こんにちは、バンの中で生活している、いわゆる「バンライフ」をしているレンタローです。前回に引き続き、バンライフについてや「クルマ×旅」、「旅先の魅力」についてご紹介していきますので、どうぞ宜しくお願いします。
個人的な都合で申し訳ないんですが、今回から書きやすいので話し言葉で綴っていければと思います。ので、改めてよろしくお願いします!
はじまりのバンライフ
僕のバンライフ(VAN LIFE)、つまりバン(車)で寝泊まりする生活が始まったのは2021年8月23日。実家のある神奈川から茨城の大洗港まで行き、そこからはフェリーで北海道の苫小牧まで一気に北上した。
そう、僕のバンライフは北海道からスタートしたのだ。
次のガソリンスタンドが何キロ先ににあるかも分からないまま走る一本道、海のようにただっ広く、吸い込まれるように透き通った湖。道に出る鹿!鹿!!鹿!!! たまに狐!狸!?
大自然北海道は僕にとって日本語の通じるただの外国だった。北海道はバンライフ旅のスタートとしてオススメなので、また機会を設けてお話ししたいと思う。
北海道全域を巡ったあとは、東北、北陸、関東を巡り今に至る。バンライフ旅をスタートしてから、もう20ヶ月になる。
そんな僕が実際に体験してきたバンライフのリアルについて今後は紹介していくつもりだ。2回目となる今回は、バンライフの「お金」と「お仕事」について少し話したいと思う。
36歳、旅人、ニート、金がない
旅をしている。 キャンピングカー仕様に改造したバンで日本中を漂っているのだ。各地で美術館や記念館を見たり、有名らしい寺社仏閣に参拝したり、いわゆる名物観光をしていたが、それも一年も続けていると流石に飽きてきた。
そして実は「飽き」よりも深刻なのが、社会人時代に貯めていたお金が底をつこうとしている事だ。口座残高を見るのが、正直怖い。
もうお金がない。お金がなければ旅は続けられない。さて、どうする?
「自由」の為の金、「金」の為の仕事
「自由」になる為に仕事を辞めて旅に出たのに、自由な旅を続けるには「お金」が必要で、お金の為には「仕事」をしなければならない。
あれ?本末転倒? いやいや、とにかく日銭の為に、心の平穏の為に、仕事をしなければ。重い腰をあげ、僕はバイトを探しはじめた。せっかくやるのなら効率的に稼げるかよりも、今までやったことの無い仕事をしてみよう。そして自分にあっていそうな仕事にしよう。
「体を動かす事」と、「自然に触れる事」が好きな僕が行き着いたのは「農業バイト」だった。
「デイワーク」というアプリを使えば、一日単位で農業バイトに申し込み出来る。しかも大抵が当日現金手渡しだ。同じ場所にずっと縛られず、自由に旅をしたい僕にとって都合が良い。
他にも「おてつたび」など、農業に限らず旅先で仕事を見つけられるサービスは幾つもある。仕事探しをしている旅人には毎回オススメしている。
はじめての農業バイト
デイワークで無事マッチングして、長野県上伊那郡にある「さらら農園(竹入ファーム)」というぶどう・柿農家さんで数日間バイトさせていただく事となった。
日給は9,000円。オーナー夫妻は旦那さんが日本人で、奥さんがイギリス人だ。イギリスの人と言っても日本暮らしはもう長く「だもんで〜」と、方言が会話の節々に出てくるほど、日本語がお上手。
他には僕と同じようにバイトで来ている女性が1名。「シルバー」と言う高齢者向けの派遣会社から女性2〜3名。オーナーの知人の女性が2〜3名。日によってメンバーが入れ替わったりする。
つまり僕以外はほぼ女性だ。これはハーレムと言っても過言ではない。ちなみに平均年齢は概算で60代前半。多分そのくらい。
経験と知識の詰まったお姉様たちのハーレムなんて、ああ最高じゃないか!
揺れる柿すだれ、流れるLet it Be
仕事内容は柿の収穫、選果、皮剥き、吊るしがメイン。
今後も続けていくであろう農業バイトの初期投資として3,000円で購入したワークマンの長靴を履き、作業着に着替えて早速渋柿の吊るし作業をやらせてもらう。
「ほぞ」と呼ばれる柿のヘタ部を、吊るし紐に付いたクリップにひとつずつ留めていく。皮が剥かれたばかりの柿は、思いの外ツルツルすべって落としそうになる。いや、たまに落として転がっていく。
ビニールハウスのような作業場は、朝は冷えていて、昼前に陽が当たり背中がどんどん熱くなっていく。燻蒸するための硫黄の匂いがツーンとして、柿を乾かす大きな扇風機が首を振りながらサァーーーと音を立てている。
作業に没頭して黙々とした時間もあれば、お姉様達と和やかに談笑することもある。ラジオからはThe Beatlesの「Let it Be」が流れている。
すごく心地良い、そしてすごく楽しい。もちろん疲れもするけれど、それも含めてすごくすごく楽しい! 久々に仕事で汗を流しているのが気持ちいい。
そして風に揺れる鮮やかなオレンジ色の景色が、冷たい空気が、陽の光が、僕の体に時間をかけて浸透していく。
お姉様は夏でも熱いお茶が好き
このさらら農園竹入ファームさんは福利厚生も素晴らしく、10時と15時の中休みにはお茶とおやつが出る。お菓子のセレクションも渋い。
アスパラガスビスケット、ほし芋、今川焼き、カレーせん、そして農園で採れたピオーネ(葡萄)などなど。まったく最高じゃないか。
休憩中は絶えずお姉様方の会話が飛び交う。
「鳥の胸肉ってどうやって柔らかくしてる〜?」「アタシ塩麹!」
「最近近所にできたメガドンキ、なんでも売ってるけど、『どーんどーんどーんどーんきー♪』ってBGMが煩くてうちのおじいさんが行くの嫌がるのよ〜」
「地震は私が(この世から)いなくなってからなら来てもいいわ〜」
などなど同世代からは、なかなか聞けないようなユーモラスで刺激的な話題が尽きない。最高!!
「こんな生き方もあったのかもしれないわねえ」
その中でも特に僕の記憶に残った女性が居た。干し柿の時期になるとこの農園に手伝いに来ているご近所の 74歳のHさん。
大阪出身なので、言葉の中に関西のイントネーションが見え隠れしている。品があって、落ち着いていて、あまり動じなくて、自分のタイミングでお話しをする方。惹かれるのは、どことなく自分の母に似ている所を感じ取ったからかもしれない。
僕がバンライフ旅をしている事について皆さんにひとしきり話したあとの事。休憩時間にバンで昼寝しようかと思っていたら、Hさんが僕のバンの中を覗きに来た。
Hさん「中、見てもいい?」
僕「どうぞどうぞ」
Hさん「まあ〜、すごいわねえ…」
褒めてくれた。「本当のことしか言わない人」に褒められると無性に嬉しい。
そしてバンの中を一通り見回しながらHさんは感慨深く「こんな生き方もあったのかもしれないわねえ」と言い、最後にありがとうと言い残し、また作業場に戻っていった。
——こんな生き方もあったのかもしれないわねえ。
それを聞いてバンの中に残されていた僕はなんか、なんも言えなかった。多分そんなに深い意味で言った訳じゃないと思う。
ただ、僕の中でその言葉を大切に、もう一度考えようと思い、反芻した。
誰かの言った何気ない言葉に
74歳のHさんがふと呟いた 「こんな生き方もあったのかもしれない」。
もう自分にはこんな事をする体力や精神的な余裕は残ってないかな、という諦観?
こういった生き方をもし過去していたら、今頃自分はどうなってたんだろう、という空想?
自分の生きてきた人生は素晴らしかったな、という誇り?
そんな風に僕は勝手に想像してしまっていた。
本人はそんなつもりじゃないかもしれないし、文字にするものでもないのかもしれないけど。自分の中で勝手に受け止めて、勝手に大事にしました。すみませんHさん。そしてありがとうございました。
バンで旅をしながらの仕事
僕はバンライフ旅の仕事として「農業バイト」を選んで良かった。その後も旅先で沢山の農家さんのところでお手伝いさせて頂いている。
ねぎ、ズッキーニ、大根、人参、さつまいも、リンゴ、みかんなどなど、常に季節のものに触れられて楽しい。太陽が気持ちいい。ズッキーニの受粉作業なんて今までの生活をつづけていたら一生出来なかっただろうな、と思う。
農家さんの善意で野菜を頂く事もある。採れたての旬の野菜を旅先でその日の内に調理して食べるのは最高の贅沢だ。
旅先でその地域を深く知りたければ「その地域に関わる仕事をする事」をオススメする。農業に限らず、漁業、旅館、レストラン、ゲストハウス、アクティビティなど探せば色んな仕事がある。
バンライフ旅を始めた頃は、旅をしながら出来る仕事はリモートワークしか頭に無かった。でも、今は色んな可能性があって、「あ、このまま多分旅を続けながら生きていけるな」って思っている。
「生きるチカラ」がまた一つ身についた。
「暮らし」の隣に居させてもらう事
バンライフを始めてよかったと思えた事の一つが旅先の「仕事」だ。仕事をすると地域の「暮らし」の一番近くに寄ることができる。
そこで暮らす人達が何を感じ、何を大切にして、何を不安に想い、何を誇りに生きているか見せてもらえる。それは僕が僕を知る事にも繋がる。観光だけしていた頃より、旅がよっぽど楽しくなった。
これからも旅を続けながら誰かの生活に少しずつお邪魔して、「こんな生き方もあるのか」って思う事をしていこう、僕も。
「仕事」と「自由」の最大公約数
「自由」になる為に仕事を辞めて旅に出た。「自由な旅」を続けるには「お金」が必要で、お金の為に「仕事」をした。
「仕事」はどこにでもある。人の手伝いを必要としている人は沢山いる。本当に。そしてどこへ行って、いつしたっていい。自分に合わなければ辞めてもいい。そして、疲れたら休む。
とても大事なことなのでもう一度言う。「疲れたら、休む」
「仕事」を始めても僕はまだ「自由」だった。「仕事」を始めたら「旅」がもっと面白くなった。思わぬ収穫。人は自分の人生しか生きることは出来ない。当たり前の事なんだけどね。
でもきっと、どんな人生を選んだって全部大正解、だったらまあ自分の好きに生きよう。Hさん、あなたが想像してくれて、きっと今までの自分の人生を誇りに思えた「こんな生き方」を僕、今やってます。
またいつか会えた時には「あら、まだやってたの〜、いいわね〜」って言われたいなあ。
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