(本記事は、医師が開業時に、すでに存在する医院やクリニックをM&Aすることで承継し開業する方法を説明する伊勢呂哲也氏の著書『独立を考えたらまっさきに読む医業の承継開業』クロスメディア・パブリッシングの中から一部を抜粋・編集しています)
院内の業務を覚えることからはじめよう
第1部では、勤務医時代に承継開業の準備として考えておくこと、やっておくべきことについて述べてきました。第2部では、承継開業する医院が決まり、実際に承継した医院の経営をしていく上で大切なことについてお伝えしていきます。
まずやるべきことは、当然ですが承継した医院の業務を覚え、しっかり日々の業務が回るようにすることです。新規開業に比べて、承継開業するメリットはすでにお伝えしたように、はじめから安定した売上があることです。その安定した売上をしっかり確保するためにも、業務が滞りなく回るように院内の業務を一通り把握しておく必要があります。
この業務の把握については、できるだけ時間をかけないに越したことはありません。繰り返しになりますが、私は正式に着任して承継する半年前から今の病院で診療をはじめました。そこで前院長のT先生からいろいろ教わりながら業務を覚えていきました。
もともとこの病院では健診(企業対象の健康診断)などをやっており、毎日その資料をつくるという業務がありました。T先生は朝早く開院の2~3時間前に出勤され、診療開始前に当日の資料を作成しておられました。しかしながら、私は通勤に少し時間がかかることもあり、T先生と同じように開院前に来て資料をつくるというのが難しかったため、代わりに診療のちょっとした空き時間や、昼食をとりながら、また休憩の時間などを資料作成にあてるようにしました。ときには閉院後の夜8時、9時まで残ってやったり、休日に来てやることもありました。やはり、医院を承継したばかりのときは、やることが多いですから、いかに時間を捻出するかが大切になります。私は自分の自由な時間を仕事にあてることは苦にならない性格なので、自分の自由にできる時間をどこにどう割いていくかを考えながら、できるだけ業務を早く覚えられるようにしていました。
「自分の時間を使ってやるくらいなら、誰か他の人にやってもらえばいいじゃないか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。それは、正しい考え方だと思います。ただし、承継して業務を把握していくこの期間に限って言えば、最初は自分でやって覚えていかなければいけないと私は考えています。経営者は最終的に責任をとらなければいけない立場ですから、何かトラブルがあったときに「私は知りません」では済みません。ですから、後々は誰かに任せて自分で手を動かすことはしなくてもいいと思いますが、はじめは院内の業務を一通り把握するようにしましょう。私も最初は2時間前後かかっていたこの資料作成作業を今では5分前後で終わらせることができています。それは、他の人に任せることができるようになり、私は確認するだけでよくなったからです(現在は健診資料作成のために新たに2人のスタッフを雇っています)。他の人に任せることによって、空いた時間を患者さんの診療にあてることができますし、その他経営に関することや、勉強や情報収集、研修などへも時間を振り分けることができるようになりました。もちろん本書の執筆もこの空いた時間を有効利用しました。
業務を覚えながら経営に考えを巡らせる
承継する医院の業務を覚えるのにどれくらい時間がかかるかということについて、私は「同じ診療科を引き継ぐのであれば、ほとんど時間は要らない」と考えています。私の場合はもともと泌尿器科が専門で、承継した医院は消化器科の医院でしたから、他科(消化器科)の勉強をしながら胃カメラなどの習得も行ったため、スンナリとはいかず多少の苦労もありました。加えて、健診(人間ドック)もありました。健診についてはこれまでやったことがありませんでしたから、健診の資料作成をはじめ、学ばなければならないことがたくさんありました。
しかし、業務を覚えるのに時間がかかったことがマイナスだったとは思っていません。まず自分で覚えることからはじめて、どの仕事を他のスタッフに任せるか?また、健診する項目、その結果についてのコメントをいかに効率よく的確に行えるか?すでにあるマニュアルを使って任せられることは任せ、また自主的な判断が必要なことについてはどうマニュアル化するかなど、業務を把握する中で、改善点が見えるようになります。業務を実際にやってみることは、どうすればもっと効率が上がるのか、一日でより多くの患者さんを診ることができるようになるかを考える良い機会にもなります。
承継してすぐの時期は、業務を覚えること以外にも患者さんのこと、前院長との重診のこと、看護師・スタッフとのことなど、考えるべきこと、やるべきことが山積みです。ですが、この時期の作業を今後の経営について考えを巡らせながら取り組むことが、承継した医院を早く自分の目指す理想の医院に近づけることにつながります。
スタッフとの関係を構築しよう
医院を経営していく上で欠かせない存在が、看護師や事務のスタッフです。承継開業では、承継する医院のスタッフをそのまま引き継ぐケースが多いため、この残ってくれたスタッフたちと良い関係を構築することが、重要になります。
① スタッフへの説明会を開く
一通りの業務を覚えることと同時平行で、現状のスタッフに院長を引き継ぐことになった趣旨の説明(会)を実施することをおすすめします。院長が代わると耳にしたスタッフは、自分が勤める職場がどうなるのか、おそらく不安を抱えているはずです。スタッフとの意思疎通を図り、今後の業務をうまく進めていくための第一歩として、スタッフへの説明は重要な機会になります。
人は変化を嫌う生き物ですから、日々の業務にどんな変化があるのか、雇用条件は変わるのか、医院の体制など、自分たちを取り巻く環境がどうなるか、スタッフにとっては気になることが多くあるでしょう。忙しい業務のさなか長い時間を割いたり、大袈裟な説明会をする必要はないと思いますが、まず新しい院長となる自分がどういう人間なのか、それを伝えるだけでもスタッフの不安は軽減されるでしょう。
私は、正式に院長を引き継ぐ数か月前から医院に顔を出していましたので、スタッフの間では、近い将来、私が院長としてこの医院に赴任することは理解していた人も多かったと思います。しかし、時期をみて直接私の口からきちんと話さなければならないと思っていました。私の場合は、正式に引き継ぐ1か月前くらいから各スタッフと徐々にそういった話をするようにし、業務の合間を見て適時説明会も実施しました。あまり大袈裟にせず業務の中での話の延長線上のつもりで気軽な雰囲気の中で行いました。なるべくスタッフが緊張しないように心掛けたのです。
説明会の参加者は、私と現スタッフです。そこでは、まず私がこの病院を引き継ぐにあたっての心意気のようなものを話しました。前院長や仲介業者に語ったことと同じような内容も含め、この病院を引き継ぐことになった経緯です。
とにかくこの病院を引き継ぎこの地域の医療を守り、今いる患者さんをはじめ新しく来る患者さんの闘病を支えていきたいということをスタッフに伝えました。ただ、あまり気負いすぎないことが肝要です。ついつい自分の気持ちを相手に分かってもらおうとして力が入ってしまう気持ちもわかりますが、スタッフによっては重たく感じてしまう人もいるかもしれません。たかぶる気持ちを少し抑えながらも、伝えるべきことはきちんと伝えるようにしましょう。私の場合は、はじめは「あれがやりたい、こうしたい」という自分の主張はなるべく控え、反対にスタッフの考えを半年くらいかけてヒアリングしていき、正式に引き継いだ時期から自分のやりたいことを少しずつ伝えるようにしていきました。引き継ぐ半年以上前から非常勤としてこの病院に来ていましたので、その間にスタッフと接し、スタッフの思っていることをなんとなく感じ取ることができました。結果的には、この非常勤として勤務していた半年間は、スタッフとの距離を徐々に縮めるとても意義のある期間だったと考えています。やはり、いきなりトップが代わり、あれこれ方針を打ち出すというのには抵抗感があるスタッフも多いと思いますから、非常勤として勤務する期間を設けることをおすすめします。
② スタッフと個人面談をしよう
説明会と合わせて私が行ったのが現スタッフとの個人面談です。業務をしながら個々のスタッフとコミュニケーションをとる機会は引き継いでからいくらでもでてきますし、相談というかたちでスタッフから持ち込まれるケースもあるでしょう。しかし、ここで言う個人面談はそれとは異なり、個別に一人ひとりと話す機会を設けるということです。
個人面談で私が気をつけた点は、上から下への目線ではなく、これから一緒にやっていこうという仲間としての目線で接することです。こちらから伝えるというスタンスよりも、スタッフの要望なり考えを聞くというスタンスに重きをおきました。
とはいえ、まだその時点ではなんでも話し合える関係というわけではありません。スタッフによっては思っていることをハッキリと言えない人もいますから、そういう人に対してはこちらからも問いかけたりして、できるだけ相手に話してもらえるように心がけました。「今、何か困っていることはありますか?」という質問からはじまって、とにかく相手の話を聞き、院内の現状を理解するように努めました。スタッフの困りごとの相談の中には、話してもらわないとなかなか気づけないようなものもありました。例えば、「サンダル代が経費にならないので困っています」という相談に対して、「経費になるようにしましょう」という話もありました。
自分の気持ちや話を伝えることより、まず相手の話を聞き、受け止めることが大切です。時間はひとり20分程度、業務の合間を縫っての面談ですから、あまり長々とはできません。ですから、20分くらいが適当と考えています。
説明会にしても個別面談にしても、自然に話ができてお互いがうまく溶け込んでいくような感じが理想だと思います。そういう意味でも、承継前からなるべく早く病院に来て前院長と重診をする傍らスタッフとのコミュニケーションを少しずつ増やしていくことが重要になります。
そして、一通りスタッフの話を聞き終えてから、自分の今考えていることを少し話すようにしました。私の場合は、承継した医院に新しく泌尿器科をつくることを考えていましたので、「私は泌尿器科が専門だから、いずれ泌尿器科もやりたいと思っています。その場合は皆さんの負担にならないように進めていきます」といったことを伝えました。スタッフにとっては、消化器科が中心の医院で新たに診療科が増えることは心配の種にもなるでしょう。ですから、スタッフが負担にならないように配慮しているという気持ちをあらかじめ伝えておくことは、私にとって大事なことだったのです。
しかし、すぐにではないにしても新しい科が増えるということに、どうしても賛同できないというスタッフもいて、最終的に退職につながってしまいました。残念ではありましたが、組織運営をしていれば必ずこのような場面が出てきます。幸い前院長は、こと経営に関しては私の気持ちを尊重してくださいました。これは大変ありがたいことでした。それと同時に、第三者の承継開業はあくまで前院長と私の間での契約であることを改めて認識しました。これが、親や義理の親からの承継であれば、お互いの方針がぶつかり、揉めことになってしまうこともあるかもしれません。しかし、第三者の承継開業では、前院長、仲介業者、そして私の三者でじっくり話し合って決めた契約内容が指針となるからです。
このスタッフとの個人面談をしたことによって、スタッフには意見を言いやすいという印象を持ってもらえたと思っています。引き継いでから半年後くらいのことです。それまで私は知らなかったのですが、この医院では医療用のマスク以外、事務スタッフが着けるマスクは個人負担で購入していたのです。私はその話を聞いて、医療用以外の事務スタッフが着けるマスクも経費で購入できるようにしました。
最近、心理的安全性という言葉をよく耳にするようになりました。これは、「組織の誰もが自由に発言でき、そのことによって不利益を被らない状態」のことをいいますが、アメリカのGoogleのリサーチチームが「心理的安全性を高めることがチームのパフォーマンスを高めることにつながる」という研究結果を発表したことで世界中で注目されるようになりました。スタッフとの個人面談によって、意見を言いやすい空気が生まれたことは、チームとしてのパフォーマンスを上げるという面でも大きな意味があると考えています。
③ スタッフの待遇面をどうするか
スタッフのことで避けて通れないのが待遇面のこと、主に給与の話です。私もこれまでは勤務医として給与をもらう立場でしたから、経営者になってスタッフの給与について考えるというのははじめての経験で、難しいところでもありました。「給与を上げます」という話なら私も困ることはないのですが、もちろん、いつもそうなるとは限りません。給与が上がる、給与が下がる、どちらにせよ、大切なことは、正直に伝えることだと思います。
伝え方も「単にあなたの給与は高額だから」とか「今後うちはそんなに出せない」というようでは、私自身がスタッフだったとしてもとても納得できるものではありません。ですから、この医院を引き継ぐにあたり現在の経営状況がどうであるか、どのような課題に直面しているかを話すと同時に、補足として売り上げの推移を示したグラフや周辺医院の待遇の相場などを見せながら現状を丁寧に説明します。そして次に、今後の経営の見通しやどうなったら給与が上がるのかについてもきちんと説明することです。人は先が見えないと不安になりますが、目標が見えればそれに向かってがんばれるものです。そして、最後に大切なことが「あなたはこの病院に必要なのです」という気持ちをきちんと伝えることです。
もし給与額や様々な手当、残業代などをどうやって決めればいいかわからないということであれば、専門家や同業の先輩などに相談するのもいいと思います。いずれにせよ、給与額というのはデリケートな問題ですから、きちんと根拠となるものを示す、そして繰り返しになりますが、正直に伝えることが大事だと思います。
私の場合は、結果的に承継してから業績が上がり、スタッフの給与を上げることができました。第5章で、私が実践してきた集患を増やすためのマーケティングについて説明しますが、スタッフに気持ちよく働いてもらうためには、やはり経営者として、いかに売上を上げていくかということにきちんと向き合っていく必要があるでしょう。
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