百武桃香さんは高校生のときに左半身が麻痺し、その経験を元にした著書『Keep your smile』を出版。現在はインフルエンサー、モデル業と多岐にわたり活躍をしています。すべての人を笑顔にすることを目標して活動する百武さんに、病気になってからどのように感じ行動することに至ったのか、詳しくお話を伺いました。 |
障がい者関係なく笑顔のなる世の中にしたい
私は、YouTuber、インフルエンサー、モデル、タレントなど幅広く活動しています。複数の事業を行っているように見えますが、私がやっていることは1つだけです。それは、「誰もが笑顔になって生活できる世の中にすること」です。
私は高校生の時、突然の病気で左半身に後遺症が残りました。その経験を通じて気づいたことや学んだことから、障がい者だけでなく誰もが住みやすい街づくりをを目指しています。また、心に抱える悩みを減らしていくことで、より多くの笑顔があふれる社会を実現することを目標にしています。
この目標は、私が行うすべての活動の根底にあります。モデルやタレントとしての仕事に前向きに取り組んでいるのも、私ができることを通じてより良い社会を目指す一環です。障がいを持ってから、実現したいことや取り組みたいことが明確になり、それを積極的に実践しています。
麻痺したことが自分の人生と向き合うきっかけに
麻痺した当初は、何かを考えることが難しい状態でした。行為機能障がいにより思考力が低下していたことも一因ですが、振り返ってみると発症したときから意識が朦朧としていました。病気になって最初の2カ月は、自分がどのような状況にあるのかを理解が追いついていない状態でした。
麻痺の感覚に戸惑いつつも、最初に抱いた思いは「いつ学校に戻れるだろう?」でした。私の出身地は福岡ですが、倒れた場所は東京だったのです。学校や勉強そのものが特別好きだったわけではありませんが、勉強に遅れを取りたくない、留年したくないという気持ちが強くありました。
本来なら2度で終わる手術が、3度、4度と繰り返され、結果的に留年が確定。「私は中卒になってしまうのか」と思いましたが、それは避けたかったので、通信制の高校に通い始めました。麻痺する前は、幼い頃からの夢であったキャビンアテンダントを目指し、大学進学を考えていました。しかしその夢を失ったことで、大学に進学する理由を改めて考えさせられた時期でした。
入院中に姉から「今のももちゃんは何がしたいの?」と聞かれたときに、本当に何がしたいかを本気で考えるようになりました。麻痺した体では好きな服を自由に選ぶことができず、着れる服は魅力的に思えない現実に直面しました。そこで洋服のリメイクや、商品開発に挑戦したいと考えるようになりました。
結局、大学に進学したのですが、在学中に私の著書『keep your smile』が出版され、テレビ出演も果たしました。ちょうどその頃、友人の紹介でモデル活動もスタート。美容学校の友人やSNSでつながった他校の生徒からも、作品のモデルになってほしいと依頼が入るようになりました。
みんなが笑顔になれる居場所をつくる
入院中、私は決して家族の前で泣かず、常に笑顔を心がけました。病気になったことで泣いていたらより一層心配させてしまうので、「私が笑顔でいたいからこそ、周りのみんなにも笑顔になってほしい」と気づきました。
「ももちゃんはいつも笑顔だね!」って言われるからこそ逆に笑顔でいなきゃと思った時期もありました。でもそれが私の中で心地よくて、笑顔でいると看護師さんやみんなが集まってくれるのが楽しくもありました。
笑顔は人を引き寄せ、ポジティブな連鎖を生み出します。私の著書『keep your smile』では、私が経験した困難を乗り越えるなかで見つけた「笑顔でいる理由」を紹介しています。これからも、多くの人が笑顔でいられるような活動をしていきたいと考えています。
かつては不登校になるほど自分に自信がなく、今とは正反対の性格でした。昔も今も逃げていることはたくさんありますが、「どう転がっても大丈夫!失敗って誰かが決めることではない」と考えられるようになってからは、チャレンジしない人生の方が嫌だと思いながら活動を続けています。
自分が病気になってから、同じように病気で苦しんでいる方々を笑顔にすると心に決めています。みんなで働ける場所をつくりたいとか、みんなで集まれる居場所づくりがしたいという展望があります。私自身がしっかりと軸となって引っ張っていけるようになることがこれからの目標です。