うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)

目次

  1. 創業1918年。荒物商から学校教材販売を経て、ICTソリューションの提供を展開する百年企業へと成長
  2. 大学卒業後入社した大塚商会で「仕事は自分で作るもの」という気概を叩き込まれる。4年半勤め、ICT事情の見聞を深めるために渡欧
  3. 視察先のフランスでは、「パソコンを使ってなにがしたいんだ?」と問われる
  4. バカンスでキリマンジャロに行くはずが、アフリカ到着3日目に内戦が勃発。アフリカ各地をさまよった9ヶ月間で得た「生き抜く極意」
  5. 行方不明の息子が帰ってきた!と大騒ぎに。帰国後は家業に入社し、2003年の社長就任を経てICTソリューションカンパニーへと歩みを進める
  6. プロジェクションマッピングの用途開拓をはじめ、メタバースの活用も積極的に推進。蓄積してきたコンテンツをさまざまな分野で活用し、拡張性のある会社を目指していく
  7. アフリカで学んだ「人間は死ぬ時は一人。でも、一人では生きていけない」。それが地域貢献につながり、社員の働き方改革につながった
  8. 生き抜くためには、自分で仕事を開拓することが大原則。やらないで後悔するより、いろんなことを食いかじっていきたい
  9. 「ローカル情報にこそ価値がある」。地域に密着した情報発信に注力し、人と人をつなぐお手伝いがヨコタの果たすべき役目
中小企業応援サイト 編集部
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日本は創業100年を超える企業が世界で最も多い国である。帝国データバンクの調査によると2022年8月時点で業歴100年を越える老舗企業は、40,409社。これらの企業が長きにわたり生き残ってきたのはなぜか。それは、時代に応じた大胆かつ柔軟な企業戦略と、それを支える事業基盤が両輪にあるという分析がなされている。栃木県真岡市に本社を置く有限会社ヨコタもそうした企業のひとつだ。(TOP写真:2015年から4年間指定管理者として運営に携わった真岡市情報センターで実施したプロジェクションマッピング)

同社は1918年に紙や日用雑貨を扱う荒物商「横田紙店」として真岡市で開業。1955年ごろからは学校教材の販売を手掛けている。さらに1980年からはOA機器の取り扱いを開始し、1990年代以降はICT分野に参入。システム開発事業やICTソリューションのサポート、メンテナンス事業、Webコンテンツ制作事業も手掛け、地元企業や学校、官公庁とのネットワークを生かした事業活動を展開している。

同社が今志すのは地域に必要とされるデジタル支援企業としての役割を担い、幅広いサポートができる企業へと発展していくことだ。そのために地元企業へのICTコンテンツの提供やサポートを行うと同時に、ICT教育の提供を通じて地域住民に対するICT啓蒙を手掛ける事業にも力を注いでいる。それは、ビジネスを超えて地域における自らの役目を果たそうとする取り組みでもあった。

創業1918年。荒物商から学校教材販売を経て、ICTソリューションの提供を展開する百年企業へと成長

うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)
東日本大震災で被災した時に横田家の土蔵から見つかった「真岡町案内」には、町の主要事業者の一覧がある。この冊子にはヨコタ初代にあたる横田茂八郎の名が荒物商として記載されている

創業家である横田家の来歴は18代前の小田原にさかのぼる。先祖は剣術指南役として栃木県に来県したと伝わるという。そして大正時代に入ると、現在代表取締役を務める横田透氏の祖父が荒物商を開業した。当時刊行された「真岡町案内」には店名が掲載されているが、この冊子に掲載されるのは開業20年以上の企業に限るというもので、当時すでに大店(おおだな)であったことがうかがえる。

学校への教材販売を始めたのは、横田社長の父の代からだ。当時は戦後のベビーブームに沸き、子どもを対象とする商売は右肩上がりだったことは想像に難くない。同社がここで培った学校関係とのネットワークは地域密着企業としての基盤を固めた。そして1980年代に入るとOA機器の取扱事業にも着手する。少子化を迎えた今から見れば、もし教材販売だけであったら先行きは厳しいものになっていただろう。常に先を読み、長期的な視点での経営戦略は3代目の横田社長にも引き継がれた。

1987年に家業に入った横田社長は2003年の社長就任以来、ICTソリューション事業に力を注いできた。おそらく横田社長の目にはOA機器販売だけでは先が見えているという将来予測がすでにあったはずだ。大学を卒業して4年半勤めた大塚商会での経験や、同社退職後にICT技術の実地視察を目的に滞在したフランスでの見聞も背景にあっただろう。

大学卒業後入社した大塚商会で「仕事は自分で作るもの」という気概を叩き込まれる。4年半勤め、ICT事情の見聞を深めるために渡欧

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有限会社ヨコタ代表取締役の横田徹氏。学生時代は陸上競技に打ち込み、20代でICT技術を視察するために渡欧。内戦に巻き込まれて9ヶ月間アフリカをさまよう経験をしたタフな人物である

同社がOA機器販売を開始した翌年、創業者から3代目にあたる横田社長は大学を卒業後システム機器販売大手の大塚商会に就職している。学生駅伝の強豪校として知られる早稲田大学の陸上部に所属しており、部活動に打ち込んできた。「当時は大学のスポーツ部に所属していた学生は企業から引く手あまたで、すぐに就職が決まったものでした」

横田社長もすでに大手商社への内定が決まっていたが、父の指示で大塚商会での面接を受けた。しかし、面接担当者はそれを見透かし、「なんで来たの?うちは厳しいよ。仕事は自分で作る会社だからね」と、そっけなかった。しかしそれが、心に火をつけた。「その場で『(採用を)お願いします』と伝えました。そしたら、びっくりされて『親御さんに相談したほうがよくない?』と言われましたね」とその時の様子を懐かしそうに語る。「レールに乗っかりたいという人はいらない」という理念に共感した横田社長だった。

入社すると新規顧客開拓のために飛び込み営業に励んだ。もちろん応じてくれる企業は多くはない。しかし、横田社長は「厳しいのをわかっていて飛び込んだから、やめたいとは思いませんでしたね」。さらに、決裁に時間を要するため敬遠されがちだった官公庁や学校にも営業をかけ、着実に営業成績を伸ばしていった。そして同社で4年半を過ごしたのちに退職。1986年に日本商工会議所の支援を受け、海外のコンピューター事情を視察するために、単独でフランスに渡航した。このフランス行きは横田社長の人生において、極めて貴重な経験をもたらすことになる。

視察先のフランスでは、「パソコンを使ってなにがしたいんだ?」と問われる

1980年代半ばごろ、日本ではパソコンの普及が進みつつあったが、家業に入る前に海外の活用状況を自分の目で確かめたかった。視察先として赴いたフランスの現地企業の多くは、当時汎用コンピューターの分野で市場を席巻していたIBMのパソコンを使っていたという。

6ヶ月の滞在期間で横田社長が最も印象に残ったのは「日本人はパソコンを使ってなにがしたいんだ?」と問われたことだったという。「つまり、ビジネスが先にあってコンピューターというツールがある。これで何をしたいかが最も重要なんだということを指摘されたんです」。新しいツールは魅力的だが、使う目的を見失ってはいけない、そう肝に銘じさまざまな現場を見聞し、充実した視察期間を全うした。だが、そこで帰国とはならなかった。

バカンスでキリマンジャロに行くはずが、アフリカ到着3日目に内戦が勃発。アフリカ各地をさまよった9ヶ月間で得た「生き抜く極意」

うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)
アフリカをさまよっていた時期は、現地住民の集落で生活をともにする経験もした青年時代の横田社長

フランスではバカンスの時期に突入したため、横田青年もバカンスを使ってアフリカのキリマンジャロ観光をすることにした。ところがアフリカに到着して3日目、現地で内戦が勃発するという非常事態に巻き込まれてしまう。

危険を回避すべくウガンダ、ザイール、タンザニアとさまよい続けること9ヶ月。マラリアに感染し、ライオンと遭遇して死を覚悟し、ウガンダでは収容所にも入れられた。現地住民の集落で滞在した時は蜂の巣取りを手伝い、やがて日付の感覚もわからなくなっていった。まるで冒険家のような濃厚な日々を過ごした横田青年だが、意外にもその時の体験は楽しかったと振り返る。「当時は小田実の『何でも見てやろう』という本が若者たちに人気で、それを読んだ人たちがけっこう海外でバックパッカーみたいなことをしていました。僕もそういう仲間に遭遇しましたよ」。わずかな金を手に、若者たちが世界を見てやろうとこぞって旅をする時代だったのだ。

そしてついに、横田青年は親切な長距離トラック運転手との出会いによって無償でトラックに乗せてもらうことができ、タンザニア経由でフランスに戻ることができた。「国境を通過する際にお金を要求する人もいれば、こんなふうにただでトラックに乗せてくれて、その上お金までくれる人もいる。世の中にはいろんな人がいるなと思いました」。そんな横田青年がアフリカで感じたのは「人間は死ぬ時は一人、でも、一人では生きていけない」ということだった。アフリカでの経験は「自律的に生きること」、そして「仲間と共に助け合って生き抜くこと」を心に刻んだ。ちなみに、当初目指したキリマンジャロ登頂も果たすことができたそうだ。

行方不明の息子が帰ってきた!と大騒ぎに。帰国後は家業に入社し、2003年の社長就任を経てICTソリューションカンパニーへと歩みを進める

うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)
1987年に竣工したヨコタの社屋。栃木県真岡市の中心部にある

フランスに戻ったものの所持金がないため、3ヶ月間皿洗いのアルバイトをして帰国費用を稼ぎ、ようやく日本に帰国した。実家では行方不明になっていた息子が帰って来たと大騒ぎになった。そして1987年、28歳の時に家業に入社。手始めに、これまで営業をしてこなかった民間企業や工業団地などを営業して回った。

横田社長が入社した1987年頃は日本ではパソコン通信が行われていた時代で、通信規格や接続方式が進化していった時期にあたる。そして、1990年代後半に入るとインターネットが普及し始め、人々の生活はICTによって大きく変わっていった。社長に就任した2003年を経て今に至るまで、同社の事業はこの動向とともにダイナミックに変遷していく。

うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)
若手を中心に構成されているWeb事業部のスタッフ。企業のホームページ制作や、プロジェクションマッピングのコンテンツデザインなどを手掛けている

特筆すべきは、1990年に横田社長がシステム開発を手掛ける会社を設立したことだ。1980年代から1990年代にかけて、日本の企業は自社独自の情報システム構築を外部委託するケースが多く、システム構築のスキルが蓄積していなかった。その取り組みは時流を読んだ行動といえるだろう。すでにハードウェアで稼ぐ時代から、ソリューションを提供する時代に移り変わっていたのだ。

現在同社ではハードウェアやソフトウェアの販売も手掛けているが、特に力を入れているのが、ITサポートとデジタルコンテンツの企画・開発だ。2016年には早くもプロジェクションマッピングの制作をスタート。2019年にはWeb事業を立ち上げ、動画やECサイトなど顧客のニーズに合致する機能性を持つホームページを独自に制作。2021年にはITサポート事業も設立し、独自サーバーの構築やIT保守管理・サポート、メンテナンスを提供している。

そして2022年には真岡市で初となるプログラミング教室とパソコン教室を開始するなど、ICTソリューションカンパニーとして精力的に取り組んでいる。ただし、プログラミング教室とパソコン教室はどちらかといえば地域貢献として捉えていおり、「地域のプラットフォーム的な存在として、地域の人の力になりたいんです」という気持ちを明かす。横田社長にとって『(真岡市で)うちがやらなきゃ、誰がやる!!』という気概によるアクションだったのだ。

プロジェクションマッピングの用途開拓をはじめ、メタバースの活用も積極的に推進。蓄積してきたコンテンツをさまざまな分野で活用し、拡張性のある会社を目指していく

うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)
プロジェクションマッピング制作にも取り組み、地元を中心とする各種イベントや地域活性化拠点、商業施設などへの提供にも力を入れている

「これまで蓄積してきたデジタルコンテンツを、今後もっと活用していきたい」と語る横田社長が今後期待を寄せるのが、メタバースの企画・開発事業だ。すでに制作会社との協業によるプロジェクトを進めており、3Dアバターを使ったインタラクティブなコンテンツの企画開発に取り組んでいるという。

この取り組みは、地域における情報発信を担う「真岡市情報センター」の指定管理を手掛けた2015年からの4年におよぶ実績が土台にある。同センターではパソコンを使ったゲームやプロジェクションマッピングも取り入れ、子どもたちがデジタルコンテンツに触れる場にもなった。同社では、このプロジェクションマッピングをイベント会場や商業施設などでのデジタルアトラクションとしても展開しており、今後はさらに3Dアバターやホログラムなどを用いたメタバース空間を構築し、ARやVRコンテンツとして発展させていくことを構想している。そうなると、児童発達支援や高齢者施設、病院などでの活用も期待できるかもしれない。

アフリカで学んだ「人間は死ぬ時は一人。でも、一人では生きていけない」。それが地域貢献につながり、社員の働き方改革につながった

うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)
同社で開催しているプログラミング教室「HALL」には地元の子どもたちが集まり、ICTリテラシーを高める拠点としての役割も担う

「アフリカで感じたのは、人間は死ぬ時は一人。でも、一人では生きていけない、ということでした」と死生観を語っていた横田社長は「今でも、なぜここまで生きているのだろう、と思うことがある」という。そして「ぼーっとしている時間も大切ですが、私は生きている実感を大切にしたいと思う。それが、『自分は何のために生きていくか』という理念につながっています」と続けた。

地域貢献に意欲的に取り組む姿勢の礎にはアフリカで多くの人たちと触れ合い、協力し合い、助けられて生き延びた経験が深く関わっているのではないだろうか。だからこそ、横田社長はNPO法人など地域活動を担うプレイヤーたちへの支援も惜しまない。そして、その眼差しは社員に対しても向けられている。

ヨコタでは働き方改革の一環として、2022年から勤務時間に応じた短時間正社員という枠組みもつくり、育児や介護によりフルタイムで働けない社員にも柔軟に応じている。基本給も一律とし、経験年数や実績によって評価する仕組みを導入した。「一人ひとりに能力差があります。それも込みで会社であり、社会です。いろいろな人を受け入れていくことが大切なんです」

生き抜くためには、自分で仕事を開拓することが大原則。やらないで後悔するより、いろんなことを食いかじっていきたい

うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)
地域で初となるプログラミング教室はWeb事業部の入る社屋で開催。パソコン教室は大人たちの交流の場ともなっているそうだ

「1勝19敗でもいいんです。できないことも多いけど挑戦したほうがいい。とにかくやってみよう、というスタンスです」と話す横田社長。まさに移り変わりの早いこの時代に必要な精神であるだろう。それは、若き日の横田社長が体現した「生き抜くこと=自分で仕事を開拓していくこと」にほかならない。

「ローカル情報にこそ価値がある」。地域に密着した情報発信に注力し、人と人をつなぐお手伝いがヨコタの果たすべき役目

うちがやらなきゃ、だれがやる! ICTソリューションを武器に、地域企業デジタル化の旗手として貢献する100年企業 ヨコタ(栃木県)
企業のホームページ作成代行や各種デジタルコンテンツ作成を手掛けるWeb事業部のスタッフ

日本では都市部と地方都市の格差が長年報じられてきたが、ICTの恩恵によって情報格差は解消されつつある。そして、人口減少時代に突入した今、空き家問題や独居高齢世帯への支援、子育て支援など、都市部も地方都市も課題が共通のものとなりつつある。そこで要となるのがICTを活用した情報発信や支援の取り組みであり、地域に軸足を置いたICTのソリューション企業としてのヨコタの価値がある。

地域の歴史を担ってきた一企業として、地域のニーズに応じることを自らの役割と捉えるヨコタの姿勢はぶれることがない。鳥の目で自らの立ち位置を見つめて先を読み、鋭い動物的直感を発揮する横田社長のリーダーシップ。
「やらないで後悔するより、いろんなことを食いかじっていきたい」と次々と挑戦を続けるヨコタの取り組みに注目したい。

企業概要

法人名有限会社ヨコタ
所在地栃木県真岡市田町2205
HPhttps://yokota-office.co.jp
電話0285-82-4246
設立1968年7月(創業1918年)
従業員数24人
事業内容 IT機器・IT周辺機器販売、ITサポート、WEB事業、オフィスファニチャー・文具・事務用品販売、たのめ~る通販、Softbank商品取扱