大胆に人物の目をキャンバスごと燃やすという方法で、確立した世界観の作品が注目を集めているアーティスト・倉崎綾希さん。ダークな雰囲気を感じさせる作品の背景には一体何があるのでしょうか。

2021年10月30日・31日に開催されたANDARTオーナー向けの鑑賞イベント「WEANDART」の中で、若手アーティストの展示「KIBI」にご参加いただいた倉崎さんに制作のテーマや今後についてなどを伺いました。

倉崎綾希
(画像=倉崎綾希)

【PROFILE】
1995年福岡県生まれ、福岡在住。火の持つ、生命の始まりの象徴と、生命の終わりの象徴という両義性に強い関心を寄せ、その火を、油絵で描いたポートレイトや風景などと掛け合わせることで作品を制作している。近年では、基本概念を引き継ぎつつ蝋でつくった額縁や、彫刻を溶かす立体作品も制作している。(公式HP

始まりと終わり。命を表す「火」

――倉崎さんが絵を描き始めたきっかけは何でしたか?

イラストレーターの叔父の影響が大きいです。僕も元々はイラストやデザインを学んでいたので、イラストの仕事を受けるようになりましたが、自分はクライアントワークと相性が合わないことに気付いて。色々悩んでいた時に福岡アジア美術館で、社会問題や個人的な傷口が見えてくるような現代アートの展示を見て「こういう世界があるんだ」ってことを知ってからは、作風を変えて挑戦するようになりました。

――そこからどうして作品を「燃やす」方法で制作するようになったのですか?燃やすというのは、どういうところから来ているのでしょうか?

「火」は生命の「始まり」の象徴でもあり「終わり」の象徴でもあります。ですが昨今では、「火」はIHや電気ストーブ、電子タバコなど電気に変わり、花火すら禁止され、火が遠くなっていますよね。それと同じで、人間の生死に対しても距離が遠くなっていると思います。メディア規制、減少する出生率、そもそも人が死ぬことを考えられていない都市設計など無かったもののようにされているというか、死を見ようとしていない気がします。

「火=人の生死」として、そこの距離感に対して、目を燃やすことでそういうものに対して“盲目”になっている現代の人達という意味で制作しているのが「Blindness」シリーズです。死の周りの環境や価値観に対してアプローチしています。

《Blindness》(2021年)
(画像=《Blindness》(2021年))
《Blindness》(2021年)
(画像=《Blindness》(2021年))

自身の経験を元に構築する価値観

――倉崎さんがそこまで「生と死」に強く関心を持つようになったきっかけは何だったのでしょうか?

僕の下の名前「綾希」の「希」の字は、僕が生まれる前に亡くなった従兄弟の名前からとったもので、親戚が集まると「お前はその子の生まれ変わりだ」って言われて育ってきました。当時まだ幼かったので、それを良い意味ではなく「お前の人生はその子の人生なんだよ」と受け取ってしまったんです。そのことがきっかけで、人の死や次の人へ引き継がれていくものに小さい頃から関心がありました。

――幼い頃から「死」を通して自分のアイデンティティを考えていたのですね。

自我が芽生えてくると同時にその悩みもカタチになってきて、小学生の頃は救いを求めるように仏教にハマったこともありました。あとは、中高生の時にも他人の自殺を見る経験をしたんです。その際に集まっていた野次馬などを見て、今を生きる人々が死に触れたときの態度などに違和感を感じてしまって。僕は死の本質が云々というよりは、その周りで起きている「今の価値観」に関心があります。

――お話を聞いた限りだと、「自分」ではなく「誰か」を中心にした死生観に関心があるという印象を受けましたが、ご自分を中心にした死ぬことについてはどうお考えですか?

そうですよね。死ぬのっていつも他人ですし。生きている時の定義って、意識があって自分の身体を自分の意識で動かせることだと言う方もいますが、じゃあ「寝ている時ってどうなの?1日の半分死んでるんじゃない?」って思うんです。そんなことを考えていたら、自分の死に対して恐怖も執着もなくて。人は絶対死にますしね。

――でも「絶対死ぬから」って投げやりなわけではなくて、きちんと向き合われていますよね。倉崎さんがどんな時に作品のインスピレーションを得ているのか気になります。

その時に興味のあるものが自分の思想とちょうどよく当てはまって、結びついてビジュアル化されたタイミングなどに作品化してみようとなります。

――キャンバスの他にもワックスで作った額を燃やしている作品がありますよね。これも何か結びついたのでしょうか?

色々な国で展示をしていくと、国によって自分の作品が受け入れられないことがありました。国ごとに宗教観って違うので、他国の宗教観、死生観にも入り込めるような余白と普遍性を含んだ作品を作りたいなと考えていた時に生まれた作品です。インスピレーションは、長崎原爆資料館で展示されている「溶けたロザリオ」から得ています。

《Mortality》(2021年)
(画像=《Mortality》(2021年))
《Mortality》(2021年)
(画像=《Mortality》(2021年))

考え方も変わるような、空間を掌握するアート

――好きなアーティストや影響されたアーティストはいますか?

特定のアーティストや作品というより、作品になるまでのその人の思想や価値観に至るまでにどんな経験をして、どんな本を読んでいたのかというところなどに興味があるので、国内外の色んな作家のインタビュー記事などはよく見ます。

――倉崎さんは今までにどんな本に影響を受けましたか?

養老孟司さんの『死の壁』は中学生の時に読んで、フラットな立ち位置で物事を考えているところや「漏れなく人は100%死ぬ」など養老さんも同じことを仰っていて「こういう考え方をしていいんだ」と、自殺を見たすぐ後に読んだこともあったので少し救われました。

――コロナ禍でオンラインでのアート販売が広まり、浸透を深めていますが、オンラインでは絶対に伝わりきらない力を持っているのがアートです。そうした状況を踏まえて、倉崎さんが思うアートの意味や価値は何でしょうか?

アートの魅力の一つに「空間」があると思います。それは例えば作品を軸にして、人と人のコミュニケーションや出会いが生まれるとか、昨今では、コロナで自宅にいる時間が増えたことによって、部屋の雰囲気を変えたいと作品を買う人が増えたという話も聞きます。

今オンラインで作品を見るのは、物理的に観に行くことができないという問題解決、購入に対する効率化の為のオンライン販売の側面が強いと思いますが、これからはオンライン上でアートを軸にしたコミュニケーションや出会いなど、空間にアプローチした進化が重要なのではないかと思います。

――「空間にアプローチする」というのは、倉崎さんが真剣にやっていらっしゃるところですよね。作品にたどり着くまでの思考を練って、辺りの空気感を変えるような雰囲気が作品から出ています。

「雰囲気」や「世界観」は大事にしています。教会に入った時に背筋が整うような感覚や「今何でこう感じたんだろう?」という疑問からインスピレーションを得ることは多いですね。言葉にはできない“空間を掌握する強さ”みたいなものを大切にしています。

――最後に、今後の目標やこれからこんな雰囲気の作品が作りたいなどがあれば教えて下さい。

30年、50年後などもっと死が近くなってきたら考えも変わっているかもしれませんし、今後の自分の作品がどう変わっていくか、どんな価値観を持っているのか楽しみです。目標というよりかはそこに向けて、自分の考えを作品化しながらアーカイブしていけたらいいなと思います。

《Blindness》(2021年)
(画像=《Blindness》(2021年))

「死生観」という深くて強い価値観を表現した作品のイメージとは離れ、柔らかい雰囲気を醸す思慮深い人である倉崎さん。悩まされた自身の経験から目を背けずに向き合い続ける真摯な姿勢は、そのまま作品にも現れて、私たちが改めて考えるべき「生きることとは?」「命とは?」という疑問を投げかけています。そして、今後変化する倉崎さんの価値観はどんなことを新たに問いかけてくれるのでしょうか。これからも楽しみでなりません。

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取材・文:千葉ナツミ