石川啄木と函館【北海道エリア】
石川啄木と函館【北海道エリア】

こんにちは、ライターの「ゆいと」です!

今回は「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」などの短歌を筆頭に数々の名歌を生み出した近代日本を代表する詩人、石川啄木と函館の関係についてご紹介します!

作り話の天才―石川啄木―

石川啄木は、1886年に岩手県盛岡市で生まれました。
幼い頃から頭が良く、学校の成績はトップクラスだったそうです!

幼少期の啄木に強い影響を与えたのが与謝野晶子。雑誌「明星」を読み、彼女の大ファンになった啄木は文学家になることを志します。

16歳の若さで短歌を発表し始めた啄木は19歳でデビュー作「あこがれ」を発表。この頃には天才詩人と評され世間から注目を集めていました。

啄木と函館

啄木は生前、函館を心のふるさととし、「死ぬときは函館へ行って死ぬ」と手紙に残すほどに特別な存在であったと言われています。ところが啄木が函館に滞在したのはわずか4ヶ月。

なぜこれほどまでに函館を愛したのでしょうか?

函館に向かった啄木は、しばらく文学の世界から離れていました。1907年、渋民村の小学校の代用教員だった啄木は、校長を排斥するストライキを扇動したことで教師職を免職され、故郷を離れざるを得なくなったからです。

しかし当時の函館といえば、東京以北で最も人口の多い近代都市であり、函館の持つハイカラで文化的な雰囲気は、傷心していた啄木を魅了しました。函館を代表する詩人である大島経男や吉野章三、岩崎正などの才能ある文学仲間に恵まれたこともきっかけとなり、彼らと文学論や恋愛観を話すうちに眠っていた短歌への気持ちが復活します。そうして函館の日々を描いた歌は「一握の砂」などの代表作を生み出すことになるのです!

また当時生活が苦しかった啄木は、経済的に援助を受けていたことで仲が深まった一生の友に出会ったことも彼に大きな影響を与えたそうです。

こうして心のふるさととなった函館、漁火通りには石川啄木を偲んで銅像が作られており、多くの観光客が訪れています!

終わりに

最後まで読んでくださりありがとうございます。
この記事をきっかけに函館に興味を持っていただけたらと思います!

参考

・函館市文化・スポーツ振興財団
http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/01_a/01-ishikawa_ta.html
・函館市公式観光サイト はこぶら
https://www.hakobura.jp/features/260