和嶋俊光(わじまとしみつ)さんは、プロボクサーとして全日本7位の功績を残し、引退後にストレッチトレーナーに転身しました。全国No.1の指名を誇った経験を経て独立し、現在は『脳機能改善ストレッチ』で経営者やアスリートをサポートしています。人々の可能性を引き出す挑戦を続ける和嶋さんに、トレーナーに転身した経緯や、今後の展望などを伺いました。 |
恐怖のなかで掴んだ「勇気の正体」
私は非常に複雑な家庭環境で育ちました。父は非常に才能に恵まれた人で、165cmの身長ながらバスケットボールでダンクシュートを決めたり、ベンチプレスで150kgを持ち上げたりする体力の持ち主でした。また、8ヶ国語を話せる知力もあり、何事にも秀でている人です。
ただ、感情のコントロールができないので、怒りに任せてお茶碗や花瓶を投げつけることがあり、家の壁は穴だらけになっていました。幼い私はそんな父が怖くてたまらず、布団の中に隠れて「神様、助けてください!」と祈る日々を過ごしていました。
自分は臆病で勇気のない人間だと感じるようになったのも、この頃からです。中学1年生の時、父が「すべてを終わりにする」と家中に灯油をまいて一家心中を図ろうとしましたが、幸運にも家族全員が逃げ出し、命を落とすことなく済みました。
その後、父は別件で逮捕されるのですが、私に勇気があって「父ちゃん、止めてよ!」と言えたら家族を救うことができたのではないかという思いをずっと持っています。それ以来、「勇気とは何か」を考え続けてきました。
その後は高校に進学したものの、特にやりたいことがあったわけではありません。ただ、好きなことをしてお金を稼げたらいいと漠然と考え、それならスポーツ選手が向いているかもしれないと思い立ち、ボクシングを始めることにしました。
ボクシングを始めた後も、私の心にあったテーマは「勇気の研究」です。鏡に向かって「俺は強い!」と何度も繰り返す、いわゆるアファメーションを毎日行いました。ただ、「ハリボテの勇気」では、いざという時には何の役にも立ちません。結局試合になると、怖くて仕方がなかったです。
自分なりに「勇気の正体」がわかったのは、地下格闘技の試合に出た時でした。今はなきディファ有明で開催された大会で、観客が飛び入り参加できる形式だったのです。そこには刺青だらけの選手たちが出場していましたが、私は恐怖心を抱えながらも手を挙げ、リングに上がることを決意しました。
リング上では殺し合いが始まるのではないかというほどの勢いでした。恐怖で体中震えが止まらないし、座って待っていられないのでずっと控え室とトイレを何度も往復していましたね。
そしたら対戦相手もまったく同じことをしているのに気づきました。相手も私のことが怖いんだと知り、「怖い時に背中を押す力が勇気ではない」ということがわかりまし。むしろ、恐怖を感じながらも強くあろうとする姿こそが勇気なのだと理解できたのです。
それからは、怖がっている自分を許し、認めることができるようになりました。「怖がっていてもいい。みんな怖がっているじゃん」と思えたら、周りには私が何にも動じない強さを持っているように映っていたみたいですね。その後、日本ランカーとの試合に臨み、見事に勝利を収めることができました。
プロボクサーからストレッチトレーナーへ転身
当時は、所属ジム以外で練習することはご法度とされていました。ただ、私は追いかけているトレーナーがいたので、所属と異なるジムで練習していました。特別に許してもらって練習している中で決まったランカー戦があり、負けるわけにはいきません。もし負けたら自分の命を絶つくらいの覚悟で試合に臨みました。
試合の1カ月前から、毎日のように「死にたくない」と泣いていまたが、命を賭けて臨んだ試合は、1ラウンド1分20秒でKO勝ち、私にとっては一番印象深い試合となり、すべてやりきったと感じたことで引退を決意しました。
引退を決めた理由のもうひとつに、結婚を反対されたことがあります。当時付き合っていた彼女との結婚を考え、彼女のご両親に挨拶に行きました。しかし、彼女のお父さんから「プロボクサーで生活していけるのか?辞めた後はどうするんだ」と聞かれたのです。
その時、私は「命をかけて全力でやっているので、辞めた後のことは考えていません」と答えました。するとお父さんは、「それなら結婚は無理だ」と反対されました。その言葉は大きなショックとなり、将来について考えるきっかけとなりました。
ちょうどその頃、叔父から「鍼灸院を継がないか」と声をかけられていました。それもひとつの道かもしれないと考え始めるなかで、それまでに色々と経験しておいた方が良いかと幅広く探し始めました。そんな時、Dr.stretch(ドクターストレッチ)がアルバイトを募集しているのを見つけ、働き始めることにしたのです。
ボクシング自体は14年間やり、そのうち10年はプロボクサーとして活動しました。純粋に楽しかったからこそ、これだけ続けられたのだと思います。ただ、引退後は不思議とボクシングへの情熱はすっぱりと消すことができたので、目の前のストレッチジムでの仕事に全力を注ごうと思いました。
当時、ドクターストレッチは全国に20店舗ほどしかない小規模な状態でしたが、私はありがたいことに店長を任されることになりました。正直、社会人としての常識もわからず、何をすべきかも手探り状態。とにかく目の前の仕事を全力でこなしました。その結果、気づいたら全国の店舗で上位にランクインするようになりました。
ストレッチの仕事はボクシングと同じくらい楽しいものです。お客様の体が目に見えて変わっていくのがわかり、ストレッチの前後で動きが明らかに違う様子を見ると、大きなやりがいを感じます。
しかし2020年4月、コロナ禍による緊急事態宣言が発令され、ドクターストレッチの全店舗が一時的に閉鎖。その状況のなか、私は会社に「個人的にお客様にストレッチを教えてもよいか」と相談し、許可を得ることができました。
結果として、初月で通常の給料の倍以上を稼ぐことができました。会社には引き止められましたが、労働時間を半分以下にしながら収入を倍以上にできる道が見えた以上、独立は当然の選択でした。
ストレッチで世界を変える
私は、世界を変えるためにストレッチをしています。私のストレッチを受けた人が元気になり、笑顔になることで、その人の周りの人々にも笑顔と元気が伝播する。そして、その波紋はやがて世界中に広がると信じています。私はこの”バタフライエフェクト”をストレッチで起こしているのです。
手段としてストレッチを選んでいますが、もし他に人を元気にする方法があれば積極的に取り入れます。そのひとつが、2025年3月に東京でオープンする『忍者ストレッチ』です。
忍者の装いをした施術者が、たった10分の”忍法”でお客様を元気にし、笑顔にする。この新しいエンターテイメントを通じて、健康業界に革新を起こそうとしています。
この挑戦にはもうひとつ大きな目的があります。それは、施術者の救済です。健康業界では、施術者が体を張って仕事をしているにもかかわらず、給与が低く、十分なやりがいを得られない現実があります。
私は、この現状を変えたいと考えています。施術者が誇りを持って働き、豊かな生活を送れる環境を作ること。それが『忍者ストレッチ』のもうひとつの使命です。
笑顔が連鎖し、人々が元気になる世の中を作る。そして、施術者自身がその輪の中で幸せを感じられるようにする。この夢を実現するために、これからも全力で取り組んでいきます。