イスラエルには、寿司レストランや寿司バーが続々と開店しています。イスラエル人の間で寿司が深く浸透している印でしょう。ですが、イスラエルの寿司は日本のそれとはかなり異なっています。イノヴェーションの国イスラエルならではの、いろいろな趣向をこらした寿司なのです!

あっと驚くようなカラフルな寿司から、揚げたてほやほやの寿司、スパイシーや甘酸っぱいソースにつける寿司とかサンドイッチ寿司などなど……。さすがイノヴェーションの国イスラエル!

今日は、そんなイスラエル寿司市場で戦いながら、17年日本の味を伝え続けている、AKIKO寿司バーのオーナー、亜希子・ベンツヴィさんにインタビューしました。

イスラエル流の、美味しく楽しい寿司作り

―――出身はどちらで、イスラエルにいらっしゃってどれくらいになりますか?

私は熊本出身で九州女子なんです。火の国の出身です。

イスラエルに来て25年くらいになります。最初の数年にかなりカルチャーショックを受けて、一度日本に帰ったんですよ。当時すでに2人の子供は3歳と2歳でした。いろいろな人たちに子供の教育ならイスラエルが良いといわれて、イスラエルにまた戻ってきました。

―――亜希子さんとシャイさん、お二人の出会いは?

亜希子さんとご主人シャイさん(写真提供:モティ・クムヒ moti kumhi)
(画像=亜希子さんとご主人シャイさん(写真提供:モティ・クムヒ moti kumhi))

私は当時銀行で働いていたんですが、同じビルに日本語学校があったんです。主人はそこで日本語を勉強していて知り合いました。当時私は21歳で、主人シャイは26歳でした。プロポーズから結婚にいたるまでがとても早くて、数カ月で結婚しました。

―――寿司バーを経営して17年になるそうですが、どうして寿司バーを開くことになったのでしょうか?

当時、主人の妹夫婦が絶対寿司をやりたいと言っていたんです。主人が不動産屋で働いていて、ラマタ・アビブに良い物件を見つけたので、そちらに寿司バーを開くことに決めました。

でも実は、私は寿司を作った経験はなかったんですよ。そこで日本に数か月帰って、知り合いの寿司屋の方に寿司作りの手ほどきを1からしていただきました。

日本の寿司作りの精神は何十年も修行して身に着けるものですが、イスラエルの寿司作り精神はちょっと違いますね。伝統やしきたりにとらわれず、どちらかというと自由に、イスラエル人好みの寿司を創造しながら楽しむ感じですね。

はじめは几帳面に寿司作りをしようとしていましたが、だんだん気楽に楽しんで作ろうという考えに変わりました。イスラエルでこの道を長く生きていくには、気楽の精神が必要だと思います。私はシェフではなくて、お客様が気に入ってくれる、美味しくて楽しい寿司を作る人間だと思っています。

最初は焼きそばや揚げ出し豆腐などを出すつもりはなかったのですが、イスラエル人の希望に合わせ、1~2年かけて、いろいろと趣向を変えて出すようになりました。また、勉強と調査のために、著名な寿司レストランの大波や京都などにもよく行きました。メニュー、寿司の具、味や色合いそして飾りつけ、内装から、食器に至るまでリサーチしましたよ。今では、メニューは本当に豊富になりました。

―――日本の寿司と比べて、AKIKO寿司の特徴を教えてください。

日本は握り寿司が主要ですが、イスラエルの寿司はアイデアが豊富でカラフルですね。

ソースの味も辛かったり甘かったりと多種多様です。私も揚げ寿司からサンドイッチ寿司、裏巻きとか、稲荷の中に面白い具を入れるものから、稲荷のクリスピー揚げまで提供しています。また、当時ちらし寿司はとても珍しくて、それを始めたらお客様の評判が大変良かったです。お客様が他の寿司屋にいって、「AKIKO寿司にはチラシ寿司があるのにここにはなぜないのか? 作ってほしい」と要望を伝えて、他の寿司屋でもちらし寿司を作るようになりましたね。ここには「ポキ」というハワイで有名なサラダのようなものありますよ。

寿司業界で長く生き残る秘訣は「お客様を大切にすること」

―――イスラエルでお店を経営していて感じることはありますか?

まず文化の違いで驚いたのは、お客さんが半分食べた後で「これは好きじゃない」と返してきたり、「中の具が違っている」と返金を要求してきたりといったことです。イスラエルでは普通のことですが、日本ではないので驚きましたね。でも、ご贔屓のお客様は開店当時から今日まで長く来てくれていて、何年も同じものだけを注文してくれています。これも面白いことですね。

―――なるほど。経営していて特に難しいと感じることは何でしょうか?

そうですね、一番難しいことは、従業員を教育するということでしょうか。

日本とイスラエルのサービス精神の違い、文化の違いでしょうか。真面目な態度でなかったり、即辞めてしまったり。100人以上を雇ったのですが、長続きしないことが重なったのでくじけましたね。そんな中でも14年ぐらい長く勤めてくれた人もいたんですが、他に移ってしまって悲しかったです。そこで、指導する上で自分の完璧主義をやめて肩の力を抜くようにしたんです。考えを変えてから自分の人間性が変わったと思います。最初の4年ぐらいは本当に硬い日本人でしたけど、イスラエル人に揉まれて自分が丸くなったと思います。

―――コロナ禍をどう乗り切りましたか?

たいへんでしたね。2カ月半お店を閉めたんですよ。倒産しちゃうのかな、とも思いました。しかしその期間は鋭気を養う期間でもあり、また働きたいと思うようになりました。

出前とtake awayが中心で、休暇の従業員には給料を払い続けていました。コロナ以前は従業員は7人ぐらいでしたけど、現在は子供たちと2人の従業員だけでやりくりしています。またコロナ以前は夜11時まで営業していましたが、現在は9時までです。

―――寿司業界で長く生き残るためにどんな努力をされていらっしゃいますか? また喜びを感じるときとはどのようなときでしょうか?

大切なことは、お店の顔として私がいつもここにいて笑顔でお客様に対応しながら、良い品質のも提供し続ける事でしょうか。よく学校帰りによってくれた小さな男の子が、成長して結婚してからも彼の家族をつれてきてくれるのは本当にうれしいですね。お客さんというよりも、家族のようなつながりを築いたんだと思います。お客様を大切にすることが、お店を長く続ける秘訣だと思います。お客様に「亜希子は、いつも笑顔がたえないね」と言ってもらえることは、涙が出るくらいうれしいです。

―――お店と家庭を両立するのは大変ではないでしょうか。お二人はどのような努力をされていますか?

昔は日本人的な感覚で、ランチ、夕飯をしっかり作っていましたが、だんだんとみな自由な時に食べるようになりました。主人は居酒屋shibuya を運営していて夜の仕事、私は朝の仕事なので生活時間帯のすれ違いがありますが、それでも2人ともコミュニケ―ションは絶やさないようにしています。双方の理解が大切ですね。

―――お子様の、お母さんのお仕事に対する反応はいかがでしょうか?

週末は店を開いていましたのであまり子供たちと出かけられなくて残念でした。

現在、長女28歳、次男27歳、次女18歳ですが、下の子が1歳ぐらいのときに寿司バーを始めましたので、長女が下の子供たちの世話などとても助けてくれました。13〜14歳ぐらいの時は反抗期で、寿司バー経営に反発してましたけど。

コロナのときも、従業員がいないので子供たちにずいぶんと助けられました。理解しているというより、私の身体を心配して手伝いにきてくれます。

亜希子さんと娘さん
(画像=亜希子さんと娘さん)

―――将来の抱負についてお聞かせください。

今後もお客様への感謝の気持ちを大切にして、お店を続けていきたいと思います。また将来の夢として、日本とイスラエルで半分ずつ生活できたらいいなと思っています。

インタビューを終えて

貴重なお話をありがとうございました。 同じ業界で長く生き延びるには、皆さんそれぞれ努力しながら成功のために戦っているんだとつくづく実感しました。そして、亜希子さんのお話から、お客様への心のこもった対応が成功の秘訣だと理解しました。今後の、お店の成功をお祈りいたします。

INFORMATION

Akiko Sushi Bar Ramat-Aviv
営業時間:日曜〜金曜、12:00 – 21:00(土曜定休)
電話:03-6417641
住所:Aba Ahime’ir 17, Ramat Aviv
※配達エリアはNorth Tel AvivとRamat Hasharon

akiko_sushibar@hotmail.com
http://akiko.co.il/en/home/a/main/
https://www.facebook.com/Akiko.SushiBar/