※本稿は寄稿者の個人的見解に基づく原文を掲載したものであり、THE OWNERの見解を示すものではありません。

サーフィンとの出会いは大学生になった18歳の時でした。

波に学ぶ、サーフィンと経営
(画像=波に学ぶ、サーフィンと経営)

医者になることと高知に住むと決め、高知医科大学(現在:高知大学医学部)に入学しました。海が好きだった私は、プカプカ海に浮かびまったりしている自分を想像しヨット部に入部しました。しかしヨットは想像とは全く違いました。強風、高波の時はかなりバタバタとして、弱風の時はヨットが進まずイライラ。基本的にはレースなのでまったり出来る瞬間はありませんでした。大学生活を楽しみたかった私は、サーフィンをしている同級生に声を掛けて海に連れて行ってもらいました。

初めてのサーフィンは台風の渦中

サーフィン初体験は台風スウェルが炸裂する仁淀川の河口でした。経験のない私は、サーフィンはそんなものだろうと思いパドルアウトしましたが、河口なので簡単に沖に出られました。勿論乗れませんでした。

それどころか潮に流され、命からがら岸に辿り着きました。一緒に行った同級生も同じ状態。同級生も数回サーフィンに行っただけで、素人ということはその時に知りました。そんなサーフィンとの出会いですが、サーフィンの難しさはむしろ魅力的に感じ、大学生時代はサーフィンに没頭しました。それまでは全く海外に興味がありませんでしたが、良い波に乗りたいという思いで、初めての海外は一人でバリ島へのサーフトリップでした。初めての海外旅行も無謀でした。言葉も通じず、文化の違いもあり、色々と試練を味わいました。ただ、日本人とは全く違う価値観がそこにはあり、大学生活ではアルバイトをしてお金を貯め、長期休みはバックパッカーとしてバリ島だけではなく、色々な国を訪れました。

医師としての新たな舞台と可能性

高知でサーフィンを満喫した大学生活でしたが、大学卒業時に整形外科医になろうと決め進路を考えた際、サーフィンと仕事を天秤にかけ迷いに迷った挙句、医師としてしっかりとスキルアップしたいと考え、整形外科医になる前に、大阪で一番厳しいと評判だった救急病院に入職しました。救急病院では日々様々な患者さんが運ばれてきますが、そこでも衝撃的な出会いがありました。腰痛で歩けなくなり救急車で運ばれてきた患者さん。その患者さんに対して、飲み薬や注射を使わずに骨盤を少し触っただけで、なんとその患者さんは歩いて帰宅されました。

それが私と手技療法の出会いです。それから私は手技療法の魅力にはまり、医師として働く傍らで手技療法を学びました。一方でほとんど休みがない状態でサーフィンに行くには厳しく、また無理をして行ったとしても高知のような波には出会えることはなく、サーフィンからは次第に遠のき細々とする程度になりました。3年間の救急医療研修を終え、整形外科医の道に進みました。激務から解放され少し余裕が出た私はさらに手技療法の学びに没頭しました。そのうちに自分でもっと手技療法を出来る場所を作りたいと考えるようになりました。

経営の波に乗る決断

サーフィンと経営
(画像=種子島にサーフトリップ)

そんな時に種子島にサーフトリップに行きました。自然の中に身を置き、自分と対話し導き出した結論が、勤務医をしながら副業で会社を作るということでした。その3か月後、2004年12月24日に株式会社オルソグループは誕生しました。その後、更に仕事に没頭する中サーフィンからはついに完全に離れました。

自分を見つめ直す、サーフィン哲学

サーフィンとの再会は2020年9月に宮崎県の病院を事業承継したタイミングです。宮崎空港から病院までは海沿いの道を約1時間南下します。そんな中で綺麗な海で気持ちよさそうに波を上下しているサーファー達を見ていると、もう一度サーフィンがしたくなりました。そして15年振りに遂にサーフィンを再開しました。体力も衰え、普段からトレーニングもしていませんので、昔のようには出来ませんが、海に入っている瞬間は本当に気持ちが良いです。海に浸かっている中で、暗闇から朝日が昇る瞬間は自然の有難さと美しさから、本当に幸せを感じます。また、サーフィンを通じた自然からの学びは経営を含めて私の人生に大きな影響をもたらしています。例えば、同じ波は二度と来ません。良い波を逃してしまった時の悔しさ、逆に苦労して沖に出て良い波に乗れた時の大きな喜び、大きな波に恐怖を覚えたときの一瞬のためらいは殆ど失敗して波にのまれてしまいます。どんな波に乗るかのポジショニング、言いだすとキリがない程、サーフィンには学びがあります。

サーフィンは私にとって趣味というよりは人生の師匠です。これからものんびりとサーフィンを続けられたらと思います。

波に学ぶ、サーフィンと経営
(画像=波に学ぶ、サーフィンと経営)
鞆 浩康(とも ひろやす)
鞆 浩康(とも ひろやす)
1975年、大阪府出身。高知医科大学医学部卒業。岸和田徳洲会病院、大阪市立大学附属病院 整形外科医局等での勤務を経て、手技療法に興味を持ち2004年12月24日にオルソグループを設立。病院やクリニックの経営をはじめ、睡眠に特化した旅館「御宿コトブキ」やカラダを整える整体枕を扱う「CURE:RE」など多事業を展開し、健康を通じて世の中の人を笑顔と元気にする「究極の医療グループ」を目指し活動している。

オルソグループHP
御宿コトブキ
CURE:RE

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