絹紡糸用シルクの原料商として100年前に京都で産声を上げた元廣は、戦後その素材をシルクからウールに転換して事業を進化させ、現在は中国やオーストラリアにも拠点を持つグローバル企業となった。その同社がフランチャイジーとして活動を開始したのは今から30年前。外食事業で多店舗展開を行い、直近2020年12月期の売上高は全体の3割となる40億円を占める水準まで到達した。先代社長の命を受けて新規事業の舵取りを任された同社の代表取締役専務である元廣剛巳氏に、メガフランチャイジーになるまでの道のりを聞いた。

元廣剛巳専務
(画像=元廣剛巳専務)
元廣剛巳専務
元廣剛巳専務
もとひろ・つよみ
1958年12月11日生まれ、京都市出身。1982年に芦屋大学教育学部産業教育学科を卒業後、株式会社元廣に入社。入社後は羊毛原料の勉強のためにオーストラリアで研修を行い、帰国後は繊維事業部課長に就任。1991年に外食事業参入と同時に、外食事業部部長に就任。その後取締役、常務取締役などを経て、2000年に代表取締役専務に就任。2010年からは「丸源ラーメン」のオーナー会である「丸源清正会」の副会長としても活動している。

びっくりドンキーの初出店から11年後の2002年、同社は現在のもう1つの柱のブランドとなる「丸源ラーメン」に加盟をする。当初は同じ物語コーポレーションが展開する「焼肉一番かるび」での出会いだったというが、現在は9店舗を展開するまでになった。

「丸源ラーメン」1号店目となる二条大路店
(画像=「丸源ラーメン」1号店目となる二条大路店)

丸源1号店は今でも月商1800万・チェーンベスト
FC撤退直前から一転
ヒット商品リリースで息吹き返す

-びっくりドンキーで多店舗化を成功させたタイミングで、丸源ラーメンに加盟をします。

元廣 当時、物語コーポレーションさんは焼肉一番かるびのチェーン展開を開始するタイミングで、びっくりドンキーの加盟店を対象に営業をしており、その流れで当社にも話が来ました。当時は私たちもびっくりドンキーだけではなく、何かほかにもやらなあかんよねと社内で話をしていたので、幅広く情報を吸収する意味でセミナーに参加しました。その時はこのブランドを積極的にやりたいというわけでもなかったので、加盟はしませんでした。しかしその後、今の丸源ラーメンを愛知県の三河安城で始めたという話を聞き、大々的に募集をしていないタイミングであったのにも関わらず、ご連絡をいただいたのです。

-実際に話を聞いた印象はいかがでしたか。

元廣 三河安城まで店舗を見に行き、実際に食べてみましたが、正直「普通やな」という感想でした。ですからしばらくはええかという話をしていたのですが、「よう売れてる、よう売れてる、2000万円も売っている」と電話がしょっちゅうあり、もう一回見に行きました。確かにまあまあ流行っているので、ビジネスとしては問題ないと思いましたし、それよりも何かほかのことをやりたいということの方が大きかったので加盟をしたという感じですね。

-丸源ラーメンでの出店は最初から上手くいったのでしょうか。

元廣 実は出店してから4年目ぐらいまで苦戦が続いており、5年の契約満了のタイミングでやめようと考えていました。それを本部に話したところ、本部から髙橋康忠さん(現:取締役常務執行役員)たちが何人かで当社に来られ、「今度新商品がでるので、それを見てからでもいいんじゃないですか」と言われて。その時の商品が今の看板商品である「肉そば」だったのです。この商品が大ヒットし、結果として当社も持ち直すことができた。事業が軌道に乗ったことも嬉しかったですが、本部の方々から「関西の1号店を頑張ってやめずにいてくれてたから、その後の関西の20何店舗の方たちや今の若い人たちにも伝えられる。語り継いでいくようにする」と言ってもらえたのが嬉しかったですね。

事業の命運を左右した「肉そば」
(画像=事業の命運を左右した「肉そば」)

-本部が一生懸命サポートする意思が感じられますね。

元廣 お陰様でこの二条大路店は、現在運営している9店舗の中でも一番売り上げており、平均月商で約1800万円、全国の店舗の中でも常にベスト10に入っています。実は今年の盆明け頃に滋賀県の大津市で10店舗目をオープンする予定です。

現在元廣では、びっくりドンキーを14店舗、丸源ラーメンを9店舗運営している。それぞれ同社が加盟した当初は新興FCチェーンだったが、現在は両チェーンとも大手チェーンへと発展している。そしてこの両チェーンには共通点があると元廣氏は話す。

直営店がしっかり出店していればフランチャイジーも安心

-店舗経営を成功させるためには、本部との連携が不可欠となります。

元廣 今私たちが加盟させてもらっている本部は、本当にすごく真面目な会社だと思います。びっくりドンキーで初出店した時も大変で、社員募集しても誰も来ませんし、休みなしで働いてガレージで寝たこともありました。また大雪でミンチが届かず、大垣のセントラルキッチンまで行って工場が開くのを待っていたこともありました(笑)。そんな時もアレフさんは直営の社員の方を1カ月ほど派遣してくれて、最大で7名の方を寄越してオープンをサポートしてくれました。

-本部としても、「何としてでも成功させたい」という意思が伝わってきますね。

元廣 今でもアレフさんや物語コーポレーションさんからは、うちに新入社員が入ってきたら本部で2〜3カ月研修を受けられるよと言ってもらえます。これはなかなか普通の関係だったらできないと思います。また両社とも年に1回だったり2回だったり加盟店オーナーを集めた会議を開いており、本部の指針だけではなく、同じオーナーとの交流も持たせてくれます。

-FC本部によっては加盟店同士の交流を敬遠する企業もありますが、そこが大きく違うと。

元廣 2社ともフランチャイジー同士の仲が非常によいと思います。オーナー会からのご縁でお付き合いしているフランチャイジーの方も多いですし、同じ加盟店同士で「これやったら儲かるよ」だったり、「どや、〇〇儲かってるけ?」なんて話をお互いに報告し合う関係も生まれていますから。

-献身的なサポートだったり、研修体制、本部・加盟店を問わず交流を持たせてくれるというのが特徴ですね。

元廣 本来なら本部の方が加盟店より上の立場だと思うのですが、この2社については本当に五分五分の関係だと思います。我々の意見もしっかり聞いてくれる。だからこそ、これらのブランドが良すぎて、他の業態を見た時に二の足を踏んでしまうのかもしれません。

-ほかにも共通項はありますか。

元廣 2社とも、直営店を積極的に出店しています。この点は、私たちも一緒に業態をやっていく上で大きいと判断しています。フランチャイズ本部でよくあるのが、業態を開発してノウハウは共有するけど、直営店は出さへん。フランチャイジーだけに出店させて、本部は食材を卸すことで儲かっている。その点、私たちが加盟しているブランドは本部が直営店で出店しているので、それが我々の安心にもなるのです。

外食事業部を立ち上げてちょうど30年が経過した今、既存ブランドの経営は完全に軌道に乗った。ただ同社は既存業態の増店だけを続けていくわけではなく、今後も新たな柱となる業態を積極的に手掛けていきたいという。

3本目の柱となる新業態を模索
「社員2名配置」「年商1億円」が条件

「丸源ラーメン」1号店目となる二条大路店
(画像=「丸源ラーメン」1号店目となる二条大路店)

-びっくりドンキーや丸源ラーメンでの出店目標数はありますか。

元廣 できれば多くやれたらとは思いますが、何店舗までといった目標はありません。それよりは失敗してもいいから新しいことをやりたいと思っています。既存の2ブランドは今でも新しいメニューを色々と考えてくれていますが、このままもうあと10年20年とやっていけるかという不安もあります。ただ今後加盟するブランドはスポットで流行るブランドではなく、ロングランでいけるようなものをやりたいと考えています。

-加盟をする際に選定しているポイントは何でしょうか。

元廣 たとえば飲食であれば、コックレスでできるようなところを常に考えています。フレンチやイタリアン、フュージョンやイノベーティブなどの恰好ええ料理は食べに行っても美味しいですけど、専門のコックや料理人が必要となる。しかもせっかく雇ったとしても辞めますわと言われたら店を閉めなあかん。だからある程度、コックレスでできるような専門店をしたいなっていうのがありますね。

-売上や事業モデルという面ではどうですか。

元廣 企業としてやっている以上、ある程度人を使うていかなあきませんから、最低でも社員を2名入れるようなブランドですね。店長兼社員というように、1人だとその人が潰れてしまうからです。また社員を2名以上使うとなれば、1店舗当たりの年商も1億円ぐらい売れるのが1つの基準だと思っています。

-フランチャイジーとしての30年間を振り返ってみて、今、何を思いますか。

元廣 事業を開始した当初はここまでなるとは思わなかったですし、実際に失敗もいっぱいしてきました。それでもここまで大きくなることができたのは、必死で本部の見よう見まねをし続け、本部が与えてくれたチャンスをしっかりと掴めたからだと思っています。