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埼玉県本庄市から利根川を渡ると到着する群馬県伊勢崎市。そこにある従業員15人、しかも過半数が女性という小さな企業が、情報通信機器や医療機器、金融端末筐体などに用いる各種部品の生産を幅広く手掛けている。会社の名は「ユーエスケイ」。少量ながら多品種で単価の高い製品の製造を手掛ける企業として、全国から同業種の見学が引きも切らない企業となったが、ここに至るまで、常に新たな設備やシステムを導入する不断の努力を続けてきた。
小規模でありながら、決して安くはない設備やシステムの必要性を見極めて積極的に導入、そこからさらに浮かび上がる課題を洗い出して次なる投資につなげ、会社を発展に導いてきた。(TOP写真:インタビューに応える内田勉代表取締役)
家内工場から工場移転と機械導入で8,000万円の投資を決断
1991年、株式会社ユーエスケイは内田社長の父が脱サラして1人で創業した。「顧客から仕事を受けてその製造を協力会社にお願いし、納品するという、ある意味商社みたいな形の仕事だった」(内田社長)という。当時、内田社長は金型製作の会社で働いていたが、1996年から父の会社の手伝いを始めた。「その際に(薄めの板金素材を曲げる際に使う)プレスブレーキなど、中古の機械をもらい受けるなどして導入した」という。すでにこの頃から新規システムや設備の積極導入という萌芽が現れていたことになる。
数年後、父が脳出血で倒れ、本業に戻れず引退することが決まり、必然的に内田社長が1人でユーエスケイを切り盛りしていく状況となった。当時は製品の曲げ加工しかやっていなかったものの、型抜きができる「タレットパンチプレス」という機械の購入をメーカー側から打診される。時を同じくして、現在の工場がある伊勢崎市戸谷塚町の敷地が売りに出る、と取引のあった金融機関の支店長から知らされた。機械は約4,000万円。土地購入は約3,700万円。移転費用も含めれば、ざっと8,000万円が必要だったが、「金融機関が貸してくれることになった」ことで、機械購入と工場移転を決断する。2005年のことだった。
金型業界での1,000分の1ミリの製品づくりの経験が生き、製品加工での「オタスケマン」のもとへ仕事続々
移転による〝第二創業〟を機に、1人での仕事からパート従業員を5人採用。しかし、内田社長自身は午前7時に出勤、9時頃まで納品を受けつつ各機械の稼働準備を整え、さらに午後5時からは別のアルバイト2人を雇い、夜10時頃までの作業をしていた。これが3年ほど続いたという。「当時は大量生産の部品ばかりを受注していて時間が足りず、今だから言えるが、機械をセットしてウトウトしていたこともあったほど」と苦笑しつつ振り返る。
金型業界での経験も生きた。「金型業では1,000分の1ミリの製品なども作っていた。今は精密板金加工などを掲げているけれど、100分の1ミリ台の精緻さを求められることはあまりなく、あってもコンマいくつかの世界」。それゆえに多少の細かさを求められる製品の加工についても「大丈夫」と簡単に請け負っていた。そのうち、「納期ギリギリ」「値段がギリギリ」という注文も舞い込むように。内田社長曰く、こうした「オタスケマン」的な仕事が、顧客から顧客へ紹介を呼び、「営業回りもあまりせずに仕事が集まっていった」。
さらに、値段などが見合わず他社で断られた仕事に対して「ここをこうすれば値段は安くできる」「この部分はこうしたらどうか」といった提案も顧客にしていた。いわゆるVA(バリューアナリシス)、VE(バリューエンジニアリング)提案を当時から推進していたのだ。
リーマン・ショックで週休5日!大量生産から多品種少量生産へ切り替える
だが、2008年のリーマン・ショックで環境は一変する。「仕事はなくなり、週休5日に。父が始めた頃に手掛けていた数をいっぱい作るものは、その頃から中国に生産が移って、注文そのものがなくなった。それに量産はやっても儲からない」と、単価の安い部品の大量生産から、ロットは小さくても付加価値の高い製品への脱却を目指すことに。そこで痛感したのが、新たなシステムの必要性だった。
多品種少量だからこそ、人間の手ではなくシステムの手を借りる そのための最新の設備とシステムが必要だった
「最新の設備が常に最強」という信念に基づき新規投資を行っていった。しかし設備のセッティングや設備から次の設備のセッティングに手間がかかる。「多品種少量の生産は、一品一様。毎回、人間の手では間に合わないし不確実さも残る。それならばシステムの力を借りよう」そこから自動でネスティングなどのプログラムを作るシステムをはじめ、さまざまなシステムを入れることになった。
「極言すれば、機械はどの機械で曲げても抜いてもそんなに大きくは変わらない。ならば段取りや準備をなくして稼働率を上げることで、納期に間に合い、売上の増加にも直結することを考えればいい」と内田社長は思った。
プログラムを作るソフトは約1,500万円で導入。そのプログラムを、作業現場ではバーコードで呼び出すことにより、機械が自動でセットするシステムを導入し、生産に費やせる時間をさらに増やした。
同業者には「そんなに新型設備を入れてもすぐに新しい仕事が来るわけではないから過剰投資だ」と言う人もいたが、新型設備を入れるたびに、仕事ぶりの評価が高まり仕事は増えて売上も順調に伸びていった。
女性従業員過半数の現場、誰でも全工程に入れる作業標準書を作成
製造工程のシステム化を進めることによって、職人の技術に頼らない進め方が可能になった。その結果、現在従業員15人中9人が女性従業員。しかも全員が正社員だ。各工程には熟練のリーダークラスが1人ずついるが、その他は必ずしも熟練者ではない。更に作業員の多能工化を推し進め、従業員による作業標準書を作成。誰がどの工程に入っても作業ができるように、普段はその工程に入らない従業員からの意見をくみ取って、標準書のバージョンアップを進めている。
クラウドを活用しさらなる迅速化、SNSで新規顧客も開拓
仕事が増える中で、3D-CADデータやPDF、JPEG画像など大容量のデータ受信や保存に大きな負荷がかかるようになってきた。これには4TBのサーバー導入、さらにクラウドを活用することで解決した。
現在、システム支援会社と金属加工機械メーカーとの共同提案で、システムに合った注文書のひな型を作り、品名から数量、納期、金額まで顧客に直接入れてもらうことによって、その製造開始の手配や購入品の在庫引き当てなどまでできる定型業務の自動化ソフトの導入を間近に控えている。
新規顧客の開拓にも余念がない。効果的に活用しているのはインスタグラムやユーチューブなどのSNSだ。
「ホームページの会社紹介は一度見に来たら、普通は二度目に見に来ることはない。SNSなら毎日更新して、そこにいろんなイベントをちりばめながら、『こんな製品の製造が得意だ』というのも見せることができる」(内田社長)
実際、これまで全く縁のなかった名古屋の企業や、インスタグラムのフォロワーから新規に注文の依頼があった。
「究極的に言えば、M&A支援企業から高く評価されるような価値のある会社にしていきたい」という内田社長。そのためには、最新の設備やシステムを他社に先駆けて積極的に導入すると共に、製造システムと業務システムとの連携を図ることで、事務作業の軽減はもちろん、情報の見える化を推進する。また工場の可視化を進め、無駄の排除と顧客対応力を強化し、新たな提案力を身に着ける方針に揺らぎはない。
企業概要
会社名 | 株式会社ユーエスケイ |
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住所 | 群馬県伊勢崎市堀口町312-2(本社・倉庫)、同市戸谷塚町288-1(工場) |
HP | https://usk1991.jp |
電話 | 0270-31-0350 |
設立 | 2007年6月(創業1991年1月) |
従業員数 | 15人 |
事業内容 | プレス板金加工、精密板金、スポット溶接、各種溶接、機械加工、組立、検査、各種設計製作 |