日常でも仕事でも、人が何かを判断するシーンに直面した時に、リスクを覚悟の上で変化を求めるケースは極めて少ない。多くの場合は危険を避けて、現状維持を選択する。多くの人が抱くこうした心理効果は「現状維持バイアス」と呼ばれる。現状維持バイアスとは、決してネガティブにとらえるべき心理ではないが、ビジネスの局面においては、現状維持バイアスが負の方向に作用する可能性がある。では、それを回避するためのポイントは何か、ここから現状維持バイアスの本質に迫ってみよう。

目次

  1. 現状維持バイアスとは?
    1. 現状維持バイアスの基礎的分析
    2. 心理学、行動経済学との関連性
  2. 現状維持バイアスのメリット・デメリット
    1. 現状維持バイアスのメリット
    2. 現状維持バイアスのデメリット
  3. 現状維持バイアスの具体例
    1. 日常生活における現状維持バイアス
    2. ビジネス分野での現状維持バイアス
  4. 現状維持バイアスの原因
    1. ①選択の麻痺(Choice Paralysis)
    2. ②損失に対する嫌悪(Loss Aversion)
    3. ③先行経験(Mere Exposure Effect)
    4. ④サンクコスト効果(Sunk Cost Fallacy)
    5. ⑤認識の不一致(Cognitive Dissonance)
  5. 現状維持バイアスの克服法
    1. 現状維持バイアスへの認識と自己理解
    2. 第三者の客観的意見の活用
    3. ツールやアプローチの導入
    4. 段階を踏んで変化を進める
  6. 現状維持バイアスのビジネス分野への活用
  7. バイアスは誰にでもある自然な心理
  8. 現状維持バイアスに関するQ&A
    1. Q. 現状維持バイアスの例は?
    2. Q. 現在志向バイアスと現状維持バイアスの違いは?
    3. Q.現状維持バイアスを克服する方法は?
現状維持バイアスの本質とは?その具体例と克服法を解説
(画像=umaruchan4678/stock.adobe.com)

現状維持バイアスとは?

現状維持バイアスとは、「Status Quo Bias(ステイタス・クオ・バイアス)」としてアメリカを中心に認知されている心理的概念である。本来バイアスとは「偏見・先入観」などの偏った見方を表す言葉であり、現状維持バイアスは現在の状態を維持する方向に働く、人が潜在的に持っている心理的効果と言えるだろう。

ただし、まだ日本では現状維持バイアスという考え方が、広く認知されているとは言い難い。そこで最初に、アメリカでの分析記事をもとに、現状維持バイアスの基礎と定義について解説する。

現状維持バイアスの基礎的分析

現状維持バイアスとは、意識面での傾向・誤認識や心理面での責任など、複数のバイアスが関わり合うことで生じる。さらに現状維持バイアスには、人間が本質的に持つ変化を避ける特性が大きな影響を与える。

例えば我々が何かを選択すべき状況に直面した時、選択肢の中から最もリスクと変化が大きいものを選ぶことは、ほとんどのケースでありえないだろう。通常なら現在の状況の延長線上にあり、その状況を長く維持できる選択肢を選ぶはずだ。

しかも、より効率的で優れていると感じられる選択肢があっても、過去に実際に体験した事実にもとづき、心理的に安心できる選択肢を選ぶ。具体例として投資家の心理を考えてみよう。

投資の世界では日常的に多くの選択肢に直面するが、経験豊かな投資家でも、実際に投資先を選ぶ時には現状維持バイアスが起動する。他に多くの投資先があるにもかかわらず、投資家は無意識に現状維持を基準に投資先を選ぶのである。

こうした事例は日常生活でも、いたるところで見られる。服を選ぶ時、試験の問題に答える時、自動販売機の前に立った時など実例には事欠かない。このバイアスの裏にあるのは、コスト面でのリスクや失敗を避けたいという心理である。つまり現状維持バイアスを乗り越えるとしたら、新たな成功体験を手に入れるしかないとも言えるだろう。

心理学、行動経済学との関連性

現状維持バイアスはその性質から、心理学や行動学により分析されることが多い。こうした学問分野では、合理性や先行経験、損失や後悔という要素をもとに現状維持バイアスを解説している。

例えば、過去の体験を先行経験として定義し、さまざまな選択肢に対して先行経験がポジティブな場合、現状変更よりも現状維持のほうが損失や後悔が少ないと判断されるため、現状維持バイアスが働くと紹介されている。この状況では、合理的な意思決定の余地は少ないという。

現状維持か現状変更かという選択肢の前では、人は合理的思考に頼らず、現状を変えた場合に失うかもしれない物事を踏まえ、損失と後悔を事前に回避することを選ぶ。これが、現状維持バイアスが働く基本的な仕組みと考えてよいだろう。

現状維持バイアスのメリット・デメリット

現状維持バイアスには、マイナスのイメージが強いが、その一方でメリットもある。現状維持バイアスのメリットとデメリットについて解説しよう。

現状維持バイアスのメリット

現状維持バイアスを選択することで、既存のプロセスや製品に対する変更によるリスクやコストの増加を回避できる点は、メリットの一つといえる。現状維持バイアスは、特に不確実性が高い状況や過去の選択が成功している場合に有益だ。また、変化に伴う不安や抵抗感を低減し、組織内の調和を保つ役割も果たす。

現状維持バイアスのデメリット

現状維持バイアスは、変化に対する閉鎖的な姿勢を強化し、競争優位を確保するための革新や改革の機会を逃すことがある。新技術や業界のトレンドを取り入れることの遅れは、組織の長期的な成長機会を損なう可能性があり、市場での立場を弱めることにつながりかねない。また、内部の問題に対する認識不足を招き、必要な改善が遅れることもデメリットだ。

現状維持バイアスの具体例

我々のほとんどは、慣れ親しんだものに執着する傾向が強く、日常生活や仕事上でも大きな変化を好まない。そのような観点から、ここでは日常的に起こりうる現状維持バイアスの具体例を見てみよう。

日常生活における現状維持バイアス

・慣れ親しんだものを選択する
通勤通学時にいつも同じ道を通り、電車やバスでも毎回同じ席に座るなど、日常の小さな選択でも「慣れ親しんだものを選択する」という現状維持バイアスが働いている身近な例だろう。

また、ドイツのある街では、工業地帯の拡張により住民がすぐ近くのエリアに移住を迫られた。新しい居住地では、住みやすくするためのさまざまなプランが提案されたが、住民が選択したのは移住前の街とほとんど変わらないレイアウトだったという。

・新商品を受け入れられない
アメリカでコカ・コーラ社が、新しいコーラを開発した時に、事前のテストでは多くの消費者が新商品の味を好んだ。しかし、実際に新旧2つの商品を売り出してみると、かなりの割合で消費者は旧タイプのコーラを選択したという。これは、「新商品を受け入れられない」という現状維持バイアスの結果だといえる。

・損失や失敗を回避した
とある移動販売の自営業者は、こだわりのたこ焼きを一風変わった名前で売り出したが、売上は全く伸びなかった。しかし、同じ商品を「大玉たこ焼き」とシンプルにしたところ、一転して非常に繁盛したそうだ。同じ商品だが「なじみのない名前は回避する」というこの現象には、「新商品は受け入れられない」という気持ちとともに「損失や失敗を回避したい」という心理も働いていると考えられる。

こうした具体例を挙げればきりがないが、普段の生活の中で誰もが経験する購買活動、資産運用、恋愛などでも無意識のうちに現状維持バイアスが働く場合がある。むしろ現状維持バイアスが生じないケースのほうが、ずっと少ないかもしれない。

ビジネス分野での現状維持バイアス

ビジネス分野で最も重大な選択肢、それは企業経営に関わる判断になるだろう。今後の経営方針を策定する時、取引先を開拓する時、事業開拓をする時など、あらゆるシーンで経営者は現状維持バイアスを体験するはずである。

新規事業開拓よりも、これまでの事業分野に留まりがちになっていないだろうか。損失や失敗を回避するあまりに「思い切った事業転換ができない」といった場面もあるだろう。

特にマーケティングでは分析と判断を迫られるケースが多く、思い切った判断が必要になるかもしれないが、多くの経営者や経営陣は現状維持を選択すると考えられる。また、何に投資をするべきか、資本投下でも損失を避ける傾向が強いのではないだろうか。

一方、企業で働く従業員に関しても、なるべく転職などによるリスクを回避して、同じ企業内で仕事を続けたいという傾向が強いと考えられる。これも現状維持バイアスの現れであろう。

しかし、現状維持だけでは会社としての発展は見込めない。少子高齢化や為替市場の変動など、さまざまな外的要因によって、現状維持からの脱却をせざるを得ないケースも多いのではないかと推察される。

現状維持バイアスの原因

現状維持バイアスは一つの原因により生じるものではなく、いくつかのバイアスが相互作用しながら人の判断に影響を与えることで現れる。これらのバイアス、つまり原因の主なものを以下順番に紹介する。

①選択の麻痺(Choice Paralysis)

選択肢のあまりの重大さに圧倒された経験を持つと、次に判断する機会を迎えた時、安全だと分かっている選択肢か、何もしないという選択肢を選ぶ傾向が強まる。

②損失に対する嫌悪(Loss Aversion)

研究結果によれば、人は何かを手に入れることよりも、何かを失わないことのほうに重点を置くという。そのため現状変更による損失を回避して、変化を伴わない選択肢を選ぶ傾向が強くなるのだ。

③先行経験(Mere Exposure Effect)

人は過去に経験した選択にとらわれることが多く、経験を重ねるたびにそれが先行経験になり、常に現状維持バイアスが生じることになる。つまり先行経験が現状維持を強め、それが新たなバイアスとなることで、現状維持バイアスが繰り返されるわけである。

④サンクコスト効果(Sunk Cost Fallacy)

ある対象に時間やお金などを注ぎ込む場合、人は以前と同じ条件のもとで労力を費やすことを好む。たとえその労力が合理的ではないと分かっていても、損失と後悔を回避するために現状維持を選択するのだ。

⑤認識の不一致(Cognitive Dissonance)

過去に経験のない選択肢を前にすると、人は自身の認識との不一致を感じることになり、それを消去するために過去に経験した認識をもとに判断を再構築しようとする。これは、不快な感情を回避する行動とも深く関わっている。

現状維持バイアスの克服法

現状維持バイアスの原因が理解できれば、克服法も見えてくるだろう。ここでは、現状維持バイアスを克服するための方法について解説する。

現状維持バイアスへの認識と自己理解

現状維持バイアスを克服するためには、まずその存在を意識することが重要だ。日々の意思決定を振り返り「この選択は本当に最適か?」「別の選択肢があるか?」と自問する時間を設けることから始めてみるとよいだろう。また、自分の決定が慣習や過去の成功体験に依存していないかを客観的に評価することも有効な方法だ。

第三者の客観的意見の活用

現状維持バイアスは、現代社会の政治・経済・生活などの全分野で影響力を発揮している。これを正しい方向に向かわせるための克服法としては、他者の意見を聞いてみることが最も効果的かもしれない。例えばビジネスの現場で判断に迫られている人、特に重大な責任を負っている人は、主観的な考えからなるべく危険を回避しようとするだろう。

経営上の損失と後悔を味わいたくないからだ。しかし現状維持バイアスに判断を任せてしまうと、ビジネス・チャンスを棒に振る可能性もある。この時点で自身が現状維持バイアスの影響下にあることを知るのは難しいため、適切なアドバイスが得られる相手に意見を聞くとよいだろう。企業内に、第三者の観点から経営アドバイスができる仕組みを作っておくのも一つの方法だ。

外部の専門家に定期的な監査や評価を依頼し、新鮮な視点を取り入れることは、現状維持の枠を超える手助けとなる。

ツールやアプローチの導入

例えば、データ分析ソフトウェアや意思決定支援システムは、現状維持バイアスを克服する有効なツールだ。これらのツールは、客観的なデータや事実に基づいて意思決定をサポートする。市場のトレンド分析や消費者行動の分析を行うことで、根拠のある戦略立案が可能となる。

段階を踏んで変化を進める

変化の割合が大きいと、それだけ抵抗も大きくなる。しかし、変化を段階的に進めることで組織内の抵抗を減少させることが可能だ。小さな成功を積み重ねることで、組織全体の変化に対する抵抗感を徐々に減らし、より大きな変革へと進めることができる。最初にプロトタイププロジェクトやパイロットテストを実施し、その結果を評価して全社展開の判断を下すなどの手段を検討したい。

また、人による判断とは別に、各種システムによる数値面での分析結果を参考にすることも、主観を排除して現状維持バイアスの影響をなくすためには効果的かもしれない。

現状維持バイアスのビジネス分野への活用

多くの人が現状維持バイアスに影響されることを利用して、効率的なビジネス・モデルを作ることも可能である。顧客との契約関係を結ぶのであれば、契約更新時には自動的に同様の内容に更新できるようにしておくと、安定的に顧客数を維持できるだろう。携帯電話の契約を例にとっても、他社に乗り換えるより同じ会社の携帯を使い続けるほうが、圧倒的にユーザー数が多いのである。

その他にも、現状維持バイアスを活用する戦略としてよく知られている手法には、次のようなものがある。

  • サブスクリプションサービスでは、初月無料とすることでユーザーがサービスを試し、損失回避の心理から解約せずに継続する可能性が増す

  • メルマガの配信では、登録時に配信許可を得ておくことで、ユーザーはあとで解除する手間を面倒に思って回避する傾向にある

  • おすすめプランの自動選択も現状維持バイアスを巧みに活用した例だ。ユーザーは、デフォルトで選択されたプランに特に大きな不満がなければ、そのまま変更することなく契約する可能性が高まる

これらの方法は、いずれも現状維持バイアスの心理を利用して顧客の行動を予測し、ビジネスの継続的な利益を図るものである。

さらに人材確保の点でも、現状維持バイアスを逆手に取ることができる。転職のリスクにより失うものと、現在の職場で継続的に働くことのメリットを対比して、それを従業員に認識してもらえば、貴重な人材を失う危険性を減らすことができるだろう。

バイアスは誰にでもある自然な心理

なかなかチャンスをモノにできないという場合には、自身が何らかのバイアスに影響されていないか、一度疑ってみたほうがよいかもしれない。選択肢が重大になればなるほど、我々は失敗した時の損失を恐れる。その結果さまざまなバイアスが融合して、現状維持バイアスが起動するのだ。

しかし、これは決してマイナスに働く心理作用ではない。現状維持バイアスを排除して、自ら危険な賭けに出られる人は、全体から見ればほんのわずかに過ぎない。我々は自分の中にある複数のバイアスにより、危険から守られているとも言える。ただし、大きなチャンスを手に入れたいと思ったら、時にはバイアスを外してみることが必要なのではないだろうか。

現状維持バイアスに関するQ&A

Q. 現状維持バイアスの例は?

A.「昼食をつい同じ飲食店で、同じメニューで済ませてしまう」といった行動は、冒険をして失敗するよりも慣れ親しんだものを選択する現状維持バイアスの典型例だ。

Q. 現在志向バイアスと現状維持バイアスの違いは?

A.現在志向バイアスとは、将来的により大きな利益を得る可能性があるにも関わらず、目先の小さな利益を優先する心理状態だ。一方、現状維持バイアスは、行動や変化によって状況が改善する可能性があるにもかかわらず、失敗を恐れて新たな行動を起こせない状態を指す。

Q.現状維持バイアスを克服する方法は?

A.まずは、現状維持バイアスを認識し、自己理解を進めることから始める。現状維持バイアスの認識には、第三者の視点やツールなどの活用が有効だ。また、変化は少しずつ行い、変化への抵抗感を下げることも有効な方法である。

金城寛人
金城寛人
中小企業診断士・株式会社エルニコ執行役員

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