人を混乱させたり中傷したりすることを意図する「フェイクニュース(偽情報)」の拡散が、世界中で深刻化している。その中でも、米国を中心に勢力を拡大する「Qアノン」の陰謀論と、それを支持する「信者」の存在は、FBI(連邦捜査局)が警戒するほど脅威となっている。Qアノンが危険視されているのはなぜか、そして人はなぜ"嘘"に陶酔するのか。
危険な影響力をもつ「Qアノン」とは?
Qアノン(QAnon)はインターネット上で発信・拡散される、陰謀論の総称だ。虚偽の情報である点は通常のフェイクニュースや誤情報と共通するが、人を暴力的な行動に扇動したり、政府機関を動かしたりするほどの危険な影響力をもっている。
「世界が悪魔を崇拝する小児性愛者の陰謀団によって運営されている」「陰謀団は子供を性的に虐待し、アドレノクロムと呼ばれる延命化学物質を抽出する目的で、殺害した犠牲者を食べている」などと主張し、瞬く間にトランプ氏を救世主に仕立て上げた。
信者が挙げる陰謀団のメンバーには、オバマ前米大統領やジョージ・ソロス、オプラ・ウィンフリー、トム・ハンクス、ダライ・ラマなどの著名人が含まれている。
FBI「Qアノンは潜在的な国内テロの脅威」
Qアノンが初めて広範囲に注目を引いたのは、2016年の「ピザゲート(Pizzagate)」だ。これは米大統領選挙中に広まった陰謀論で、トランプ氏の対立候補だったヒラリー・クリントン氏の陣営が、組織的な児童売買に関与しているという内容だった。
「クリントン氏がなんらかの理由で逮捕される」という、トランプ氏の高官と名乗る「Qアノン」の投稿がきっかけで広まったとされている。後の捜査でクリントン氏の身の潔白は証明されたが、選挙結果に影響を与えた可能性を指摘する声もあった。
この事件を機に、Qアノンは本格的な活動を開始した。インターネットの掲示板やYouTube、Twitterなどを介して、さまざまな陰謀説を世界中に拡散することで「Q」と呼ばれる信者を増やしてきた。2018年以降は、突飛な陰謀説と的外れな予測の域を超え、「過激派の宗教政治的イデオロギー」へと進化を遂げながら、暴力的な事件にも間接的に関与するようになった。
逮捕された信者の中には、Qアノンに誘発されて政治家を脅迫した者やカナダの首相宅に侵入した者、誘拐事件や殺人事件を犯した者もいる。
2019年には、FBIがQアノンを「潜在的な国内テロの脅威」と特定するほど、その暴力性を帯びた陰謀はさらに危険性を増した。そして2021年1月、米選挙の不正疑惑を巡り、ホワイトハウス襲撃という世界を震撼させる事件が起きた。ホワイトハウス周辺で「大統領はトランプしかいない」と叫ぶQアノンの信者の姿が、世界中に放映された。
なぜ人はQアノンを信じてしまうのか?
米公共宗教研究所などの調査によると、Qアノンの信者は米国だけでも3,000万人以上にのぼるという。なぜ、危険な陰謀論はこれほどまでに支持を得ているのか?トランプ氏絡みの陰謀説が話題や事件となる多いことから、「Qアノン=トランプ氏の支持者が多い」というイメージが定着しているが、根底には心理学的な要素があるようだ。
アムステルダム自由大学の実験心理学・応用心理学部のヤン・ヴィレム・ファン・プローイェン准教授いわく、「Qアノンに代表される陰謀論を信じてしまう心理は今に始まったことではないし、病的でもない」。古くは中世の魔女狩りに代表されるように、「悪の勢力が善良な人々を傷つけるために共謀する」という恐れは、人間の精神に深く根ざしているという。つまり、誰でも陰謀説を信じる要素をもっているということだ。
それでは、信じる・信じないを分ける要因は何か。陰謀説を真実として受け入れる人々の心理状態にいくつかの共通点があることが、複数の研究から明らかになっている。
たとえば、米ラトガース大学社会学部のテッド・ゲルツェル名誉教授の研究が1994年に行った実験では、参加者348人のほとんどが10の陰謀説のうち、少なくとも1つを信じていた。さらに、1つでも陰謀説を信じている人は他の陰謀説も信じている傾向が強かった。これらの人々は健忘失語症や対人信頼感の欠如、雇用に関する不安といった問題を抱えていたという。
多くの人は不安や不確実性を感じると、その理由を探そうとする。納得できる理由が見つけられない人は、たとえそれが突飛な陰謀説であったとしても受け入れる。社会が病むほど不安を感じる人が増え、その心の闇につけこむようにして陰謀説が広がっていく。
世界で46億人以上がインターネットを利用しているデジタル時代とパンデミックの組み合わせは、陰謀説を助長させる格好の環境といえる。実際、米国がロックダウンに踏み切った2020年3月~年末にわたり、Qアノンのメンバーシップが581%増加したことがFacebookのデータから明らかになっている。
世界71カ国で信者が増加 教育分野にも進出
Qアノンを締め出すプラットフォームが増えているにも関わらず、その影響力は米国の政治だけでなく世界各国へと拡大している。現在は日本やインド、ドイツ、ブラジルなど71カ国に信者がいるといわれている。
直近ではミシガン州の小さな町で、信者が教育委員に就任したことを受け、住民間で対立が生じているという。反対派は「過激な思想が学習カリキュラムに影響を及ぼすこと」を懸念し、解任を求める動きも出ている。
人類をむしばむ「過激派の宗教政治的イデオロギー」
これだけ世間を騒がせているにも関わらず、Qアノンの正体は明らかになっていない。しかし、現在は組織化されている可能性が高い。いずれにせよ、Qアノンの過激で反体制的なイデオロギーは、「既存の腐敗した世界を破壊し、約束された黄金時代の到来を告げる」という準終末論的な欲求に根ざしている。
人類は新型コロナだけではなく、「過激派の宗教政治的イデオロギー」という名のウイルスにもむしばまれているのだろうか。
文・アレン琴子(オランダ在住のフリーライター)