日本の標準時線は、なぜ明石市?【兵庫エリア】
日本の標準時線は、なぜ明石市?【兵庫エリア】

こんにちは!
ライターののどかです!

私は映画を見ることが好きなのですが、鑑賞中は時間が経っていることを忘れてしまうくらい集中してしまいます。

今回はそんな「時間」についての豆知識です!

日本の標準時子午線は東経135度で、兵庫県明石市を通っています。
みなさんも学校の授業で習った記憶があるのでは?

では、なぜ標準時子午線を通る場所が明石市なのでしょうか。
明石市が「子午線のまち」となった秘密をお伝えします!

日本の標準時子午線が決定した経緯

日本の時間が統一されたのはいつ?

日本では、明治の初めまで「地方時」と呼ばれる地方ごとの時刻が使われていました。

1884年10月13日、アメリカのワシントンで開催された国際子午線会議において、世界の時刻の基準となる子午線を、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線(経度0度)に決定しました。

この会議を受けて、日本では東経135度を日本の標準時子午線に決定し、日本の時刻は統一されたのです。

東経135度が選ばれた理由

標準時となる場所が、なぜ首都である東京ではなく明石市なのでしょうか? それは、明石市を通る東経135度が「15」で割り切れるちょうどよい数字だったことが理由です。

地球の1周360度を24時間で割ると15度で、経度15度ごとに1時間の時差があることになります。東京の少し東側を通る東経140度では、15では割り切ることができないため中途半端な時差が生まれてしまいます。

日本の国土周辺で15度の基準に該当するのは、東経120・135・150度の3本です。東経120度線は沖縄県を通り、東経150度線は北海道を通ります。この中から、国土のほぼ真ん中付近を通る135度が標準時として設定されました。

子午線への強い関心が背景に!

「明石があったから東経135度が標準時になったわけではなく、東経135度線に明石が位置していた!」というのが真相です。

実は、京都府京丹後市・兵庫県淡路市・和歌山県和歌山市といった12市が東経135度線を通っています。

明石市が子午線のまちとして知られるようになったのは、明石市の人々が子午線に対して強い関心を寄せた結果が背景にあります!
東経135度が日本の標準に決定すると、明石市は1910年に日本で最初に標識を建て、1960年には東経135度上に天文科学館を設立しました。こちらは現在でも明石市のシンボルです。

そして、日本で初めての時計が鐘を打った「時の記念日」前後には「時のウィーク」として子午線通過記念証配布などのイベントも開催されています!

こうした活動により、明石市が子午線のまちとして認知されるようになりました。

おわりに

いかがでしたか?
明石市民に根付く子午線愛を感じられますね。

明石市では東経135度線にちなんだモニュメントや標識を見ることができます!
ぜひ実際に足を運び探してみてはいかがでしょうか?

最後までお読みいただきありがとうございました!

参考

日本経済新聞『「子午線のまち」といえばなぜ明石市なのか』
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO43937550Q2A720C1000000/
神戸新聞『なぜ東経135度が日本の標準時? 中間でも東京でもなく明石に…鍵は15の倍数』
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202108/0014615441.shtml
明石市立天文科学館『東経135度と日本標準時』
https://www.am12.jp/135-jstm/