※本稿は寄稿者の個人的見解に基づく原文を掲載したものであり、THE OWNERの見解を示すものではありません。

社員が大量退職 少人数組織から経営を立て直す方法とは?
(画像=taa22/stock.adobe.com)

当社は2007年に創業し、決算期変更のための変則決算を挟んで18期目の会社である。そして現在、7期連続増収(2024年3月期にて8期連続になる見込み)、12期連続黒字という安定的な経営を続けているが、実はそこに至る直前の決算期では従業員数が15人ほどから一気に5人になり、しかもその5人とは、私以外は1ヶ月ほど前に入社したド新人4人という経営破綻寸前という状況にあった。

今回は、そのような状況からどのようにして私が7期連続増収12期連続黒字という状況に至ったのか、ここがポイントだったと思う点を紹介していきたい。

2015年6月の状況
当社は3月決算の会社なのだが、2015年3月期にて創業メンバーの一人でもある副社長の退任が決まった。これにより、創業メンバーは私一人になるのだが、この副社長退任の際の現場メンバーの引き継ぎが良くなかった。

当時、現場メンバーの取りまとめを副社長が行っており、副社長退任に当たってそのメンバーを私が引き継ぐことになった。しかし、日頃からあまりコミュニケーションを取っていなかったことが仇となり、彼らも離職を表明。結果的に6月には私と2015年2~4月に入社したド新人5名という体制になった。そのうち一人はこの状況に嫌気が指し、精神的に病んでしまい、9月末で退職してしまいった。

結果、私とド新人4名。これが、今の当社エッジコネクションの新たな船出だった。

ポイント1:適性検査の活用

この時点で、首の皮一枚繋がったポイントがある。それが適性検査の活用だ。前期くらいから適性検査を活用し始めており、2015年2~4月に入社したメンバーは適性検査のデータの読み取り方などを完璧に把握したと思えるようになった後に採用した第一期生だった。当社のビジネスモデルとの合致度も高く、ストレス耐性は問題なく、チャレンジ精神も旺盛というデータ上の評価だった。概ねそれは正しく、その証拠に、先輩社員が続々辞めていく中でも1名しか離脱しなかった。実際、「大村さん、上が抜けて、俺たちこれはチャンスだと思ってますから。」という言葉には心底救われた。

適性検査を使っていなければ、2015年5月くらいで当社は廃業したと思う。

ポイント2:徹底的なコストカット

これから再度戦っていくメンバーが固まったところで、そのメンバーでの損益分岐点はいくらなのか、どこまで下げられるのか徹底的にコストカットを行なった。今ではすっかり五反田の会社になっているが、創業地の目黒から五反田に移転したのもこのタイミングだ。

ただ、このときに行わなかったのは、社員の給与カットや設備のダウングレードなど、「残ったのは失敗だった。」と社員に思わせてしまうようなコストカットだ。五反田への移転もトータルのコストは下がったがオフィスの見栄えは良くなるような物件を必死に探した。そうして、社員の間で都落ちのような印象を与えることなく損益分岐点の大幅ダウンを実現させた。

ポイント3:サービス料金と内容を大幅に簡素化

「30万円も100万円も売る手間は一緒。」とは、営業にまつわる話でよく言われることである。それだけ、営業スキルが身につけば高額商材を販売した方が利幅が上がるということだが、そうは言っても、5万円と100万円では流石に話が違ってくる。

「少なくとも自分の給料は自分で稼いで貰わないと会社の存続は不可能である。」そう考えた私は、サービス料金をギリギリまで下げた。ただ、下げたことにより受注するだけ赤字になっては意味がない。サービス内容も簡素化し、低料金の簡素なサービスとして再編集も行った。その過程では、創業当時の在籍メンバーにも連絡を取り、立ち上げて間もない我々がなんとか会社を軌道に乗せるべくどのようなサービスを展開していたのかも思い返した。

そうして、新人だった自分たちが実際に売っていたサービスをモデルに、成約しやすい新たなサービスを開発し、販売を開始した。それにより、ド新人の社員に成約の感覚を身に着けさせるとともに、個人の損益分岐点は個人で達成させる体制を構築した。

ポイント4:社員の業務の単一化

サービスが開発され、営業活動が動き始めると営業そのものの周辺業務が増えてくる。例えば、営業リストの作成、提案書の作成、見積書の作成などだ。

売上は商談をしなければ絶対に入ってこない。営業リストを作って1日が終わるなんてことをされたらたまったものではない。よって、社員にはテレアポによるアポ取りと新規商談に特化してもらい、リスト作成や提案書の作成など、周辺業務は全て巻き取った。これにより、商談数が向上し、売上も伸びた。また、社員が営業活動に集中せざるを得ない体制となったことから、言い訳ができない環境となり、双方が刺激し合う競争環境に移行し、成長が促進されたように思う。

また、この巻取りだが、社員の成長に合わせて徐々に社員側に業務を戻していった。そのタイミングについてだが、経験値が溜まってくるとプラスアルファの業務もやりたくなるという人間の本能の発芽を待った。例えば、成約を積み重ねていくと、こっちの業界の方に営業したいなと思ってくる。そのタイミングで、「リスト作りから自分でやる?」と聞くと、「やりたいです!」と返ってくる。提案書作成なども同様だ。そのようにして、ド新人だった社員たちの成長に合わせ、私の巻取りは終了していった。

ポイント5:社員との距離感を保つ

ド新人だった社員が成約を取ったとき、「これくらいの売上目標をやってくれれば、自分で賄わないと行けないのは俺の給料だけになるんだけどな」という高めの売上目標を達成してくれたとき、大口受注で一気にその月の目標を達成してくれたとき、などなど、どん底からの回復の過程では死ぬほど嬉しい瞬間はたくさんあった。一緒に浴びるほどお酒を飲んで喜びを分かち合いたかった。

だけど、そのようなことはほとんどしなかった。なぜかというと、馴れ合ってしまうのを警戒したからだ。人はお酒を酌み交わすと仲良くなる。仲良くなると甘えも出る。当時、私の売上で会社が回っていたのは明らかで、「ちょっとくらい自分がコケても社長がなんとかしてくれるかも」と思われかねないくらい私は営業職として動いていた。

また、ド新人だった彼らが必死に頑張ってくれてたのは、誰よりも私がわかっており、私の売上が想定よりも膨らんだときは、「今月はもう大丈夫だよ。」とも言いたくなった。

だが、それをやってしまうと、そのようなラッキーを期待するようにもなり、営業スタッフとして淡々と日々業務をこなすリズムが崩れてしまう。リズムが崩れるとそれを再構築するには時間がかかり、その時間をかけるだけの経営体力もなかった。常に社員とは一線を引き、“淡々と毎月の結果で評価をしてくる大村さん”というキャラでい続けた。

ポイント6:中間管理職の躊躇のない入れ替え

ここまで来たところで新たな採用をすることができるようになってきた。そして、当然のことながら一定以上の人数は私一人では管理監督しきれない。そこで、中間管理職が必要になるが、このような状況の当社で採用できる人材なので、中間管理職経験が豊富という人材はおらず、全員がお試し状態だった。

よって、抜擢し、違うと思っては入れ替えて、というのを繰り返し行った。これにより、現場は混乱したと今でも思う。しかし、私ときちんとシンクロできない、意思疎通出来ない人を中間管理職に据え続け、後々になってその人以下全員離職というような状況になることを恐れた。

結果、現在残っている中間管理職は私との意思疎通がスムーズで、この関係性が当社の経営上の強みであると認識している。

立ち上げにも有効なポイント

さて、このように経営破綻寸前から現在のところまで来ている当社だが、今回ご紹介したポイントは立ち上げて間もない企業にも応用できるのではないかと思う。

油断をするとすぐに壁にぶつかるのが企業経営であるが、また新たなポイントを見つけ、乗り越えた暁には、適宜発信していくので、参考にしていただければ幸いである。

株式会社エッジコネクション
代表取締役社長 大村 康雄