1980年代のアメリカ芸術を代表する二人のアーティスト、アンディ・ウォーホルとジャン=ミシェル・バスキア。二人の間に交友関係があり、共同で作品制作もするほど仲が深かったのは知っている人も多いはず。しかし、1987年にウォーホルが急死すると、そのわずか一年後にバスキアも27歳の若さでこの世を去ってしまっている。二人が出会って10年足らずの間に一体何があったのだろうか?二人の天才アーティストが築いた関係を深掘りしてみる。

左:アンディ・ウォーホル、右:ジャン=ミシェル・バスキア ©︎LIZZIE HIMMEL
(画像=左:アンディ・ウォーホル、右:ジャン=ミシェル・バスキア ©︎LIZZIE HIMMEL)

出典:https://artistandstudio.tumblr.com/

二人の出会い

1979年、バスキアはウォーホルがマンハッタンにあるレストランで食事をしているところ見つける。1976年からグラフィティユニット「SAMO」として活動していたバスキアは、自身を新進のアーティストだと自己紹介した。ウォーホルと一緒に食事をしていたアメリカ現代美術のキュレーターのヘンリ・ゲルツァラーはバスキアを「若すぎる」と興味を示さなかったが、ウォーホルはバスキアのポストカードを1ドルで購入した。

バスキアは1980年から活動の場をストリートからギャラリー、そして美術館へと移行させ、本格的にファインアートの世界へと参入を始めた。1981年には、ウォーホルやキース・ヘリングらと共に「MoMA PS1(ニューヨーク近代美術館の別館でコンテンポラリーアート部門専門の展示施設)」で開催された「New York/New Wave」展に参加し、多くのギャラリーの注目を集めた。

「New York/New Wave」で展示された作品 (ロンドンのバービカンで開催されたバスキアの展覧会「Boom for Real」での再現展示)
(画像=「New York/New Wave」で展示された作品 (ロンドンのバービカンで開催されたバスキアの展覧会「Boom for Real」での再現展示))

出典:https://www.dazeddigital.com/ © The Estate of Jean-Michel Basquiat, Licensed by Artestar, New York

出典:https://www.dazeddigital.com/ © The Estate of Jean-Michel Basquiat, Licensed by Artestar, New York

1982年、バスキアはウォーホルのスタジオ「ファクトリー」を訪れ、スイスの美術商/コレクターのブルーノ・ビショフベルガーによってウォーホルに正式に紹介された。実は、このビショフベルガーがマンハッタンで絵を描いているバスキアを発見したことが、バスキアが本格的に活動を開始するきっかけである。

左から:ウォーホル、バスキア、ビショフベルガー。右は芸術家のフランチェスコ・クレメンテ
(画像=左から:ウォーホル、バスキア、ビショフベルガー。右は芸術家のフランチェスコ・クレメンテ)

出典:https://www.brunobischofberger.com/collabs-origin

友情に火をつけた一枚の絵

ビショフベルガーがランチをセッティングし、ウォーホルとバスキアはすぐに意気投合。ウォーホルはその時にポラロイドカメラで二人のセルフポートレートを撮影した。ランチを終えてバスキアが家に帰ると、わずか2時間以内に、その写真をもとに描いた二人の絵がウォーホルの元へ送られてきたという。「絵はまだ濡れていた」とウォーホルは当時のことを回想している。

美術史家のトニー・モリスは2020年の論文で、「この行動はバスキアのウォーホルに対しての熱い承認欲求からくるものだったかもしれないが、自分がいかに短い時間で制作できるかをウォーホルに示す目的もあったかもしれない」とも述べている。いずれにせよ、《Dos Cabezas》と名付けられた絵は二人の友情の火をつけ、関係の始まりを示す象徴的な作品となった。そうして二人のコラボレーションが始まり、ウォーホルはバスキアのキャリアを後押ししていくのである。

《Dos Cabezas》(1982) 出典:https://www.vanityfair.com/
© THE ANDY WARHOL FOUNDATION FOR THE VISUAL ARTS, INC.

互いに影響を与えあいながらの制作

ビショフベルガーの働きかけによって、二人は1983年から共同で制作をするようになる。バスキアがウォーホルに初めて会った日にキャンバスを贈ったことから、ウォーホルとバスキアの間で絵画の交換が続けられた。

共同で作業する様子 © THE ANDY WARHOL FOUNDATION FOR THE VISUAL ARTS, INC.
(画像=共同で作業する様子 © THE ANDY WARHOL FOUNDATION FOR THE VISUAL ARTS, INC.)

出典:https://www.vanityfair.com/

二人の共同制作は、ウォーホルのポップアートの手法とバスキアの衝動的で予測不可能なアプローチを組み合わせた、文字通りに二人のスタイルを融合した作品が生み出された。例えば、《Arm And Hammer II》は、アメリカの重曹のブランド「アーム&ハンマー」のロゴ、《Keep Frozen (General Electric)》は、アメリカの世界最大総合電機メーカー「ゼネラル・エレクトリック」のロゴを配置するという正統派なポップアート表現に対して、バスキアのダイナミックで絵画的なドローイングが勢いと華やかさをもたらしている。

《Arm and Hammer II》(1984)
(画像=《Arm and Hammer II》(1984))

出典:https://www.myartbroker.com/

《Keep Frozen (General Electric)》(1985)
(画像=《Keep Frozen (General Electric)》(1985))

出典:https://www.myartbroker.com/

バスキアはウォーホルに、フリーハンドのペインティングを再開するよう促し、バスキアはウォーホルの代名詞である技法「スクリーンプリント」を初めて試みるようになるなど、二人にスタイルの違いはあっても互いに大きな影響を与え合い、新たな表現方法を広げあっていたのだ。実際に、ウォーホルはキャリア初期を彷彿とさせる自由な筆致でロゴなどを手書きでペイントした。以下はウォーホルとバスキアが共同で制作した作品の代表的なものである。

《Taxi, 45th:Broadway》(1984-85)
(画像=《Taxi, 45th:Broadway》(1984-85))

出典:https://www.sothebys.com/

《Zenith》(1985)
(画像=《Zenith》(1985))

出典:https://www.phillips.com/

《Olympics》(1984)
(画像=《Olympics》(1984))

出典:https://www.artprice.com/

《Third Eye》(1985)
(画像=《Third Eye》(1985))

出典:https://www.phillips.com/

展覧会失敗、関係が破綻

二人の熱い交友関係、そしてコラボレーションは、1985年の秋に開催された共同の展覧会「Andy Warhol and Jean-Michel Basquiat」の失敗をきっかけに破綻を迎えた。

この展覧会に対する批評家の反応は芳しくなく、バスキアはニューヨーク・タイムズの記事でウォーホルの「マスコット」と呼ばれてしまった。しばしば、二人の友情は疑問視されていて、「バスキアがウォーホルの名声に便乗している」とか「ウォーホルがバスキアを利用して、若い芸術家の人気に便乗している」などと考える批評家もいた。しかし、ウォーホルは日記に「彼は最高だ」などとバスキアのことを多く記し、大量に残された写真は真の友人であることを物語っている。

出典:https://www.correiodopovo.com.br/

ヘロイン常用者で、うつ病も抱えていたバスキアは次第にウォーホルと距離を置き始めていた。ウォーホルもそのことに気づいており、この展覧会の3カ月前から「バスキアに電話しても返ってこない。前ならどこにいてもいつも電話をくれていたのに」と、1985年6月21日の日記に残している。

展覧会を終え、自分の作品が思ったほど評価されていない、世間から冷遇されていると疎外感を覚えたバスキアは薬物の摂取量が増えた。バスキアはウォーホルに電話することもなくなり、二人で共同制作もしなくなる。そして、1987年2月、ウォーホルは胆のうの手術を受けた翌日の22日に容態が急変し、この世を去った。ウォーホルの死に動揺したバスキアはさらに破滅的な行動に走り、翌年1888年、オーバードーズによりウォーホルの後を追うように亡くなった。

展覧会「Andy Warhol and Jean-Michel Basquiat」のポスター
(画像=展覧会「Andy Warhol and Jean-Michel Basquiat」のポスター)

出典:https://www.myartbroker.com

ポップアートの旗手として時代を象徴するウォーホル、そしてアート界に舞い降りた新星アーティストのバスキア。この二人の関係性や共に制作した作品は、当時多くの批評家に誤解されながらも、紛れもなく、最も刺激的なコラボレーションであった。なぜ、人々を惹きつけてやまない人物はこうも悲劇的に、その生涯を短く終えてしまうのだろうか。ウォーホルとバスキアが築いた、たった数年の友情関係にこれからも人々は惹きつけられていく。

ANDARTでは、アンディ・ウォーホルとジャン=ミシェル・バスキアの作品を取り扱い中です。気になるからは【取り扱い作品一覧】をご覧ください。無料会員登録で最新のオークション速報やアートニュースもお届けしています。

文:ANDART編集部

参考
https://www.myartbroker.com/artist-jean-michel-basquiat/articles/jean-michel-basquiat-and-andy-warhol
https://www.vanityfair.com/style/2019/07/andy-warhol-jean-michel-basquiat-friendship-book
https://www.dazeddigital.com/art-photography/article/44600/1/never-before-seen-photos-diary-andy-warhol-jean-michel-basquiat-friendship
https://www.phillips.com/detail/jeanmichel-basquiat-and-andy-warhol/NY010314/9