矢野経済研究所
(画像=Jokiewalker/stock.adobe.com)

2023年10月
ライフサイエンスユニット
理事研究員 早川賢
上級研究員 阿部由人

医師の働き方改革実施まで半年余りとなった2023年8月、甲南医療センター(神戸市)に勤める専攻医の自殺が労災認定された。同センターが設けた第三者委員会は、長時間労働による精神障害(うつ状態)から自殺に至ったのではないかとする報告書をまとめた。
気分障害の1つであるうつ病は、気分の落ち込みや意欲・興味の減退など日常生活に支障を及ぼすほど心理状態に深刻な影響を与え続ける疾患の1つである。日本においては、12か月有病率2.1%、生涯有病率は6.6%と言われており、患者数は増加傾向にあるという。
うつ病は経済面での影響も大きく、慶應義塾大学医学部 佐渡教授らの研究によると、うつ病性障害の経済的損失は2008年において3兆円を上回ると推計されている。うつ病をはじめ精神疾患の社会的コスト(特に生産性低下)が大きいこともあり、政府は、法令改正などを通じて様々なメンタルヘルス政策を推進しており、近年ではストレスチェックの実施義務化や「健康経営」認定制度を創設するなど対応を進めている。

うつ病には様々なタイプが存在し、治療法にも有効性の違いや課題があり、その補完的・課題解決的な位置づけでデジタル技術の応用が検討・開発されてきた。
認知行動療法(CBT:Cognitive Behavioral Therapy)は、精神療法(心理療法)の一種で、認知に働きかけて思考のクセや行動をコントロールしていく治療法のことである。「日本うつ病学会治療ガイドライン」(日本うつ病学会)では、軽症うつ病に対して、基礎的介入に加え、必要に応じて選択される推奨治療の1つとされている。薬物療法に比べ副作用や過剰な服薬の心配がなく、一定条件のもと診療報酬の適用もあるといった利点がある一方、1回30分以上の診療時間を要するため医療現場でのマンパワーの確保が困難、認知行動療法の専門医が少ない(知識・技能の習得に時間がかかる)などといった課題もあり、医療現場で中々普及が進まないというのが実状といえよう。
こうした中、スマートフォンアプリやVRを通じて認知行動療法の実施を推進するということが、デジタルセラピューティクス(DTx:治療用アプリ)の大きなトレンドとなっている。たとえばAIを用いたメンタルヘルスケアアプリを活用して、患者は週1回などの通院時だけでなく日常生活の中で認知行動療法を実践できる、診察間隔・頻度のより自由な調節ができるといったように医療現場でのマンパワーの問題に対処しつつ、従来の対面方式以外に診療の選択肢が持てる、アプリで記録されたデータを活用して診療の効率化を図ることができる、といったようなメリットも謳われている。

メンタルヘルスケアアプリは、約7割とユーザーの中心が女性というものや、年代では男女合わせて20~40代がボリューム層といったアプリが多い。参入企業はemolやDUMSCO、Awarefy、HIKARI Labといったベンチャー企業が多く、製品的には認知行動療法を応用したものの他、チャット(特にAIとの会話)を通じた心理ケアや、心理状況の測定・把握(センシング)するものなど様々な内容にわたっている。個人向けのみならず、企業向け(BtoBtoC)や医療機関等との連携、DTx(治療用アプリ)としての発展など、各社様々な展開をみせている。

VR(Virtual Reality)については、症状の軽減に有効に働いたという報告もあり、VRデジタル療法のようにセンシングデバイスを活用するタイプのDTxも研究開発が進められている。ジョリーグッドは、医療・福祉の分野を中心に高精度VRと行動解析AIで人の成長を支援するVRサービスの開発を標榜するベンチャー企業である。うつ病領域では、帝人ファーマと業務提携しうつ病向けデジタル治療VRの薬事承認を目標に、システムおよびVRコンテンツの開発を共同で推進している。2022年11月、国立精神・神経医療研究センターと共同で同VRのフィージビリティ試験を開始し、同試験の結果を受けて、2025年以降、最終的な有効性や安全性を確認する治験を開始する予定としている。同社は、うつ病の他、統合失調症についても、同疾患の当事者によるソーシャルスキルの獲得・向上を目指したトレーニングVRを開発するなど精神科医療分野における製品開発を進めている。
BiPSEEもVRデジタル療法分野で注目されるスタートアップの1つである。同社は、VR技術と医学的エビデンスに基づいた精神疾患治療向けVRデジタル療法の研究開発を目的に心療内科医が設立したベンチャーで、現在、高知大学と共同で反芻傾向の強い患者を対象とした探索的試験を実施している。同試験の完了後、検証的試験を経て薬事承認の取得を目指すとしている。
現在のところ、先行する一部企業を除き、メンタルヘルスケアアプリのDTx化含めステージとしては検討中~研究・開発段階が中心であり、2026年以降、徐々に上市が本格化していくとの期待が高まっている。