んでもらうなど、組織を動かすための意思決定をしてもらうには交渉するしかありません。その際に、ロジカルに攻めてもあまり奏功しないのが同族経営です。
前職での経験や学歴、MBAなどをひけらかして賢そうにやると余計に反発を買う場合もあるのです。極論かもしれませんが、細々とステルスで始めてプライドを捨てて泥臭く取り組み、小さな結果を出すことで説得する。それしかないと思います。
継がせる側がアトツギに対して、人間としても経験値も未熟で、まだ頼りない、リーダーシップが足りないと感じるのは仕方のないことです。ただ、今の時代観を持つアトツギのほうが10年後を予測する力は圧倒的に優れているはずです。アトツギにどんどん任せていってほしいと思います。