宮崎出身の元力士が地元グルメ『けんちゃんステーキ』を成功させるまでの歩み
宮崎県出身の平原翔平(ひらばらしょうへい)さんは、高校卒業後に『伊勢ヶ濱部屋』に入門し、力士としての人生を歩み始めました。怪我の影響もあって力士の道を断念した後は、地元宮崎に戻り、飲食業に従事します。そして23歳で『けんちゃんステーキ』をスタートさせました。相撲部屋で鍛えられた平原さんが、ステーキ店を成功させるまでの経緯など詳しくお話を伺いました。

宮崎から相撲部屋に入門するために上京

宮崎出身の元力士が地元グルメ『けんちゃんステーキ』を成功させるまでの歩み

僕は現在、地元の宮崎県でステーキハウス『けんちゃんステーキ』を経営しています。

僕の経歴をお話しすると、小学1年生の頃から相撲観戦が大好きで、地元の相撲大会にも出場していました。しかし、小学3年生まではずっと同じ相手に負け続けていたのです。その相手が柔道をしていると知り、「柔道を始めれば強くなれるかもしれない」と思い立ち、柔道教室に入門しました。これが、僕が柔道を始めたきっかけです。

柔道に打ち込んだ結果、小学4年生以降はライバルにも勝ち、優勝を勝ち取ることができました。中学校でも柔道部に所属して優れた成績を収めたことで、柔道推薦で高校に進学。しかし、高校では自分より強い先輩や同級生がたくさんいて、思うような柔道ができなくなっていました。

そんな時、相撲部屋から誘いを受けました。高校卒業後に相撲の世界に入る人は稀であり、「他の人とは違う経験ができる」という点に魅力を感じ、高校2年生の9月に相撲のプロを目指すことを決意しました。

しかし、その直後の正月明けの練習で大怪我を負い、手術が必要な状態になってしまいました。それでも、高校3年生の夏の大会に向けてリハビリに励み、痛み止めの注射を打って出場しましたが、二回戦で敗退。これが僕にとって最後の柔道の試合となりました。

高校卒業前に上京し、相撲部屋に入るための新弟子検査を受けました。そして、力士として新たな人生を歩み始めることになったのです。高校卒業と同時に『伊勢ヶ濱部屋』に入門し、相撲界に入りました。

地元宮崎で『けんちゃんステーキ』を開業

宮崎出身の元力士が地元グルメ『けんちゃんステーキ』を成功させるまでの歩み

高校卒業後、力士としての新生活をスタートさせましたが、怪我に悩まされ続け、20歳で相撲部屋を去り、地元の宮崎に戻ることにしました。

帰郷後は、近所のうどん屋でアルバイトを始めました。相撲部屋でちゃんこ番を経験していたおかげで、料理の腕には自信がありました。時給750円で月7万円ほどを稼ぎ、力士時代の無給生活からは想像もつかない喜びを感じました。

そんなある日、ステーキ屋のオープニングスタッフ募集を見つけ、応募したところ採用されました。しかし、本部の人から「あいつはダメだ、すぐに辞める」と言われていることを耳にしたのです。このひと言が、僕に火をつけました。「絶対に負けない」と心に誓い、社員になれるよう頼み込みました。

その結果、熊本店の店長として働くことになり、2年間ハードに働き続けました。相撲部屋での経験があったため、長時間労働は苦ではありません。しかし、店長として働くなかで、上からは数字を求められ、アルバイトの子たちの要望にも応えなければならないという、中間管理職の難しさを痛感するようになりました。

精神的に厳しい状態が続き、もう辞めたいと思い始めていた時、宮崎のホルモン屋のオーナーに相談したところ、「うちでステーキ屋をやってみない?」という話が舞い込んできました。オーナーの名前が『けんちゃん』だったことから、『けんちゃんステーキ』として独立する運びとなったのです。

『けんちゃんステーキ』の2号店を出店

宮崎出身の元力士が地元グルメ『けんちゃんステーキ』を成功させるまでの歩み

宮崎でステーキ屋を開業する際、僕の頭の中には明確なビジョンがありました。そのキャッチフレーズは「ファミレス以上ミヤチク以下」というもの。宮崎には高級ステーキ店とカジュアルなファミレスしかなかったため、その間を狙うことにしたのです。観光客にも来てほしいですが、宮崎の人たちに愛され、普段使いしてもらえるような店づくりを目指しました。

『けんちゃんステーキ』オープンの2カ月後、宮崎のローカル番組に取り上げられたことが大きな転機となりました。放送をきっかけにお客さんが増え始め、他の番組やグルメ雑誌にも掲載されるように。

当初はほぼ1人で店を切り盛りしていましたが、人員が増えるにつれて仕事もスムーズに回るようになり、売上も上昇。スタッフ教育にも力を入れ始め、『けんちゃんステーキ』の2号店を出店することになりました。僕はこれまでも無我夢中で働いてきましたが、「自分の仕事」だと思えば、すべてがやりがいに変わるので、苦労したことはひとつもありません。

現在は、自分の右腕となる弟子を育てたいと考えています。相撲部屋出身の僕にとって、人を育てることは、自分の経験を次世代に伝える大切な役割だと感じています。弟子を通じて、自分の信じる「飲食の業」を広めていきたいですね。

ただし、急いで探しているわけではありません。あくまでも僕の生き方を見て、「この人の下で働いてみたい」と思った人がいたときに限ります。自分自身も、生き方に憧れてもらえるような存在になりたいと思います。

まずは『けんちゃんステーキ』が、地元宮崎のみならず、もっと多くの人に愛される場所になるよう、これからも尽力していきます。