矢野経済研究所
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2024年1月1日、日本列島が抱える最悪の自然災害リスクが能登半島において現実のものとなった。犠牲になられた方に深く哀悼の意を表すとともに被災地の日常の回復を願うばかりである。他人事ではない。首都圏直下や南海トラフ地震も「30年以内に70~80%の確率」で発生するとされる。つまり、今、まさにこの場所、この時かもしれない。果たして私たちは東日本大震災が突き付けた課題にどこまで本気で向き合ってきたか、時間の経過とともにリスクに対する過小評価が進んでいないか、今一度、まっとうに自然の力を恐れる必要がある。

巨大地震の発生は1日16時10分、気象庁は直ちに大津波警報を発令、避難を促した。しかし、半島という地理的な条件、寸断された道路、複雑な地形に点在する集落、通信障害、止まない余震、これらが被災実態を把握するうえでの障害となった。官邸の特定災害対策本部が非常災害対策本部へ “格上げ” されたのは発生から7時間以上が経過した23時35分、被災地からの要請を必要としない “プッシュ型支援” を開始したとの発表は翌2日の午後、自衛隊の投入は2日に1千人、3日に2千人、、、5日に5千人と逐次投入となった。

発生から “72時間” が勝負だ。国土の危機を検知するシステム、現場での指揮系統、初動のオペレーションは適切だったのか、評価は分かれる。とは言え、4日午前には海上自衛隊の揚陸艦による海路からの輸送もはじまった。自衛隊、消防、警察をはじめ全国自治体からの支援も本格化しつつある。初動対応の在り方はいずれ検証されるはずだ。まずは不明者の捜索と被災者の生活支援に全力をあげていただきたく思う。

原発の安全基準も検証が必要だ。志賀原発の揺れは設計上の想定を上回った。放射線監視装置は15ヶ所でダウン、住民避難路は通行止めとなり、外部電源機能は一時的に失われた。流出した油量の数値や敷地内水位の値も発表後に修正、訂正された。北陸電力は “安全上問題ない” と声明したが、かつて同社がまさにここで発生した臨界事故を長期にわたって隠蔽したことを想起した人も少なくないだろう。それだけに、4日の会見、原発の安全性について見解を求めた記者に対し、無言のまま背を向け、立ち去った岸田首相にはがっかりだ。例え、会見終了のアナウンスの後であってもトップとしての責任と覚悟を自らの言葉で表明すべきであった。対話を拒否した彼の姿が残したものは賛否を越えての失望だ。

今週の“ひらめき”視点 1.7 – 1.11
代表取締役社長 水越 孝