働きやすいだけの「ぬるま湯企業」を生み出した働き方改革の副作用
長時間労働の是正を目的にした残業規制の導入、年次有給休暇の取得義務化、同一労働同一賃金の徹底などを求めた、働き方改革関連法が公布されたのは2018年で、施行は2019年。法律が制定される以前から、働き方改革の必要性が各所で喧伝され、特に法令順守意識の高い企業では、ここ10年ほどで働きやすい環境が飛躍的に整備されてきました。コロナ禍で、リモートワークも大企業を中心に浸透してきました。
また、パワハラ防止法が2020年に施行され、大企業にはパワハラ防止措置が義務化され、2022年4月から中小企業にも適用範囲が拡大しました。直近の改正育児・介護休業法も2022年から順次施行され、対象者への周知・意向確認の義務化、産後パパ育休の創設、分割取得化、取得状況公表の義務付けなど、仕事との両立支援策が進みつつあります。
これらは、少子高齢化が進み人口が減少し続ける日本で、働き手を増やし、税収を上げる目的で国が音頭を取ってきたわけです。結果として15~64歳の生産年齢人口が減少する中でも、就業者数は増えています。女性やシニアが労働参加するようになったからです。
しかし、世界的にも日本の労働生産性は低い状態のままで、思うような成果は上がっていません。長時間労働の是正や休暇が増えることは、労働者保護の観点で意味があり、柔軟な働き方も可能になってきました。ところが、企業経営の観点からは肝心の生産性向上には結びついていないのです。
働く個人の観点からも、仕事の厳しさを乗り越えることによる働きがいや成長実感・活躍の機会が失われているのではないでしょうか。つまり、単に働きやすいだけの「ぬるま湯企業」が急増しているのです。この傾向は、法令順守が先んじて求められる大手・中堅企業ほど顕著です。
優しくなり続ける上司と、叱られたことのない新入社員
ぬるま湯企業の急増ぶりを裏付ける調査データも、明らかになってきました。リクルートワークス研究所が大企業(1000人以上)の大卒・大学院卒新入社会人対象に実施した実態調査(「大手企業新入社会人の就労状況定量調査」(2021))によると、2019年から2021年卒の新入社員で上司・先輩から一度も叱責されなかった割合は25.2%と、4人に1人にも上っているのです。
1999年から2004年卒の新入社員では9.6%と、10人に1人にも満たず、9割以上が上司や先輩に叱られていました。叱られない新入社員は、10年前の2.6倍にも高まっているのです。また、「休みが取りやすい」に対して「あてはまる」と回答した割合も、38.0%(1999-2004年卒)から61.3%(2019-2021年卒)へと23.3ポイントも向上しています。
また、同研究所が、労働の負荷を3つに分類して調べた分析結果も興味深いものです。調査項目を「労働時間が長いと感じる」「仕事の量が多いと感じる」という《量負荷》、「自分が行う業務が難しいと感じる」「新しく覚えることが多いと感じる」という《質負荷》、「人間関係によるストレスを感じる」「上司・先輩の指導が厳しいと感じる」「理不尽なことが多いと感じる」という《関係負荷》に分けたものです。
1999-2004年卒では3項目ともにプラスだったものが、2019-2021年卒では全てマイナス。特に《関係負荷》で、最もマイナス傾向が強く出ています。つまり、昨今の新入社員は、先輩や上司が「優しい」と感じるようになってきているのです。
「管理職は罰ゲーム?!」…悲鳴を上げる上司たち
40~50代の上司層の皆さんは、自分が若手の頃にはパワハラなどという言葉もなく、厳しく指導されてきたことでしょう。ところが、今は新入社員に腫れ物に触るように接しなければなりません。すっかり時代が変わったと感じている人も、少なくないでしょう。
私が営む(株)FeelWorksでは、部下を育て活かす「上司力®研修」シリーズを提供し、2008年から17年来、400社以上で現場上司のマネジメント課題に寄り添い続けてきました。その中で、働き方改革のしわ寄せに悲鳴を上げる現場上司の声を、聞き続けてきました。以下、代表的な声を紹介しましょう。
「入社したての新入社員にとって、初めての仕事はどうしても時間がかかる。できれば仕事を任せて育てたいが、残業をさせるなと人事にきつく言われている。そこで、仕事ができる中堅社員に担当させるしかなく、新入社員はいつまで経っても育たない」
「産休明けで、育児と仕事を両立する時短勤務の女性部下の仕事負荷を下げたところ、キャリアアップの道が閉ざされたとモチベーションを下げてしまった。その分の仕事を割り振った他の部下も不満を貯めているし、一体どうすればいいのか…」
「自分もそうされてきて感謝しているので、できれば厳しく指導して育てたいと思うが、パワハラと言われ人事に駆けこまれたら困る。自分の評価に影響し、懲戒になろうものなら出世の芽もなくなってしまう。時間外の飲みにケーション経費も使えなくなったし、そもそもコロナ禍以降は行きづらい。正直なところ、面倒なので、もう部下にはあまり関わりたくない」
「任せた仕事は中途半端で投げ出すくせに、休みだけはしっかり申請してくる部下に、頭が痛い。自分が若手だった頃は、上司に鬼の形相で叱られ、徹夜してでもやり遂げたもの。しかし、今やそんなマネジメントは許されない。といって、上から求められる業績目標は高いままなので、結局自分が部下の分までやるしかない」
2024年には、この世代間ギャップをモチーフにTBSテレビで金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』が放送されました。阿部サダヲさんが演じる昭和のオヤジ役に共感した人も、少なくないのではないでしょうか。今や「管理職は罰ゲーム」「無理ゲー」などと揶揄されるほど、深刻な状況になっているのです。
「ワークハッピー企業」は、働きがいのために働きやすさを整える
では、この事態をどう打開すればよいのでしょうか。「働きやすさ」を横軸に、「働きがい」を縦軸に取り、「働きやすさ」と「働きがい」のバランスの違いによって企業を四分類して考えてみましょう(【図表】参照)。
① 働きがいはあるが、働きやすくない「ワーカホリック企業」(左上)
働きがいはあるけれども、労働環境がよくない会社は「ワーカホリック企業」だと言えます。仕事は面白くてやりがいはあるものの、働く環境は極めてタフで、仕事が終わらなければ残業や徹夜もお構いなしの体力勝負。辞令一枚で地方でも海外でも、どこへでも飛んでいくことが求められます。昭和の高度成長期からバブル経済までの日本企業は、ほとんどがこのタイプだったかもしれません。
会社の成長・業績拡大とともに従業員の給料もアップし、暮らしのレベルが上がっていった時代。終身雇用・年功序列という将来展望があったから、企業戦士たちは劣悪な職場環境にも耐えることができました。ただし、日本人の平均年齢が若く、働き手は男性中心で、家事・育児は女性が担うことが一般的だったから、成り立ったと言えるでしょう。
② 働きやすさも働きがいも小さい「ブラック企業」(左下)
会社の理念やビジョンが共有されず、自分が何のために仕事をしているのかもわからないまま、劣悪な就労条件の下、ひたすら長時間労働を課せられるのが「ブラック企業」です。いわば『蟹工船』の世界。いつ抜け出せるか分からない真っ暗なトンネル内を延々と走らされ、搾取され続ける状況では、人はいつか精神を病んでしまうでしょう。
③ 働きやすくても、働きがいが小さい「ぬるま湯企業」(右下)
まさに、現代の日本企業のなかで急増しているものです。男性だけでなく、女性や高齢者、家庭の事情などで働き方に制限のある人にも活躍してもらうための配慮は、望ましいことです。ただ、「働きやすさ」ばかりに目が向き、個人の「働きがい」への配慮が足りないと、「ぬるま湯企業」に転落してしまいます。
このタイプの企業でよく見られるのが、従業員の権利意識の肥大化です。仕事での責任や成果をきちんと求められないまま、労働時間の短さや休暇の取りやすさなど従業員の権利ばかりが認められると、責任を果たさず権利だけ主張する「勘違い社員」が増えるリスクが高まります。
終業時刻になると、仕事がまだ残っていても「もう時間ですから」と切り上げてしまう無責任社員。仕事の成果を求められず、就業時間がなんとなく過ぎていく、お客様状態の新入社員。こうした従業員ばかりが増えれば、個人の成長はもちろん、会社の成長を妨げる大きな要因にもなりかねません。
④ 目指すべきは、働きがいのために働きやすさに配慮する「ワークハッピー企業」(右上)
「働きがい」のために「働きやすさ」が配慮されているのが「ワークハッピー企業」です。ここでは、多様な価値観や事情を抱える個人が、それぞれに目的意識を持って自分なりの役割を果たし、努力や成果を周りから認められながら充実感を持って働けます。
「ブラック企業」は論外ですが、いまだ昭和気質の「ワーカホリック企業」も、昨今急増している「ぬるま湯企業」も、「ワークハッピー企業」を目指していくべきだというのが、私の考えです。
部下一人ひとりの心を動かす上司力を鍛えよう
では、現場を束ねる上司層は、どうマネジメントを工夫すればよいのでしょうか。働きやすい職場は、そのための人事制度が整備され、環境を整えることで、ある程度は実現できます。しかし、個人の働きがいを高めるのは難しいものです。働きやすさは、制度として誰にでも見える形で作り出せますが、働きがいは一人ひとりの受け止め方、つまり外からは見えない心の問題だからです。
しかも、働く人たちが多様化し、一人ひとりが仕事に求めるものも多様化しています。働きがいとは、チームとしての仕事と、その中で自分が担う仕事が、自分にとってどういう意味を持つのかという、問いの答えを従業員一人ひとりが見つけることとも言えます。当然ながら、現場を束ねる上司が、部下一人ひとりの心をつかみ動かす上司力を鍛えていなければ、実現は難しいのです。
「上司力®研修」を受講する上司層には、部下の働く時間は短くなり、休暇も取らせて、リモートワークであっても、部下一人ひとりの働きがいに通じる仕事の負荷は上げていかなければならないと認識してもらい、そのためのマネジメント手法を学んでもらっています。
本物の優しさは、厳しい愛
パワハラ防止法もあり、上司は部下に怒りをぶつけることに非常に過敏になり、怒りを抑えるアンガーマネジメントが求められてきました。アンガーマネジメントは、「怒りを感じたら6秒待つ」ことなどを学び実践していくもので、技術的にはさほど難しくなく、身に付ける意義はあるでしょう。
ここで懸念されるのは、上司たちが「上司たるもの、感情を抑えるべきだ」と思い込むこと。感情を無理に抑え込むことは、精神衛生上もよくありません。私利私欲のために感情的になることは控えるべきですが、上司が部下を思い、部下の心を動かすためには、時には感情をあらわにしてもよいのではないでしょうか。
そもそも上司と部下の間に信頼関係があれば、叱ることが即パワハラとはならない場合も多いものです。重要なのは、上司が「ここで叱ることが部下自身のためになっているか」と自問自答することです。ダメな叱り方とは、上司自身の保身のため、あるいは経営層からの自分の評価を上げるために「こんなミスをして一体どうしてくれるのか」などという場合。こうした責任転嫁では、部下は心を閉ざしてしまいます。
部下を叱るのは、それが部下自身の成長や活躍につながると信じられる場面であるべきです。部下自身がやると言ったことを中途半端な状態で投げ出した時に、「そんな仕事ぶりでは、あなたの信用を失ってしまう」「こんなことでは、あなたの成長につながらない」と叱ることは、どれだけ時代や環境が変わってもやはり必要です。
なお、怒るというのは、叱るのに比べると感情的な度合いが高いと考えられがちです。「上司たるもの、叱るのはいいが怒ってはだめ」とアドバイスする人もいます。しかし私は、上司が本気で怒った時は、あえて感情を出す局面があってもいいのではないかと考えています。もちろん「部下のためを思えばこそ」という条件付きです。部下を思ってなら、烈火のごとく怒ってこそ、心に響き、気持ちが伝わる面もあるはずです。
ぬるま湯企業が増えて、働きがいや成長の手応えに物足りなさを感じる人が増えつつある今こそ、上司に求められる本物の優しさは、厳しい愛なのではないでしょうか。
※本稿は前川孝雄著『Z世代の早期離職は上司力で激減できる』(株式会社FeelWorks刊)より一部抜粋・編集したものです。
人を育て活かす「上司力®」提唱の第一人者。(株)リクルートで『リクナビ』『ケイコとマナブ』『就職ジャーナル』などの編集長を経て、2008年に (株)FeelWorks創業。「日本の上司を元気にする」をビジョンに掲げ、研修事業と出版事業を営む。「上司力®研修」シリーズ、「ドラマで学ぶ『社会人のビジネスマインド』」、eラーニング「パワハラ予防講座」「新入社員のはたらく心得」、「50代からの働き方研修」等で、400社以上を支援。2011年から青山学院大学兼任講師。2017年(株)働きがい創造研究所設立。情報経営イノベーション専門職大学客員教授、(一社)企業研究会 研究協力委員サポーター、(一社)ウーマンエンパワー協会 理事等も兼職。30年以上、一貫して働く現場から求められる上司や経営のあり方を探求し続けており、人的資本経営、ダイバーシティマネジメント、リーダーシップ、キャリア支援に詳しい。連載や講演活動も多数。
著書は『部下全員が活躍する上司力 5つのステップ』(FeelWorks)、『部下を活かすマネジメント“新作法”』(労務行政)、『本物の「上司力」』(大和出版)、『人を活かす経営の新常識』(FeelWorks)、『ダイバーシティの教科書』(総合法令出版)、『「働きがいあふれる」チームのつくり方』(ベストセラーズ)、『一生働きたい職場のつくり方』(実業之日本社)、『50歳からの逆転キャリア戦略』(PHP研究所)、『50歳からの幸せな独立戦略』(PHP研究所)、『50歳からの人生が変わる痛快! 「学び」戦略』(PHP研究所)等約40冊。最新刊は『Z世代の早期離職は上司力で激減できる!「働きがい」と「成長実感」を高める3つのステップ』(FeelWorks、2024年4月1日)
※「上司力」は株式会社FeelWorksの登録商標です。
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