話題作『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』(WAVE出版)の著者が、“車と旅”の海外版について語る新連載エッセイ。
“楽園を探す海外放浪夫婦が、中古の軽自動車を買って北海道から南アフリカへ。
警察官の賄賂を断ってジャングルに連れ込まれ、国境の地雷地帯で怯え、貧民街に迷い込み、独裁国家、未承認国、悪の枢軸国、誰も知らないような小さな国々へ。
南アフリカ・ケープ半島の突端「喜望峰」で折り返して日本に戻ってくる予定が……。”
■著者プロフィールは、こちら
目次
【第1話】帰れぬ旅が始まった
「車で、地球を走っている」というと、何を大げさな――と思われるかもしれないが、たった今、この原稿を書いているのはモンテネグロである。
「モンテネグロ? はて、そんな国、どこにあったっけ?」。首を傾げるかもしれない。
足の形をしたイタリアの右側、アキレス腱の対面あたり。いまだマクドナルドを知らない、四国より小さな国である。そんなところでレンタカーを借りてドライブしていることを、“地球を走っている”と風呂敷を広げたわけではない。
「日本で車を買って、ここまで走ってきた」のである。
旅先でもたびたび同じような説明をしているのだが、たいてい「はあっ!?」「ナニ言ってんの?」。奥歯でカメムシを噛んでしまったかのように、眉間に皺を寄せる人が多い。
のみならず「その車、どこで買ったの?」と訊いてくるから、“日本”は耳に届かないようで、いまいち通じないのだ。そこで耳の穴をよくよくかっぽじって、落ち着いて聞いていただきたい。
「筆者は、北海道からモンテネグロまで運転してきました。札幌で買った車で」
倒置法にして、大事なところを強調してみた。同乗者の妻Yukoは、運転免許証を持っているにもかかわらず1メートルもハンドルを握っていないのは安全対策だ。さらに強調したいことがある。
軽自動車なのだ。
あの、「ちょっとコンビニ行ってくるね」っていう感じの小さな車。色は白。
さらに言えば、買ったときすでに10万km近くも走り込んでいたご老体の中古車で、はるばるモンテネグロなのである。そして、下の1行がもっとも重要だ。
南アフリカのケープタウンまで行った、“帰り”なのだ。
心から、みなさんのお知恵を拝借したい
札幌を旅立って8年、走行距離計は20万kmを超えた。軽自動車は引退すべき時期をとっくに過ぎたと思うが、まだまだ達者だ。
イタリアで泥棒に窓ガラスを割られたものの、冬に車中泊をすると死ぬほど寒い!……以外は何の問題もない。ただ、ヨーロッパで軽自動車の窓ガラスが売られていないのは、由々しき問題である。
ここ数年、エンジン警告灯が点きっぱなしで消えてくれないが、何を警告したいのかさっぱりわからない。不治の病として見ないことにしている。それより、コロナのロックダウンで2年半もモロッコに閉じ込められた方が痛かった。
コロナ禍が去って旅行の制限がなくなっても、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。唯一、日本へ帰れるルート、シベリアを走れなくなったのである。
この不運を嘆くと、「ロシアは戦地ではないから危なくないさ」と励ましてくれる人がいる。なるほど、一理ある。
しかしだ、素人の野放図なアドバイスに従って戦火を潜り抜けたとしても、実は日本に上陸できない。コロナによる旅行禁止が船業界を爆撃し、ロシアと日本を結ぶフェリーが廃業したのである。
つまりたった今、モンテネグロでこの原稿を書いているのは、行くところがないからである。
帰りたいけど帰れない、迷宮入りしたような旅になってしまった。軽自動車の寿命が尽きる前に日本の土を踏めますようにと祈りつつ、この南アフリカ行脚を連載したい。
読者のみなさんにお願いがあります。
どうすれば、ボクら夫婦&軽自動車が日本に戻れるか、一緒に考えていただけると嬉しい。いずれ打ち明けるが、ある事情があって、軽自動車を持ち帰るのが条件である。
どことなく上から目線の文体のようだが、根はいい奴なので許してください。心から、みなさんのお知恵を拝借したいのである。
優しい島は、迷子知らずで観光要らず
「一生に一度くらい、外国に住んでみたいよね」
2005年の春、仕事を辞め、家を引き払い、アメリカへ飛んだ。ロサンゼルスでスクーターを買い、テントや寝袋といったキャンプ道具を山ほど積んで、移住先を探す旅に出た。
2年ほど世界をまわれば、どこかに天国のような楽園が見つかると思ったのだ。
古民家を手に入れてリノベし、家庭菜園に精を出す。お小遣い欲しさにプチ起業したら、そこそこ成功してほくそ笑み、夫婦仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
……となるはずだった。
が、迂闊なことに、台湾で2015年の春を迎えたのである。10年間も海外をうろついてしまった! こんなことでは、一生、移住生活なんて始まらないのではないか!
抜本的に旅のスタイルを変えねばならぬ、と立てた企画が、「車で、南アフリカへ行こう!」である。
アフリカまで行って帰ってくれば、楽園なんかよりどりみどりに違いない。って、ただ乗り物が変わっただけのような気がするが、その乗り物に軽自動車を選んだために、旅は無駄に味わい深くなってゆく。
2015年、稚内からサハリン島へ。ロシアである
2015年のお盆すぎ、稚内からフェリーに乗って、サハリン島に渡った。ロシアである。
これまで世界一周を果たしたと豪語するバックパッカーにたくさん会ったが、ひとりとして訪れていない謎の島、サハリン。距離的に日本から一番近い外国だというのに、何故に避けるのか。
島の地図を眺めるに、サハリン島ほど旅人に優しい島はないように思える。まず、南北に細長い。幹線道路は背骨のように一本しかない。これは嬉しい。どこへ行っても迷うことなく迷子になる方向音痴のボクらでも、道に迷えそうにないのだ。
また、その一本道は旧日本軍が敷いたもので、“軍用道路”と呼ばれている。一般人が近寄ってはいけないようなデンジャラス感が漂い、「国道を走りました」より、だんぜん偉業感がある。労せずして、ほかの旅人に自慢しやすい。
さらに喜ばしいことに、サハリン島には“死ぬまでに一度は行ってみたい”ほどの観光地はない。ほかの旅人に、「○○に行ってないんですか?」と、指摘されかねない必須の穴場もなさそうだ。
“迷子知らずで観光要らず”ともなれば、ほぼ同じ大きさの北海道より旅行しやすいと道産子ながらに思うのである。
ボクらの楽園を探す旅
ところで、自分でハンドルを握る旅ともなると、道中の99%は名も無き土地となる。 殊に軽自動車だと、高速道路はもちろんのこと、制限速度が100kmを超えるバイパス道も走りにくい。そのため欧米では、わざわざ地元の人も利用しないような旧道や田畑を紡いで、道に迷っていた。
ボクらの楽園を探す旅は、誰も知らない名も無き集落で休み、食事をし、あたりを見渡す。
無粋な観光客にじろじろ見られていない土地、そこに暮らす人々、案外心がこもっていない仕事ぶり、見られることを考慮していない汚れ放題の家々、そこはかとなく見応えがある。メニューの文字を読めないがための“名も無き料理”は、正解がわからないぶん味わい深い。
そんな佇まいを気に入れば、わが家だけの秘密の名所として“マイ秘境”と呼ぶ。諸条件をクリアすれば“楽園”に昇格し、移住候補地になるのである。マイ秘境を求めて、旅人に優しい島を北上した。
見知らぬ土地で車中泊するときは、クマに気をつけたい
ユジノサハリンスクの町を一歩外へ出ると、人の気配が消えた。行き交う車も途絶えた。
舗装された軍用道路は、サハリン鉄道に沿って延びている。雑草の隙間に傾いた墓石が覗く。ときおり見かける廃墟は、島の青年はペンキを買うお小遣いがないようで、ストリートペイントで汚されていない。
壊れた鉄橋の下で釣り糸を垂れる人を眺めながら言うのも恐縮だが、無人島を探検しているようなロビンソン・クルーソー感にワクワクしていた。
400kmほど北上したあたりで、世界一親切な人に出会った。
ギネスブックに申請したいくらい優しくて、逆に迷惑だった彼については、著書『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』に譲るとして、軍用道路のアスファルトはなくなり、土か砂利、ときどき砂地。砂埃を巻き上げながら、さらに東京→大阪間ほどの距離を北へ向かう。
いくつもの森をかきわけて、最北端の町オハに辿り着いた。黒い雲に押しつぶされた、鼻毛にカビが生えそうな辛気臭い町である。沿道の人たちが、「なんだあの車?」と不躾な視線を送ってくるが、目が合わないように巧みにかわす。はやく車中泊できそうな駐車場を探さねば、日が暮れそうだ。
この旅では、車中泊を心がけることにしている。その点、サハリン島は無人島風味なので、気がねなく車中泊できそうである。ストリートペイントがないから、強盗はいないだろう。
無人島と思えば、トイレは野となれ山となれ。さぞかし星はきれいに違いない……とか言いながら、森のお世話になるつもりは一切ない。
クマがいるのだ。
見知らぬ土地で車中泊するときは、クマに気をつけたい。
アメリカやカナダをスクーターで走っていたとき、いく度となくクマに遭遇している。邪気のないつぶらな瞳で鮭を追いかけ、「あれ、どこへ行くんだっけ?」って顔で道路の真ん中に立っていた。
普通車を蹴散らす腕っぷしがあるので、軽自動車の敵ではない。遠慮も挨拶もなく、晩飯を食べたボクらを晩飯にしかねないのだ。
車中泊の初日は、雑居ビルの駐車場で寝た。夜中の12時を過ぎても子供たちが遊んでいたので、クマが出たとしても彼らが先だろう。
番犬がいるのに襲撃された
翌日は、大きな廃工場を訪ねた。 瓦礫の影から出てきた胡散臭いおじさんに、「駐車場で車中泊していいですか?」 と訊くのだが、ボクらが知っているロシア語は、
- ズトラストビーチェ(こんにちは)
- スパシーパ(ありがとう)
- スタヤンカ(駐車場)
この3つだけ。
動詞がないので笑顔で代用するのだが、この手の有効な単語に乏しい会話はたいてい「ナニ言ってんだよ、ぜんぜんわからんよ」と、カメムシ顔をされる。やがて埒が明かなくて苦笑いに変わる。
そのうちアホらしくて笑い出したら、すかさず固い握手。スパシーパ(ありがとう)をひつこく繰り返して、交渉成立ということにしている。廃工場のおじさんは飲み込みが早く、すぐに笑ってくれた。
それどころか、1秒も会話が成り立っていないことに気づいていないのか、なんだかんだと15分以上もロシア語をしゃべり続け、笑いあい、最後に、「というわけだから、持ってけ!(想像訳。以下同様)」 と、水を持ってきた。ポリタンクに20リットルも。
いったい何の話をしていたのでしょう、ボクら。行水すると凍死しそうな夜に。
3泊目は、どうしてこんなところにお店が! と存在意義を問われそうな辺境の雑貨店だ。五体満足な番犬がいるので、クマは来ないのだろう。
例によって、「こんにちは」「駐車場」「ありがとう」だけで交渉を済まし、お礼に缶詰やジュースを買った。
その夜、襲撃されたのである。晩飯を食べ終えて寝ていたところ、
ドンドンドン!
車を叩かれた。
ドンドンドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ!
Yukoと抱き合いながら息を潜めていたが、次第にガンガンガンガンガンッ!と激しくなっていく。
いい加減無視できなくなって、そーっと3cmほどドアを開けたら、「ほーらっ、いたーっ!(想像訳)」
3人のおっさんがウォッカを振り回していたのである。
「隠れてないでよー」
めちゃくちゃご機嫌に酔っぱらって「飲もうぜーっ!」
「いえ、結構です。おやすみなさい」
って、例の3単語で、わかってくれますかね?(了)
■著者プロフィールは、こちら
『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』(WAVE出版)
2023年1月19日発売。海外車中泊旅で起こる数々の事件を、軽妙洒脱な文章で綴った旅の記録。
リモートワークをしながら世界中を旅する夫婦が、楽園(移住先)を探すため、日本で買った軽自動車で南アフリカに向かうも…。