こんにちは!モードファッション誌が大好きなライターの「しほ」です!
皆さんは、播州織(ばんしゅうおり)という織物をご存じですか?
実は、日本の80%の先染織物は兵庫県で作られているんです!そして、そのなかでも播州織は兵庫県を代表する先染織物だとも言われています。
そのため、皆さんも知らないうちに身につけているかもしれません!
今回は、そんな播州織の魅力について、紡がれてきた歴史とともにご紹介します。
播州織とは?
播州織は、兵庫県西脇市を中心とした北播磨地域で生産されている先染織物です。
北播磨地域には加古川・杉原川・野間川の3つの川があり、染色に適した「軟水」が容易に手に入ったことから織物業が発展しました!
先染織物の名前の由来でもある先染めとは、糸を先に染めてから練り上げる方法です。
この製法により、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の織り方の組み合わせで色彩に深みが出るため、チェックやストライプなど自由自在に表情豊かな柄の表現を可能にします!色が落ちにくく肌触りのよい生地に仕上がり、高級感が出るのも1つの特徴です。
特に、カッターシャツやストールなどの薄手の衣料生地を得意としています。
しかし、織った生地は主に衣類メーカーやブランドに渡り製品化されるため、「播州織」として名前が表に出ることは少ないのです。
ここからは、播州織をその歴史とともに深く掘り下げてお伝えします。
播州織の歴史を紐解く
産業の始まり:宮大工の挑戦 |
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播州織誕生のきっかけは、1700年代はじめに温暖な気候を活かして西脇市で綿花が栽培されるようになったことです。
そして産業として始まったのは、西脇市の宮大工・飛田安兵衛が1792年に京都・西陣から織物技術を持ち帰った時のことでした。これが農家の副業として広まったのです!
組織化が始まり発展!黄金期へ |
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江戸時代末期になると、播州織は工場制手工業へと発展し、産地としての地位を確立します。
1892年には木綿業組合が設立され、産地全体が組織化されました。関東大震災後、輸出拠点が神戸港に移ると、播州織は輸出産業へと成長し黄金期を築きます。
戦時中とガチャマン景気 |
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第2次世界大戦中は織機が減少しましたが、物資不足によるインフレで綿織物の価格が高騰!
戦後はアメリカ市場への輸出拡大により「ガチャマン景気」と呼ばれる好景気を迎えます。まさに「ガチャッ」と織機が1回動くと1万円儲かると言われるほどの繁栄ぶりだったそうです。
国内市場へのシフト転換 |
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昭和40年代のオイルショックなどによる円高が産地に大打撃を与えたことを受け、海外輸出から国内市場の拡大へと方針転換をしました。
現代でも、時代の変化に対応しながら日本の織物文化を支えています。
現代の播州織!
誕生から約230年以上が経ち、播州織は果たしてどうなったのでしょうか。
現代では、なんとルイ・ヴィトンやバーバリーといった有名ブランドにも採用されるなど、高い品質が評価されています!
さらに、ビームスや日本橋三越本店などでも販売され、若者の目にも留まる機会が増え、再び人気が高まっているのです!
海外のブランドに「Made in Japan」が使われているなんて、誇らしいですね。
最後に、播州織を実際に手に取ることができるスポットをご紹介します!
「播州織工房館」では、ストールや帽子・布など、さまざまな播州織の商品が展示・販売されており、日曜日には大型織機の実演も見られるため織物の魅力を間近で感じられますよ!
播州織工房館 |
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所在地:兵庫県西脇市西脇452-1
アクセス:JR加古川線「西脇市駅」より神姫バスで約8分
時間:10時~17時 ※月曜定休日
電話番号:0795-22-3775
料金:入館無料
HP:http://www.umekichi-tmo.jp/kouboukan/
おわりに
いかがでしたか?
名前こそ出る機会が少ないものの、播州織は普段から私たちの生活を支えているのですね。
一度、「播州織」として手に取ってみると、その良さをより実感できそうです!
最後までお読みいただきありがとうございました!
では、次の記事でお会いしましょう。
参考
中川政七商店ホームページ
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/120046
これいい和
https://japan-novelty.jp/traditional/%E6%92%AD%E5%B7%9E%E7%B9%94/
ZOTTO公式ホームページ
https://www.zutto.co.jp/blog/category/brandstory/322
播州織工房館ホームページ
http://www.umekichi-tmo.jp/kouboukan/