訳書:TRACTION トラクション 〜ビジネスの手綱を握り直す中小企業のシンプルイノベーション〜
リモートワーク普及で「即レス礼賛」に拍車がかかる
SNSや社内コミュニケーションツールが発達したからか連絡に対して即座に返信を返すこと(いわゆる「即レス」)の重要性が強調されています。リモートワークの広がりにより従業員の行動管理をしたい管理職側のニーズもあり、さらに「即レス礼賛」の風潮に拍車がかかっている気がします。
即レスを称賛する人たちの言い分はこうです。
「すぐに返信することで相手に信頼感を与えることができる」
「相手は聞きたいことがあって連絡しているのだから即返すのが礼儀」
など。中には「私の信頼する人たちはみんな即レスだから」という意見もありました(これは因果関係が逆転している気がしますね)。
この記事では即レス礼賛の風潮に異を唱えてみます。即レスに違和感がある方のかゆいところに手が届く内容になっていれば幸いです。
「即レス」は強者の論理
なぜ「即レスは正義」を真に受けてはいけないのか?それは即レスは「強者の論理だから」です。それに従っている限りあなたはいつまでたっても弱者の立場から抜け出すことはできません。その理由は以下です。
考えてみて欲しいのですが、「即レス」を求めるのはあなたより立場が上の人ではないでしょうか。上司や顧客であることが多いでしょう。彼らがあなたに即レスを求めるのは、その方が彼らにとって便利だからに過ぎません。即レスしたその瞬間はあなたの「レスポンスに対しての」評価は高くなるでしょうが、それだけのこと。
逆に、あなたは上司や顧客には気軽に即レスは求めにくいでしょう。お互いにとって緊急性が自明の場合は別ですが、普段のやり取りで「私への返事は即レスでお願いします」などと言ったら何が起きるか、想像してみてください。ちょっと恐ろしくなるのではないでしょうか。
分かっていただけたと思います。即レスは「強者の論理」なのです。「即レスが正義」というルール、教義は強者が弱者を便利に使うために作り出した支配の道具とすら言えるか知れません。
即レスしない時間が宝の山
上司や顧客に「アイツはレスポンスが速い」だけにとどまらない、もっと深いところで評価されたいのであればチャットツールから離れている時間のほうが大切です。企画や提案の内容を研ぎ澄ませたり、新しい発想を生むような経験をしたり、です。
経営思想家のピーター・ドラッカーは「知識労働者の仕事はまとまった時間が必要。こま切れの時間がいくらあっても意味がない」と言っています。戦略立案や企画、執筆などの知的生産には静かに集中して考えることが必要なのです。
断言しますが、あなたが超人でない限りチャットツールやメールの新着をちらちら見ながら、深い思考が必要な仕事をするのは不可能です。そして、もっと恐ろしいことに即レスはあなたの思考力まで奪っている可能性があります。
即レスしてると脳も退化する?
いつも手元にスマホを置いて即座に反応する、ということを繰り返していると「ファストな脳」を使う能力ばかりが鍛えられ、「スローな脳」をうまく使いこなせなくなる恐れがあります。
「ファストな脳」「スローな脳」とはノーベル賞を受賞した行動経済学者のダニエル・カーネマンの著書『ファスト&スロー』で提唱されている概念に著者(久能)がアレンジを加えたものです。ファストな脳は「無意識的・高速反応・直観的・感情的・努力がいらない」思考のこと。それに対しスローな脳とは「意識的な努力が必要・熟考的・多大なエネルギーを要する・なかなか発動しない」という特徴があります。
即レスに使うのは言うまでもなく「ファストな脳」。ドラッカーの言う「知識労働者の仕事」は「スローな脳」による仕事ですね。上司や顧客、世間に即レスを期待されその通りにしているとファストな脳ばかりが鍛えられてしまい、その分スローな脳がうまく使えなくなってしまう恐れがあります。ただでさえスローな脳は発動するのに努力とエネルギーがいるので怠けがち。即レス礼賛は、努力がいらない「ファストな脳」ばかりに頼ることを正当化してしまっているのかも。
意識して「すっきりブレイク」を取る
このことが分かっていれば、上司や顧客の側も安易に即レスを求めてはいけないはずです。むしろ四六時中即レスしてくる相手には「アイツいつ仕事してるんだろ?」と疑念を持ってしかるべき。部下に「アシスタント」として以上の役割を望むならまとまった時間を確保し、質の高い仕事をする余裕を与えるのがまともな考え方でしょう。
トリンプが導入して話題になった「がんばるタイム」(※)のように、集中して思考や作業をするまとまった時間を確保する制度や仕組みを整えることが管理者の仕事だと思います。
※毎日2時間、電話や会話、コピー、立ち歩きなどを禁止し自分の仕事に集中する時間を確保する制度
起業家のための経営システム「EOS®」では、日常業務の嵐から抜け出しじっくりと自分自身の価値観や会社のビジョン、ミッションなどと向き合う「Clarity Break™」(すっきりブレイク)の時間を一定の頻度でとることを推奨しています。これによって「人生や経営のコントロールを取り戻せた」という声も少なくありません。
弱者の戦略
では会社にそのような仕組みがない場合は?もちろん公然と「私は即レスしません」と反旗を翻すのはおすすめしません。
現実的には「セルフがんばるタイム」を導入するのが良いでしょう。「企画書作成に集中するので2時間ほどレス遅くなります」などとグループチャットに投げておけば文句を言う人はいないはず(いたらそっちの方が問題です)。社内の共有カレンダーに入力しておけばさらに効果的。顧客との商談をでっちあげて時間を作り出すのもよいかも知れません。
いずれにしろ、即レスは実践しながら、即レスしない時間を意識的に作り出して価値の高い仕事をすることが重要です。
文・久能克也(Opty.G.K.代表)