事業活動を行う以上は、日々小さな不安全行動が発生している。どのような業態や事業規模の企業でも、ミスや事故は必ず起こるが、その発生は「ハインリッヒの法則」の活用で防げるとされている。この記事では、ハインリッヒの法則の仕組みやよくある3つの間違い、自社でのハインリッヒの法則の活用方法を解説する。
目次
ハインリッヒの法則とは
ハインリッヒの法則は、ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒというアメリカの損害保険会社の安全技師が、損保事故のデータから発見した法則で、同じ人が起こした330件の災害のうち、1件は重いケガに至ったとすると、29件は軽いケガ、300件はケガのない災害を起こしているというものである。
さらにハインリッヒの法則では、300回のケガのない事故の背後には、数千回にわたる不安全行動や不安全状態があったと分析している。
この内容から、ハインリッヒの法則は以下のように呼ばれることもある。
- ハインリッヒのトライアングル定理
- 1:29:300の法則
ただし、ハインリッヒの法則において、1件、29件、300件といった数値そのものが重要なのではない。
ハインリッヒの法則において重要なことは、大ケガを発生させた大災害や大事故の背景には、それとよく似たたくさんの軽い事故や危険な状態が存在しているということである。
つまり、ハインリッヒの法則では、軽い事故や危険な状態を認知した際に防止対策を講じていれば大きなケガが生じる事故を防ぐことができるということを示唆している。
ハインリッヒの法則は、さまざまな業種にあてはまる汎用性の高さと内容のわかりやすさから、現在の安全衛生対策にも十分に活用できる事故防止のバイブルとされている。
ハインリッヒの法則の特徴
- 1件の重大な事故の下には、29件の軽微な事故と300件のもっと小さな事故がある
- さらにその下には数千の安全ではない行動や状態が存在する
ハインリッヒの法則でよく聞く「ヒヤリハット体験」とは思わず「ヒヤリ」とした事故体験や「ハッとした」事故体験を表す造語である。
ハインリッヒの法則にあてはめれば、事故に至らない300件の「ヒヤリハット体験」を防ぐことによって、重大な事故も防ぐことができるといえる。
ハインリッヒの法則でよくある2つの間違い
ハインリッヒの法則は、本来のハインリッヒの研究とは少々異なる伝わり方をしており、ハインリッヒの法則の説明としてよく指摘される間違いがある。交通事故防止を事例に、どうしたら正しい説明になるか一緒に考えていただきたい。
事故を起こしたのは「1人の人間」である
間違いの多い説明例:「世の中の330回の交通事故のうち、1回は重大なケガの事故になる」
世の中の不特定多数の人が起こした330回の交通事故を対象にしている箇所が誤りである。
ハインリッヒの法則から導き出された「1:29:300」は、1人の特定の人間が起こした事故を対象にしている。例えば「会社で330件の事故が起きたら、そのうち1件が重大なケガの事故になる」という説明をした場合、ハインリッヒの法則の研究結果とは少し違うものになってしまうのだ。
330回の事故は「類似する事故」の統計である
間違いの多い説明例:「330回のさまざまな交通事故のうち、1回が大きな交通事故である」
細かい話になるが、「330回の事故のうち、1回は大事故であり、300回は何でもない事故である」というように、330回の事故が関連性のないランダムな事故を指すような説明は、ハインリッヒの法則と異なる。なぜならハインリッヒの法則における330回の事故は「類似する事故」であることが前提となっているからだ。
「1:29:300」は、重大な事故の発生比率ではなく、同じような事故をケガの程度という「結果」で分けた統計である。そのため、説明するときは「同じような事故が330回起こったとき、運良く300回は無傷、29回は軽傷であったとしても、残りの1回はそうはいかない」としたほうがハインリッヒの法則の説明により近くなるだろう。
ハインリッヒの法則の間違いを知るより大切なこと
ハインリッヒの法則に関する間違いは、すべてハインリッヒの法則の前提条件に関する認識である。
しかし、この認識に多少の誤りがあったとしても、ハインリッヒの法則から得られる教訓は「300回をラッキーで終わらせず、29回や1回の発生を回避するために気をつけよう」といったことに変わりない。厚生労働省によるハイリッヒの法則の解説でも「これらの研究成果で重要なことは、比率の数字ではなく、災害という事象の背景には、危険有害要因が数多くあるということ」と強調されている。
特に、社員を対象とした交通安全講習や労働災害の研修などで用いられるハインリッヒの法則は、受講生や研修生に、事故防止に関心をもたせるための「つかみ」に過ぎない。正しいハインリッヒの法則を教えることよりも、各人の日常の不安全な状態や行動を変化させることによって、災害や事故のない職場にすることが大切である。
(参考)厚生労働省HP:ハインリッヒの法則(1:29:300の法則)
ハインリッヒの法則とあわせて知っておきたい「バードの法則」
ハインリッヒの法則の他にも事故防止に関するものとして似たものに「バードの法則(バードの分析)」がある。バードは、297社における175万件もの事故報告を分析しており、ここから導き出した比率が「1:10:30:600」だ。
- 「1」:重症または廃疾を伴う災害
- 「10」:軽い傷害を伴う災害
- 「30」:物損のみの事故
- 「600」:傷害も損害もない事故(ヒヤリハット)
1つの重大な災害が起きた場合、軽い傷害が伴う災害は10、物損のみの事故は30、ヒヤリハットは600もの割合で起きていることになる。1つの重大な災害に対する軽い事故の件数や、物損のみの事故が示されていることなどがハインリッヒの法則と異なるが、得られる教訓は同じといってよいだろう。
ハインリッヒの法則の具体的な活用方法
事故のリスクを類似業務で分ける
ハインリッヒの法則を活用するには、まずはどのような小さな事故から防ぐべきなのかを考えなければならない。
しかし、発生する可能性のある災害や事故、リスクの度合いは、同じ企業内でも部署や担当業務によって異なることが普通である。
したがって、まずは事故や災害のリスクを類似する業務ごとに分けた上で、分類ごとにどのような事故を防ぐべきかを考えることが効果的である。
ヒヤリハットの段階で把握する
前掲の厚生労働省のホームページでも、ヒヤリハットの段階で情報を把握し、対策することが必要であるとされている。つまり、ヒヤリハットが起きた段階で再発防止対策を行えば事故を防げるということだ。
しかし、ヒヤリハット体験があったところで、報告制度を設けていなければ情報は上がってこない。まずは、ヒヤリハット体験を把握できる体制を整えなければならない。
厚生労働省のヒヤリハット事例を活用する
ヒヤリハット体験の報告体制を構築するには、「具体的にどのような行為を報告するか」の例示が求められるだろう。
自社に参考となるものがない時は、厚生労働省の「職場のあんぜんサイト」のヒヤリ・ハット事例を参考にして、自社で起こりそうなものをピックアップするとよい。
日常的にあるちょっと危険なものから、読んでいるこちらがゾッとするようなものまで、400を超える豊富な事例が揃っている。
厚労省のヒヤリ・ハット事例の中から、どの業種でも起こりそうで、かつちょっとした工夫で防ぐことができそうな事例を選んでみた。なお、以下で紹介する事例の危険度「小・中・大」の評価は、筆者の判断である。
危険度(小)
・自分で開けた引き出しにつまずき転倒しそうになった
事務職員なら、一度は見たことのある光景ではないだろうか。特に一番下の引き出しは物がたくさん入るため重く、開けっ放しにしてしまいやすい。隣の人がつまずく可能性もあるため、開けたら閉めるように注意しよう。
・立て掛けた台車が倒れて足にあたりそうになった
壁側にタイヤを向けて立てかけてしまい、タイヤが壁を転がって起こる現象だ。台車は通路に放置せず、用事が済んだらなるべく早く倉庫にしまおう。
・脚立で窓ガラスを吹いていたところ、脚立がぐらついて転落しそうになった
脚立を立てた地面に段差があったことから、脚立がぐらついた経験はないだろうか。高い脚立を使用していると、ほんの少しの段差でもバランスを崩しやすい。段差が生じる場所では、安定性の高い踏み台を使用する、ストッパーを活用する、高所作業は二人で行って脚立を一方の人が押さえるなどの工夫をしよう。
危険度(中)
・キャスター付きの椅子に乗って資料を取ろうとしたら転落しそうになった
脚立を倉庫から取ってくるのが面倒なときに、ついやってしまう事例だ。高い本棚がある場所には、脚立や踏み台を置いておくとよいだろう。
・コピー用紙入りの箱を持ち上げるときに腰を痛めそうになった
上半身に頼って重い物を持ち上げようとすると、腰を痛めやすい。重い物を持ち上げるときは、腰を下ろして膝を使ってゆっくり持ち上げる癖をつけよう。
・作業中、壁掛けフックに目が接触しそうになった
壁掛けフックがある場所は、周りの物の配置を工夫しよう。
危険度(大)
・居眠り運転をしてしまい、鉄柱にぶつかりそうになった
運転中に眠気を感じたときは、駐車場に入るか路肩に寄せるなどして運転を停止し、少し休憩を取ろう。
これらの事例は、ほんの一部のため、活用する際は、職場に合った事例をぜひ見つけていただきたい。
厚生労働省HP:「職場のあんぜんサイト ヒヤリ・ハット事例」
ハインリッヒの法則とドミノ理論
ドミノ理論とは、その名の通り1つのことが起こればドミノ倒しのように物事が連鎖して倒れていくという考え方だ。もともとは、1954年にアメリカのアイゼンハワー大統領が南ベトナムのゴ・ジン・ジェム政権の経済援助を正当化してベトナム戦争に介入する際に用いられた言葉である。
ハインリッヒの法則で提唱されたドミノ理論では、欠陥が連鎖を引き起こして最終的には災害を起こすことになるため、不安全状態・不安全行動を取り除いていけば事故や災害は起こらないという考え方からきている。災害が起こる段階を5つに分けて区分し、各段階の連鎖を引き起こす要因の1つでも取り除くことができれば災害を防止することができるというものだ。5つの要因には、以下のものがある。
- 環境的欠陥
- 管理的欠陥
- 不安全状態・不安全行動
- 事故
- 災害
環境的欠陥と管理的欠陥がヒヤリハットの段階といっていいだろう。環境的欠陥と管理的欠陥が不安全状態や不安全行動を引き起こし事故や災害につながるという考え方であり、事故や災害をなくすには不安全状態や不安全行動をなくすことが重要になる。つまり事故や災害につながる連鎖を断ち切るには、環境的欠陥や管理的欠陥を取り除けばよいのだ。
それには、環境的欠陥と管理的欠陥が引き起こす要因を1つひとつ分析して対応する必要がある。このようにヒヤリハットの原因を1つひとつ突きとめて改善することが事故防止・災害防止につながるのだ。
重大な事故を防ぐための取り組み
ハインリッヒの法則のドミノ理論を実践するには、ヒヤリハットの報告を受ける仕組みの構築が必要だ。裏を返すと、報告を受けなければ分析することも対策を検討することもできず、重大な事故を防ぐことができないことになる。重大な事故を防ぐための取り組みを推進するには、まずヒヤリハットの報告を受けることが重要だ。
また報告内容から原因を突きとめ、報告に基づいた対策の検討が必要になる。
①ヒヤリハットの報告
ヒヤリハットの報告はどのようにして行うべきだろうか。ここでは、報告するうえでのフローを作成し、社内でルール化することが重要になる。ただしあまりに手間がかかる方法だと社内で定着しない可能性も否めない。そのため報告書の書式や報告書の提出方法などは、簡潔なものにし小さなヒヤリハットでもできるだけ多く報告してもらうことが大切だ。
ヒヤリハットを報告する目的を社内に周知することも必要になるだろう。また報告の目的は、事故を防ぐことでありヒヤリハットを起こした従業員を責めるようなことがあってはならない。社内に目的が事故防止であることを周知徹底し「報告しないことが最も危険につながる」という意識を定着させることが大切となる。
また報告書の書式にも工夫を凝らすことが必要だ。5W1Hを書式に盛り込み客観的かつ具体的に書けるようにするなど報告書を作る側にとって作成しやすいものにしなければならない。例えば以下のような工夫が必要だ。
- フォーマットを統一して読んだときに分かりやすいもの
- 分析するときに原因を区分しやすいもの
- 作成に時間と手間がかからないもの
②報告にもとづいた対策の検討
これらのヒヤリハットの報告について、1つひとつの原因を分析した対策の検討が必要だ。対策を検討するには、ヒヤリハットが起きた原因がどこにあるのかを分析することが重要である。以下の視点から原因を区分するのもよいだろう。
- 作業環境の問題の有無
- 設備機器の問題の有無
- 作業方法の問題の有無
- 人的な問題の有無
小さなヒヤリハットでも複数の問題が内在することが多くある。注意不足や誤操作など人的なミスだけで済ませず、どうすればミスが起こりにくくなるのかを検討することが大切だ。例えば「キャスター付きの椅子に乗って資料を取ろうとしたら転落しそうになった」といった場合には「キャスター付きの椅子に乗ったまま取らずに立って資料を取る」などと簡単に済ませてはいけない。
なぜなら「資料を収納する棚の位置が高ければ低い場所に設置する」「作業場所が狭く資料を置くスペースがないのであればスペースを確保する」など作業環境や設備環境の問題もあるからだ。
③点検と実行
労働災害は、複数の原因が重なって発生することが多い。そのため事故防止対策の検討は、さまざまな角度で行うことが必要だ。また事故防止対策の検討をした後は、速やかな対策の実行を心がけたい。ヒヤリハットの報告が数多く集まれば優先して改善すべき事項が見えてくるだろう。実務的には、ヒヤリハットが起きた頻度が高い事項から改善を実行することが大切だ。
しかし報告が少なければ「何を優先すべきか分からない」ということにもなりかねない。「報告が少ないからこの事故はたまたま起きたレアケース」とあなどることが最も危険だ。ヒヤリハットの報告が少ないようであれば報告するフローや報告書のフォーマットを点検し、報告を受ける仕組み自体の見直しも必要になる。事故防止対策も常にPDCAサイクルを活用するなど改善していかなければならない。
また事故防止のためには、どんな小さなヒヤリハットでも職場内で情報共有し、常に改善を図っていくことが大切である。
ハインリッヒの法則を活用しよう
ハインリッヒの法則について、よくある間違いや活用方法を解説した。
厚生労働省のヒヤリハット事例は、労働災害に関するものであるが、業務上の事故といえば他にも、資料の紛失や顧客情報の流出など、会社の不祥事に直結するものもある。どのような種類の事故でも、小さな事故の報告から大きな事故のきっかけを見逃さず、再発防止を図ることが大切である。
そのためには、社内でヒヤリハットの情報を抽出して共有することが重要である。ヒヤリハットを起こした社員に対して、罰則を与えたり氏名を公表したりといった行為を控えて、まずは情報を出しやすい社内環境を構築しよう。
ハインリッヒの法則に関するQ&A
ハインリッヒの法則の考え方は?
ハインリッヒの法則は、1件の重大な事故の背後には、29件の軽い事故と300件のケガに至らなかった事故があるというもので、29件の軽い事故や300件のケガに至らなかった事故の発生原因を防止することによって、重大な事故を防ぐことができるという考え方である。労働災害や交通事故などの発生防止対策で活用されており、「ハインリッヒのトライアングル定理」や「1:29:300の法則」とも呼ばれている。
ハインリッヒの法則を考えた人は誰?
ハインリッヒの法則を考えた人は、ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ氏(1886年~1962年)である。アメリカの損害保険会社に勤めていたハインリッヒ氏は、工場で起こった5,000件以上の労働災害を調査し、1件の重大な事故の背景には軽微な29件の類似する事故と300件の事故に至らなかった危険な事態があるという法則を発見した。ハインリッヒ氏は、この法則を自身の著書『Industrial Accident Prevention, A Scientific Approach』で1931年に発表し、日本でも広く知られるようになった。
ハインリッヒの法則の要因は?
ハインリッヒの法則では、災害に至るまでの段階を(1)環境的欠陥、(2)管理的欠陥、(3)不安全状態・不安全行動、(4)事故、(5)災害の5つの要因に区分し、これらの要因は連鎖的に発生する関係にあるとしている。これらの要因のうち、(1)~(3)の要因を取り除いていけば、(4)や(5)の事故や災害は防止できるとしている。ハインリッヒによるこの5つの要因の災害発生の理論は、「ドミノ理論」と呼ばれている。
ハインリッヒの法則の例は?
ハインリッヒの法則とは、1件の重大な事故の背後には、29件の軽い事故と300件の怪我に至らなかった事故があるという「1:29:300の法則」のことである。例えば、わき見運転で前の車に追突しそうになった場合、「1:29:300」のうちの「300」に分類されると考えられる。こうした不注意による危険な状態を日常的に繰り返していれば、いつか大きな事故に結び付くことになるというのが、ハインリッヒの法則の例である。
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