国内最大級のマルチユニット・フランチャイジーであるタニザワフーズ。外食ブランドにのみターゲットを絞り、東海地区を中心にKFCや吉野家など飲食7ブランド・FC95店舗を展開、年商は100億円を超える企業だ。また同社は、フードサービス店と食品スーパーなどを集合出店するSC「ハビット」の開発事業も手掛ける。創業からこれまでの経緯、またフランチャイジーとしての考え方を谷澤憲良会長に聞いた。

(※2020年12月号「メガフランチャイジーへの道」より)

フードサービスFCは未来ある業態目指すは100年以上続く老舗企業/タニザワフーズ 谷澤 憲良 会長
(画像=左から谷澤 憲良 会長(73)と谷澤公彦社長)

「フランチャイズという方法がある」自社工場の跡地にレストラン開店

――タニザワフーズさんは元は繊維会社です。フードサービスのフランチャイジーに転換した経緯は。

谷澤 1947年に私の父が、子供は右肩上がりに。そこで私たちも新事業として不動産売買事業を始めることにしたのです。そして不動産事業を行う中で、「ステーキのあさくま」が岡崎で土地を探しているという情報が入ってきたのです。あさくまは、当時中京地区でナンバーワンの郊外レストランチェーン。ステーキ専門店を25店舗展開していて脚光を浴びていました。土地を探すお手伝いを通じて先方の社長さんと話す機会があり、そこで初めて、本社が直接展開するのではなく「フランチャイズ」というやり方があることを知ったのです。1974年のことでした。私自身、知識がなかったので近くの町の加盟店に相談したところ、やれば何とかなるという前向きな話ばかりだった。それで出店する気持ちが固まりました。

――最初の店は、繊維工場を閉鎖した跡地に作られたそうですね。

谷澤 その頃はまだ繊維の商売をしていたので、別の土地を買って店を作ろうか悩みました。しかしあさくまの社長さんから、「やるならこの場所がいいですよ」と強く勧められ、先代と相談して「衣と住(不動産)をやっているから、これから〝食〞の道に入ろう」と決めました。1975年、工場を撤去した後にあさくまをオープンしたら、「繊維会社がレストランを始めた」と地域の人が興味を持ってくれ、毎日1〜2時間の行列待ちができるほど繁盛しました。開店当初は平日でも80万円、土日は200万円ほど売れ、月商は約3000万円になりました。

フードサービスFCは未来ある業態目指すは100年以上続く老舗企業/タニザワフーズ 谷澤 憲良 会長
(画像=▲月商3000万円を記録した「あさくま」)

3本柱が大きく成長繊維業からの撤退を決意

――「ステーキのあさくま」の次は、「ロッテリア」のFCを始めました。

谷澤 あさくまはとても繁盛していたので、近くに店を出したいという飲食店が多かった。中でも一番驚いたのは、店の隣の敷地にほぼ同業のファミリーレストランを出店する計画があったことです。再三お願いしてファミレスは隣ではなく、道を挟んだ向かい側に開店していただき、難を逃れました。ただその時に、隣の敷地の地主さんから「空いた土地を使ってくれ」と言われ、そこで始めたのが「ロッテリア」です。

ロッテリアに決めたのは、セミナーで視察に訪れたアメリカの様子を服のセーターの製造を始めました。創業から20年間は順調に成長し、69年には私が家業に入りましたが、やがて輸入製品に押されるようになりました。そしてちょうどこの頃、後に首相になる田中角栄氏が「日本列島改造論」を発表し、不動産の価格見たのがきっかけです。現地にはたくさんのファストフードチェーンが出店しており、どれも繁盛していた。FCの未来は明るいと思いました。

そしてやるならハンバーガーショップだと考え、中でも品質を大事にFC展開をしていたロッテリアさんに決めました。当時は隣り合った敷地でフードサービスの店をやる時は必ず間に塀を立てていましたが、私たちは2つの店舗を隔てない形で共用の駐車場を作ったところ、昼はファストフード、夜はレストランのお客様でいっぱいになりました。

――3店目となる「KFC(ケンタッキーフライドチキン)」を出した後、繊維業はきっぱり辞められましたね。

谷澤 繊維業は現金決済ではなく手形で、決済は年1回。利益が出ても資金繰りが大変でした。一方、フードサービスは現金商売で、売れたらすぐに入ってきます。しかし2店だけでは、従業員を食べさせていくには足りない。そんな時に、繊維の仕入れ先だった三菱商事さんがKFCをやっていると聞き、紹介していただいたのです。偶然にも、良いめぐり合わせで3本目の柱が見つかった。1978年にKFCの店を開店し、その3カ月後に「タニザワフーズ」に社名変更しました。

フードサービスFCは未来ある業態目指すは100年以上続く老舗企業/タニザワフーズ 谷澤 憲良 会長
(画像=▲3店舗目の「KFC」。今では51店舗を運営)

努力次第で付加価値が上がるそれがフードFCの醍醐味

――タニザワフーズになってから42年が過ぎ、現在はKFC51店舗、吉野家12店舗、かつや12店舗など7つの飲食ブランドで計95店舗を展開されていますね。他業態のFCをやったことはなかったのですか。

谷澤 以前は「TSUTAYA」や「ローソン」、「三井のリハウス」や「ダスキンサービスマスター」などといったブランドも手掛けていました。現在やっているブランドより、過去に辞めたブランドの方が多いです。

――かつては郊外型居酒屋やサンドイッチとコーヒーのショップなど、自社でFCチェーンを展開したこともありましたね。

谷澤 フランチャイジーをやりながら、一方でFCチェーンを立ち上げるのは無理だと実感しました。FCチェーンの本部は、創業者が桁外れのエネルギーを持って努力と忍耐を続けることで成り立っているもの。やはり餅は餅屋だと思いました。

――様々な業態の店舗展開をしてきたわけですが、フードサービスに集約した理由は何ですか。

谷澤 外食FCはフランチャイジーの役割が非常に広いのです。原材料コストが3分の1から40%くらいと考えると、店舗で関われる範囲が5割ほどになる。つまり店舗で努力すればするほど、付加価値を広げることができるのです。実際、アメリカの外食産業は85兆円ほどの市場がありますが、その内大半の企業でFCビジネスを展開していることを考えると、外食はFCを展開した場合、非常に上手くいく業種だと思います。

共通目的は「社会への貢献」本部とは前向きな話し合いを

――フランチャイジーはロイヤリティの支払いや店の看板代、本部からの食材購入コストが発生しますね。それらを差し引いても、フランチャイジーでいることを選択する理由は何ですか。

谷澤 FCは本部と加盟店で機能が大きく異なります。本部はマーケティングやシステム全般の開発をするので、卓越した技術を持った人材が必要になります。20〜30店舗のFC本部なともかく、大きく広げるなら相当な実力のある人材を配置し、研究開発を進めなくてはいけない。我々はそこまで人材を確保できる力を持っていないので、そこを役割分担していただいている。そして本部は本部機能だけに徹することで強力なノウハウが集積され、加盟店を先へ先へと引っ張っていくことができ、チェーン全体が伸びていく。ですからロイヤリティはそれに見合ったものだと考えています。

主力メニューがお客様に支持されて市場占拠率を伸ばしていく。それはお客様に何らかの貢献をしているわけです。占拠率をさらに増やし、もっと社会に貢献するためには、本部が時代に合わせて商品力を上げたり、仕組みの開発を続けていかなければならない。アメリカでも、マクドナルドのように研究開発に力を入れ、時代に対応する企業は大きくなっている。そういったシステム開発に力を割ける企業が支持を得て、伸びていくと思います。

本部と加盟店では役割が異なる 現場を知り尽くした立場からフィードバックを

――フランチャイジーと本部の間にはトラブルが起こることも多いです。円満な関係を築くには何が大切だと思いますか。

谷澤 大事なのは、チェーンを伸ばすための前向きな話を本部とし続けていくことです。本部にはチェーン全体を成功させるという義務があり、加盟店は遂行しなくてはいけない数字上の目標がある。その義務を果たした段階で、現場を知り尽くした立場から「今はこんな状況ですよ」と本部にフィードバックができるようになると一番良い状態で、あるべきFCシステムが出来上がっていくと思います。権利の主張だけでは上手く関係は築けません。

フードサービスFCは未来ある業態目指すは100年以上続く老舗企業/タニザワフーズ 谷澤 憲良 会長
(画像=▲60カ所ある郊外型ショッピング施設「ハビット」)

SCの企画展開にも意欲チェーンストア経営との両輪に

――フードサービスFCの展開だけではなく、「ハビット」という郊外型ショッピング施設(SC)も60カ所運営されていますね。

谷澤 これは土地をお持ちの方にSCとして利用することを提案し、当社が企画・管理運営を進めるというものです。以前から、チェーンストア経営とSC経営は車の両輪のようなものと思っていました。今は郊外に住宅が移りつつあり、店舗も郊外に作ることでお客様に喜ばれます。そこで郊外にフードサービス店や小売店など複数の店舗を集合出店して集客力を高めようと、「ハビット」というブランドを作りました。モデルケースは800坪から1000坪、ブランドは4つか5つ入っており、お客様の住んでいる場所から車で5〜7分圏内で行けるような立地です。現在の売上は全体の1割程度ですが、今後はこの比率をもっと上げていきたいと思っています。

―一 一昨年、息子の公彦さんに社長を譲られました。会社の将来像をどうお考えですか。

谷澤 老舗と言われる「100年企業」を実現させるには4代かかる。息子はまだ3代目です。日本国内の企業を見ても、100年企業は1%か2%の状況。その中で上手く代を継承して、残れる企業でいたいと思っています。

――最後に、メガフランチャイジーを目指している企業にアドバイスをいただけますか。

谷澤 FCシステムは、本部とフランチャイジーの役割がしっかりと分かれていて、時代に合った良いシステムだと思います。その中で、我々の持ち分はやはり現場で、店を作らない限り、売上も作れない。ですから店舗経営に全力を注ぎ、ベストのオペレーションを守り続けていくのが大事だと思います。そしてそれには、キメの細かい管理をしていかないと難しい。経営陣自らが足繁く通って店を見続けなくてはいけません。私も今朝、店舗に行って整理をしてきたところです。そうやって一定のオペレーション水準をしっかりと守り通す。そうでないとFC本部に何を言っても理解していただけないのではないでしょうか。