人的資本が重要視される今、社員が退職してしまうことは企業にとって大きな痛手となるケースが多く、各社では退職率を改善するために様々な取り組みを行っています。本連載では、退職トラブルの原因・解決策について、退職トラブルに悩む企業へのコンサルティングを行う佐野創太氏にフェーズごとに数回にわたって解説してもらいます。
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【第1回】5年連続、新人が入社後半年で退職…原因はたった1つのあること
【第2回】「本当は第一志望の企業じゃなかったんです…」 なぜ第二新卒で退職してしまうのか
【第3回】「ロールモデルがいないので退職します」と話す中堅社員の本音
【第4回】エース社員の「燃え尽き退職」が手遅れになる前に〜予防策は「引き算のマネジメント」
「管理職の退職」は、経営リスクでもある
「倒産が頭をちらついた退職があってね。退職にはある程度慣れたけど、あれはきつかった」
メーカー企業の社長と話している中で、話してくださった退職談義です。
「管理職が退職した時は、一緒に辞める社員が続出してね。一時期、その部署は営業ができなくなって顧客にも迷惑かけちゃったよ。久しぶりに現場に出て謝罪する日々で、あのときの記憶はあんまりないほど…」
最もダメージが大きい退職は、管理職の退職です。
「●●さんについていきます」と退職が連鎖したり、顧客と築けていた深い関係を失ったりと、ひとりが退職した以上の影響が広がります。
管理職の退職は、経営リスクです。
管理職自身も責任の重さを理解しています。寄せられるキャリア相談でも「会社の辞め方」が多いです。
例えばこんな声がありました。
ある製薬会社の管理職の方が相談にいらした時のことです。
「自分でいうのもなんですが、うちの管理職は自分で営業もするし部下のサポートもするしで、部署の要です。私も例外ではありません」
「私は独立することを決意しました。でも、私が会社を辞めたら会社に迷惑がかかることもわかっています。一年くらいかけて準備するつもりです。どんなスケジュールで考えたらいいでしょうか」
通常の退職は引き継ぎも含めて「2〜3カ月」でと考えられることが多いですが、管理職ともなると「一年以上はかかるのでは」と本人もわかっています。無責任ではないのです。
それくらい熟考してのことですから、会社へのダメージも大きく、かつ引き留めもほとんどの場合は不可能です。
しかし、なぜ管理職は退職を決意してしまうのでしょうか。いち社員と比べると権限も大きくなり、待遇も上がることがほとんどなはずです。順調にキャリアアップしているのではないのでしょうか。
管理職になっても、幸せにならない
ほとんどの経営陣は社員を管理職に抜擢すること、つまり「昇進=報酬」と考えています。
実際に管理職になった人はどう感じているのでしょうか。調査を見てみましょう。
拓殖大学の政経学部の教授である佐藤一磨氏の、2022年の分析があります。
慶應義塾大学が実施している『日本家計パネル調査』を用いて、管理職への昇進と幸福度や健康の関係を分析しています。このデータは2011〜2020年までの男性約1万4000人、女性約1万3000人を分析対象とし、分析対象の年齢は退職前の59歳以下です。
佐藤氏は論文「管理職での就業は主観的厚生と健康にどのような影響を及ぼしたのか」の中で、以下のように結論づけています。
男女ともに管理職への昇進前後の数年間で幸福度に変化は見られなかった。しかし、女性では管理職に昇進した2年後、男性では管理職に昇進した1年後以降に主観的健康度が悪化していた。
ショッキングな分析かもしれません。「管理職に昇進しても幸福度は上がらない。健康は悪くなっている」のです。報酬であるはずの管理職への昇進は、報酬といえるほどプラスの効果を持っていないと考えられます。
また、パーソル総合研究所の国際比較調査でも以下のような結果が出ています。
●日本で働く人で管理職志向があるのは21.4%
●「会社で出世したい」かどうかは5段階中2.9
●以上の結果は14の国・地域で最下位
これらの調査結果は、人事評価や会社づくりを見直すきっかけになるかもしれません。
実際に、私が”選手層の厚い組織づくり”である「リザイン・マネジメント」をご一緒している企業では、管理職への昇進を「危機状態」と捉えるように変更しています。
管理職の退職には、「共通の原因」がある
「管理職に昇進することは必ずしも幸せではない」と、最新の研究でわかりました。
とはいえ、会社としては社員には昇進してもらって、若手をまとめたり経営の一端を担ったりしてほしいと考えることが自然です。
管理職が退職してしまう原因は、特定できるのでしょうか。 確かに、複数の要因が複雑に絡まっていて一つに特定することは難しいように思われます。
キャリア相談で当事者たちに聞いても
「仕事の範囲が広すぎて何をしてるかわからなくなる」
「ストレスは増えたが給料はそれほど変わっていない」
「競合他社の方に将来性を感じる」
「親の介護をするために実家に帰る」
などと多様です。
その中でも複数の管理職の方に「いつから退職を考えるようになりましたか」と聞いていると、共通点が見えてきました。こんな声が多いのです。
●社長が掲げているビジョンをあいまいに感じるようになってから、部下の育成に身が入らなくなった
●幹部会議で怒鳴ってばかりの経営陣を見ていると、「あんな風にはなりたくない」と思ってしまう
●いつまで経っても権限を降ろそうとしない社長に愛想が尽きた
「退職の引き金」は共通しているようです。
「経営陣との不一致」です。
引き金は経営陣の方針や身の振る舞いに疑問を覚えたことだったのです。それから「あれもこれも不満を感じるようになった」と話しています。
経営陣と管理職の間に生じたミゾは、退職にまで広がるようです。
経営陣と管理職の「ミゾ」は2つの”助走期間”で埋める
経営陣と管理職の不一致は、どうして発生するのでしょうか。
管理職は社員の中でも優秀であり、経営陣が認めた人材です。退職にいたるまでの不一致になる可能性は低いとも考えられます。
しかし、経営者と管理職の双方の話を聞いていると、「ミゾ」がわかってきました。それは、経営陣と管理職とでは、「管理職の定義」がまったく異なることが多いのです。以下のように集約されます。
●経営陣は、管理職を「経営幹部の新人」と捉えている
●管理職は、管理職を「社員のトップ」と捉えている
「認識のミゾ」とも呼べるものが、経営陣と管理職の間にはあります。
これによって経営陣は管理職に対して「部下に対して目標を必達するようにマネジメントできていない」であったり、「いつまで経っても意思決定を委ねてばかりで社員の頃と変わらない」などの不満を抱えます。
このミゾは深いものですが、解決策はシンプルです。
管理職になる「2つの助走期間」を設けることで、効果を得られています。
管理職になる前、つまり昇進を打診して受け入れてから実際に辞令を出すまでの半年〜1年くらい前がひとつの助走期間です。
もうひとつは管理職になってからの半年〜1年程度です。
管理職”前後”の助走期間で、経営陣と管理職のコミュニケーションの頻度を増やします。具体的には「管理職の定義」を伝えることからはじまります。
助走期間にコミュニケーションをとった経営者と管理職の実際の声はこちらです。
●経営者の声
ここまで管理職が「何もわかっていない」ことがわかってよかった。あのまま管理職にしていたら潰れていたかもしれない。「経営幹部の新人」なんだから、新入社員の頃のようにまた何でも聞いて、失敗するところから始めてもいいことが伝わって、安心していたようだ。
●管理職の声
正直「現状維持でいいのに」と思っていたので、管理職になったことには驚いたし戸惑っていた。「社員の見本になったらいいのかな」くらいの認識しかなかったけれど、社長の期待が行動レベルで伝えられてよかった。また一からやり直す感覚になっていて、いまは楽しみもある。
管理職を「勝手に育て。見て盗め」と放置していると、経営リスクとも呼べる退職を招きます。
「管理職は経営幹部の新人だ」という認識を共有すると、選手層の厚い組織になるきっかけとなります。
「管理職は社員としては確かにトップクラスに優秀である。しかし、経営者としてはまた一から始まる」
経営リスクを未然に防ぎ、選手層の厚い組織をつくるために、管理職になる”2つの助走期間”を検討いただければと思います。