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あの伝統菓子が大変貌~知られざるヒットせんべい

東京・杉並区の「南部屋」は岩手の郷土料理の専門店。そこでほとんどの客が注文するのが、東北・南部地方の名物「せんべい汁」(770円)だ。しょうゆベースのスープに鶏肉と野菜を入れ、そこに加えるのが南部せんべい。江戸時代後期から食べられてきた伝統の鍋だ。

その南部せんべいを当たり前のように食べてきた岩手・二戸市。スーパー「ジョイス」二戸店では、一つの棚にすべて南部せんべいが並んでいる。町の魚屋やガソリンスタンドでも当たり前のように売られている。もちろん家庭にも浸透しており、定番のゴマや落花生は、お茶請けや子供のおやつとして食べられている。

さまざまな南部せんべいのメーカーがあるが、中でも一番人気なのが小松製菓。シェア5割を占める南部せんべいのトップブランドだ。

1948年創業、従業員260人。その工場では多くの工程に今でも人の手を入れている。「南部鉄」の型に入れるのも手作業。この手間暇をかけた作り方が地元客の信頼を集めている。

その一方で、小松製菓は伝統菓子を、地域を代表する菓子に変貌させた会社でもある。小松製菓の販売店「巌手屋(いわてや)」盛岡フェザン店には、200アイテムの南部せんべいが並んでいる。

一番人気は「いかせんべい」(540円)。せんべいの上に燻製にしたサキイカを乗せたロングセラーだ。「りんごせんべい」(540円)はリンゴのチップをトッピング。さらにはカレー味からチーズ味まで。これまでゴマや落花生しかなかった南部せんべいのバリエーションを一気に増やしたのが小松製菓だ。

ただ乗せるものを変えているだけではない、「割りしみチョコせんべい」(395円)は、一度焼いたせんべいにホワイトチョコを染み込ませた、まったく新しいせんべいだ。

味だけではなく、せんべいの食感も、時代に合わせて進化させている。「地元の人も、固いのから軽めにニーズが移ってきている」と言う。時代に合わせて南部せんべいの硬さや厚さを微妙に変化させてきたのだ。

種類の豊富さと徹底した食感の追求で客をつかみ、小松製菓は南部せんべいだけで、年間30億円を稼ぎ出している。

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子育て支援から年金まで~社員に大盤振るいの秘密

会長の小松務(75)は、母が始めた小さなせんべい屋を引き継いだ2代目。だが、若いころは家を継ぐのが嫌で、家出までしたという。

「これだけ将来性のない、ワクワクしない商売はないと若い時は思っていたけど、いろいろな商品を開発して、お客さんの反応があると、捨てたもんじゃないと、今は感謝しています」(小松)

いまや地元でも人気の就職先に。高校生向けの会社説明会ではブースに人だかりができていた。「岩手を代表するお菓子を作っていてすごい」「他のせんべい屋とは違う考えを持っていて独創的」と、高校生も興味津々だ。

町の人たちも「世界一の会社」「誇りです」「二戸市を代表する会社」と、絶賛する。

小松製菓では、子供を保育園や幼稚園に預けている従業員に、「保育手当」として、子供一人につき最大1万円を支給している。従業員の1人は「パートにまで出ると思ってなかったのでびっくり。実際に子育てに使っているので、本当にありがたい」と言う。

また、60歳の定年を過ぎても、本人が希望すれば70歳まで、正社員として雇用。さらに、70歳を超えても働ける道も用意されている。営業一筋50年の辻正博(69)は、「よその会社と比べれば最後まで面倒見てくれる会社だから、安心して働ける」と言う。

一方、定年を選んだ人には別の選択肢も。小松製菓が運営する飲食店「自助工房四季の里」。「天ざるそば」(1250円)など、地元産のそば粉を使った手打そばが売りだ。この店の従業員は、かつてせんべい工場で働いていた女性たち。退職はするが、短時間だけでも働きたいという声に応えて、30年前に作った。「行くところがあるのは楽しい。家にばかりいるよりは」と小松ウメさん(71)は言う。

こうした従業員思いの会社を作りあげたのが、小松の母で創業者の小松シキだ。

「従業員が愚痴や不満を言うようでは、いくら会社が大きな利益を出しても長続きはしない。心をこめて社員と接していかないといけない、と」(小松)

シキの思いを受け継ぎ、小松が新たに始めたことがある。退職した人を集めた年2回の食事会だ。その席で、小松が一人一人に何かを手渡している。中を見せてもらうと、現金で3万5000円が入っていた。

小松製菓では、定年まで20年以上勤務した社員に対して、80歳になるまで年に2回、「年金」という名目でお小遣いを渡している。本人が亡くなっても、80になる年まで、遺族に渡し続けるという。

従業員も退職者も幸せにする小松製菓。その根底にはこんな思いがある。

「社員のことを『お客様』という思いで全てのことをやれば、『おらが会社』という愛社精神が生まれる。社員もいいし、会社もいいし、地域もいいという風にならないと」(小松)

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拡大路線で倒産寸前~自殺も頭をよぎった借金地獄

二戸市の「巌手屋」本店。小松製菓の原点は、自宅を改装してせんべいを焼き始めたこの店にある。この日は元従業員の桃林のぶ子さんが店を訪ねてきた。創業者・シキの下で40年、一緒に働いたという。

「すごく面倒を見てくれて、『子供が生まれたので辞めます』と言ったら、『連れて来てもいいから辞めないで』って。椅子を持って来て寝かしつけたり、社員がオムツを替えてくれたりしました」

シキは1918年、8人きょうだいの末っ子として生まれるが、父と兄弟を立て続けに亡くす。家は貧しく、小学校を出ると12歳で小さなせんべい屋へ奉公に。幼いながらに家族を支えた苦労人だったという。

南部せんべいの店「小松煎餅店」を始めたのは結婚後の1948年。せんべい1枚1円で売っていた時代に、35万円もする機械を導入するなど、シキはその店で商人としての才覚も花開かせた。

その一方で、従業員に結婚相手を紹介し、嫁入り道具一式を持たせるなど、従業員の幸せを大切にしていたという。

「体の悪い人とか貧しい人に対しては、猛烈に優しかった。皆さんを喜ばせることをやっていきたいと言っていました」(小松)

継ぐのが嫌で、家出までした小松だが、高校を出ると母の店を手伝うことに。商品開発の担当として、それまでになかった南部せんべいを次々と生み出す。営業にも力を入れ、会社は急成長した。

80年代後半、バブルがやってくると、調子に乗った小松は、畑違いの洋菓子にまで手を広げ、店を18店舗にまで拡大させる。商品数を増やすため借金をして工場を新設。従業員も一気に増やしていく。

「どら焼きとかバームクーヘンとか、なんでもやった。そこから病気が始まっていた。売り上げ志向。売れさえすればいいと」(小松)

しかしその後、バブルの崩壊で売り上げが激減、初めての赤字に転落。借金が返せず、倒産寸前に追い込まれる。

「毎月1000万単位で金が足らなかった。5億円の生命保険に入ったが自殺してもすぐには下りない。本当に辛い思いをしました」(小松)

社員を幸せにしたい~危機を救った母の生き方

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倒産寸前のどん底でもがき続けた小松。その復活のきっかけを作ったのも母のシキだった。

小松が工場を見て回っていると、すでに一線を退いていたシキが工場に顔を出していた。従業員に慕われるシキの姿を見た小松は、「会社がうまく回っていたのは、母が、従業員の幸せを一番に考えていたからだ」と気付く。

「売り上げさえ伸びれば、社員が幸せになると錯覚していました。つまずいて初めて、社員の幸せにつながらないと会社は長く続かないし、幸せにならないと気付いた」(小松)

小松はまず、無計画に増やした店舗の半分を閉鎖。同時に400アイテムあった商品数を半分に絞り込み、コスト削減に乗り出した。

その一方で、従業員のためにユニークな機械開発課を立ち上げる。そこで作っているのは、従業員が楽に仕事をするためのアイデア装置だ。たとえば、段差のある場所には、商品を持ち上げなくてすむようリフトを設置。棒に当たると商品が90度回転するレーンは、賞味期限の表示を見やすくし、箱詰め作業をスムーズにするためのものだ。

従業員の働きやすさを考えて、工場の中を次々と改善すると、生産性が大幅にアップしたという。

こうした会社の姿勢に従業員の意識にも変化が。夕方、外回りの仕事から戻ってきた営業部の夏井誠は、白衣に着替えると工場に向かい、商品の箱詰め作業を始めた。「4時に主婦の方が帰るので、営業も手伝う。少しでも会社のためになりたいので」と言う。

通販部門の通信販売課では、従業員が話し合って自発的に始めたことがある。それは、注文してくれた客に送るお礼の手紙。自分たちで考えたこのひと手間で。リピーターが増えた。課員は「特別なことをやっているという気持ちはないと思います。『ひと手間』がうちの会社らしさかな、と」と言う。

会社と従業員が互いに想い合う「ひと手間」。その積み重ねが赤字解消につながり、倒産寸前だった会社を、復活をさせた。

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1300万円のチョコを捨てろ~バレンタイン事件とは?

小松は3年前、新しいコンセプトの店をオープンさせた。店名は「二戸」からとって「ツードア」。今や、地元客だけでなく、観光客も押し寄せる人気の店になっている。同じ敷地内には自社工場も併設。地元小学生たちの格好の社会科見学の場にもなっている。

この店の大ヒット商品が「チョコ南部」(594円)。細かく砕いた南部せんべいをチョコでコーティングしたオリジナル商品だ。発売以来10年間で累計250万個を販売。売り上げの2割を占める商品に育った。

この「チョコ南部」を開発したのが、営業部の青谷耕成。そしてヒットの裏には、会社の運命を左右する大事件があったという。

それは、「チョコ南部」がヒットし始めていた2010年12月のこと。青谷はバレンタインデーに備え、2カ月も前から委託先に大量発注をかけていた。

ところが、その在庫を見た小松はすぐさま幹部全員を集めた。「大丈夫です。バレンタインデーが終わっても賞味期限内には十分売れると思います」という青谷の話を聞いた小松は、その場で「商品を全部捨てろ」と命令する。

当時のことを青谷は「あの時のことがなかったら、お客から信用を失っていたかもしれない」と振り返る。

小松が明かす。

「かなり前に作ったせんべいで作ったチョコレートのクランチだった。販売する時にはその賞味期限が迫っていて、『どうする?』と聞いたら誰も答えられない。私は『神様に試されている』と思いました。母は『天は見ている。真正直に生きろ』『一番の宝は信用だ』と言っていました。信用を失うようなことはするなと言われていたので、『すぐ捨てろ』と」

金額にして1300万円。だが結局、そのことが自社工場の建設と「ツードア」につながったのだ。

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~村上龍の編集後記~

波乱万丈の生涯で、テレビドラマにもなった小松シキさんが創業し、徹底して従業員を大切にしてきた。モチベーションアップのため、ではなく、「人を大事に」という、ごく当たり前だが、今や消滅しそうな哲学がベースになっている。加えて、高価な機械をためらわず導入するビジネスセンスも持ち合わせていた。務氏は、家出の果てに、会社を継いだが、シキさんの精神が自然に刷り込まれていたのだろう。

「おばあちゃんの味」は、失われたら同じものは再生できない。大切な誰かと一緒に食べたら会話が弾む、そんな味だった。

<出演者略歴>
小松務(こまつ・つとむ)1944年、岩手県生まれ。1962年、小松煎餅店入社。1975年、小松製菓に改称。1979年、販売会社として巌手屋を設立。2000年、小松製菓社長就任。2015年、会長就任。

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