この記事は2022年8月11日に「テレ東プラス」で公開された「エンタメを極めて120年~ピンチに攻める!松竹:読んで分かる『カンブリア宮殿』」を一部編集し、転載したものです。
歌舞伎をロックフェスに?~伝統を支える民間企業の謎
2022年4月29日、千葉市・幕張メッセ大ホールで大勢の客の前に現れたのは歌舞伎俳優・中村獅童。そして共演者はバーチャル・シンガーの初音ミクだ。イベントの名前は『超歌舞伎』。NTTの最新の画像合成技術を駆使し、リアルとバーチャルがライブで共演する歌舞伎の進化系だ。
▽『超歌舞伎』中村獅童の息子、小川陽喜くんも登場
中村獅童の息子、小川陽喜くんも登場。2日間の公演はニコニコ動画でのライブ配信も行われ、およそ60万人が視聴した。コロナ禍で公演が難しい日々が続く中、中村獅童も乗りに乗っていた。
▽リアルとバーチャルがライブで共演する歌舞伎の進化系
「我々と『超歌舞伎』ファンとの友情、心がつながったことで涙が溢れるような……。『超歌舞伎』のウリの一つでもある掛け声も今のご時世ではできないけれど、その分、みんなが一生懸命ペンライトを振ってくれ、新しい歌舞伎を今までやってきて良かったと思います」
市川海老蔵改め十三代目市川團十郎の襲名披露は、2年半も延期されてようやく年内実現の目処が立ったが、2022年7月にはコロナの再拡大で歌舞伎座は休演を余儀なくされた。
そんな歌舞伎のピンチをどんな時も救い続けてきた民間企業がある。歌舞伎俳優・市川猿之助が裏話を教えてくれた。
「舞台がないということは生活手段を絶たれているということ。皆さんそれぞれの立場で死活問題だったと思います。松竹という会社はそれを大英断で給料を保障した。経営面からしたら我々はクビです。しかし伝統を守るという観点から続けられるということは、日本を代表する芸能を企業が担っているということです」
その企業が、全国に大劇場を4つ持ち歌舞伎の公演を一手に担う松竹だ。
400年前、京都で人気を博した出雲の阿国の「かぶき踊り」が歌舞伎の始まりとされる。江戸中期には、市川團十郎が顔に隈取をした超人的な主人公が立ち回る荒事で、歌舞伎を一躍、人気エンタメに押し上げた。そして明治時代、京都のとある芝居小屋の中で九代目市川團十郎の荒々しい演技に目を輝かせる双子の兄弟がいた。
この大谷竹次郎と白井松次郎の兄弟こそ、その名が示す通り松竹の創業者だ。子どもの時に歌舞伎に心を奪われた松竹兄弟は、その後、事業家になると、全国にあった芝居小屋を次々と買収。歌舞伎の興行を一手に担う大企業へと成長させたのだ。
その松竹を率いる現在のトップについて、中村獅童は次のように語る。
「僕が『こういうことをやりたい、ああいうことをやりたい』と言わせていただき、それを形にしてくださるのが会社です。社長は僕らの意見を聞いてくださる人。情熱家で、舞台を見て感動した時は真っ先に楽屋に来て『良かったよ』と言ってくださる」
その社長・迫本淳一(69)の信条は「ピンチの時こそ大胆に攻める」だという。
「コロナ禍でオンラインの強さが出たと思う。だけどリアルの貴重さも出てきた。オンラインとリアルをどう融合させるか。融合作品が古典になるように頑張りたいと思います」
▽「融合作品が古典になるように頑張りたい」と語る迫本さん
ズームからメタバースまで~ピンチに攻める異色社長
迫本はすでに18年も松竹の社長を務めている。その理由が、赤字のどん底で代表を任され、驚異的に業績を伸ばした圧倒的手腕にある。
コロナ禍でも迫本の動きは早かった。最初の緊急事態宣言で歌舞伎が休演に追い込まれた時、わずか3週間で作り上げたのはどこでも見られる歌舞伎。松本幸四郎、猿之助らがライブ配信で演じる「図夢歌舞伎『弥次喜多』」だ。リモート会議に着想を得たという斬新な歌舞伎で、自宅にいても楽しんでもらえるようコミカルなストーリーにした。
さらに迫本はコロナ禍の中、東京・渋谷区に自由自在に高度な映像合成を可能にする最先端のバーチャルスタジオ「代官山メタバーススタジオ」を建設した。そこで作っていたのは、リアルタイムで歌舞伎の演技を合成しライブ配信する「META歌舞伎」だ。
▽リアルタイムで歌舞伎の演技を合成しライブ配信する「META歌舞伎」
新たなコンテンツを生み出すことで若手の役者に活躍の場を与えた。『META歌舞伎Genji Memories』で主演を務めた中村壱太郎は次のように語る。
「役者の演技はそのままに、映像の力ですぐに海の中に入ったり、新たな表現の仕方として歌舞伎とも融合できるのではないか。全く今までにない取り組みになりました」
ピンチをチャンスに変えるため大胆に攻める一方で、迫本は収入が途絶えた歌舞伎俳優を救おうと動いた。
「公演があればこれだけの収入があるというのが分かっている。それが全くなくなった。ご自分で稼げる方は少なくして、収入が少ない方は8割を保障しました」(迫本)
迫元は松竹の映画部門も救った。2022年6月に公開されたのは司馬遼太郎原作、役所広司主演の『峠 最後のサムライ』。大手映画会社として松竹がこだわってきた時代劇だ。
京都市に日本でも数少ない時代劇の撮影所を保有している松竹。ここでは必殺仕事人などさまざまな人気時代劇の撮影が行われてきた。しかし、かつてにぎわった撮影所だが、「昭和の時代は時代劇が定番で放送されていましたが、今の視聴者はそうではない」(松竹撮影所・永島聡)。
▽京都市に日本でも数少ない時代劇の撮影所
撮影所の経営は追い込まれたが、迫本は新たな鉱脈を掘り当てる。それがコメディ路線の時代劇だ。『超高速!参覲交代』のヒットを足がかりに、松竹はこれまでにない時代劇を次々と制作。撮影所を守り抜いた。
「コロナに殴られても、殴られっぱなしというわけにはいかない。やはり我々は反撃を考えなければいけない」(迫本)
寅さん終了、撮影所閉鎖……~映画を守った執念の秘策
「この歌舞伎座の上に後ろのビルが乗っかっている」と迫本は言う。収容人数1,800人を誇る東京・銀座の歌舞伎座。その上に地上29階の高層ビルがまさに乗っかっているのだ。2013年に開業した「歌舞伎座タワー」。下からは別の建物に見える斬新な設計だ。
以前の歌舞伎座は文化財にも登録されていた名建築。建て替えには激しい反対の声が上がった。それを断行したのが迫本だった。
「『松竹は歌舞伎座を壊すのか』『立派な伝統を壊すのか』という批判がすごくあって、その時は辛かったですね」(迫本)
迫本は1953年生まれ。慶応大学を卒業後、働きながら弁護士の資格を取るため勉強を続けた。苦労してなった弁護士だが、長くは続けられなかった。
その理由が松竹との縁だ。迫本の母方の祖父・城戸四郎は、歌舞伎の松竹を映画会社としても飛躍させた立役者だった。
城戸はそれまでの人気俳優に頼った映画から、監督を重視した作家主義へと転換。小津安二郎を見出すと、その作品は海外でも称賛を受ける。松竹のドル箱となる『男はつらいよ』シリーズを成功へ導いたのも城戸。松竹映画の黄金時代を築いた伝説的経営者だった。
迫本が弁護士として働いていた45歳の時、経営難に陥っていた松竹の経営陣から「経営に加わってもらえないか」と声がかかる。1998年、副社長に就任。それが苦難の幕開けだった。
「中身を見て『こんなに厳しいのか』と率直に思いました。できれば1年、状況を見てからいろいろやろうと思っていたのが、そんなことを言っていたら間に合わない」(迫本)
1996年、渥美清の死去とともにドル箱の寅さんシリーズを失っていた松竹。しかも、社運をかけて大船撮影所に作った鎌倉シネマワールドが大失敗し、毎月巨額の赤字を垂れ流していた。
祖父が作った大船撮影所だが、迫本はシビアな決断をする。1998年に鎌倉シネマワールドを閉鎖。翌年には数々の名作を生み出してきた大船撮影所の売却も決断する。
「祖父が蒲田撮影所から大船へ移転する際はパレードをした思い出の場所。閉鎖する時は大船の山から撮影所を見て、いろいろな思いはありましたが、前に向かって進んでいくんだ、と」
迫本は海外映画の買い付けに自ら挑戦。『ロード・オブ・ザ・リング』などのヒットを当て新たな収益を生むなど、松竹を復活させる策を打ち続ける。
ただ、エンタメ業界はヒットしないと大赤字となり、リスクが高い。安定して作品を作り続けるにはどうすればいいのか。その答えが都心の一等地に立つ歌舞伎座の建て替えだった。高層のオフィスビルを建設すると、そこから得られる巨額の賃料収入は、コロナの打撃からも映画や歌舞伎を守ってくれた。
「継続してものづくりをしていくためにはオフィスビルを建てないといけない。松竹の経営を支えているのは間違いないと思います」(迫本)
苦しい戦いの末、松竹はその伝統を今につないでいる。
7万円で歌舞伎を「財産」に~松竹コンテンツ作りの神髄
京都・新京極通の商店街にある人気のドーナツ店「コエドーナツ京都」。内装は建築家の隈研吾さんだ。
▽松竹創業の地「コエドーナツ京都」内装は建築家の隈研吾さん
実はここが松竹創業の地。芝居小屋の阪井座があった場所だ。歌舞伎に感動した竹次郎と松次郎は、ここを皮切りに、次々に芝居小屋を買収していった。創業者・竹次郎の1964年の貴重な音声が残っている。
「『歌舞伎を守る』というのは、ありのままをやっていれば守れるということではない。何が大事かといえば、その時代に遅れないように、同じものでも時代に合うように、その時の人の気持ちを入れてやらなければいけない」
千葉県に住む亀田和之さんは最近、珍しいアート作品を購入したという。『META歌舞伎Genji Memories』の動画だ。唯一無二のデジタル資産として個人が保有できるNFTという技術を使って松竹が販売した。
「競り合って最終的には7万1,000円で落札できました。世界に誇れる歌舞伎の初のNFT作品として、デジタルなのに自分だけのものだというのがうれしいです」(亀田さん)
歌舞伎から映画まで、時代のニーズをつかみ、エンタメコンテンツを進化させ続けてきた松竹。中興の祖・城戸四郎は、あることを大切に守り続けていたという。寅さんシリーズが成功した理由もそこにあった。
「『男はつらいよ』は最初、テレビの企画でスタートして、映画でという時、社内では反対意見が多かった。それを『進めろ』と背中を押したのが城戸四郎だったと、山田洋次監督がよく言われています」(迫本)
城戸四郎がヒットコンテンツを生むうえで大切にしたこととは何か。迫本はスタジオで次のように語っている。
「高校時代は一緒に住んでいたのでかなり間近で見ていましたが、『ヒューマニズム』という言葉が好きで、誰もが感じるようなつらい状況の人に対して『ヒューマンなものを提供する』とも言っていました。だから祖父がいた時の松竹映画に『バイオレンス』と『エロ』はない。何をするかはマーケットに近い現場の人が決めるべきで、『トップダウンでやるべきではない』というのが基本的な考え方です。ただ松竹である以上、できれば『人間』を描いてほしい。つらい立場の人にとって応援になるような映画を作ってほしいと言っています」
~村上龍の編集後記~
小池さんが、『ワンピース』観に行きましたと言うと、そうですか、うれしいなあと迫本さんは、笑顔を見せた。
400年続くアートである歌舞伎を運営する、松竹。型があるから型破りだと故・中村勘三郎が言ったらしい。ただし大船撮影所を閉鎖・売却したように、コストは大きいし、リスクは高い。
新しい歌舞伎座にリーシングできるオフィスビルを併設し、安定収益を確保した。ぎりぎりでやっている。歌舞伎を観に行ったという小池さんに見せたのは、心からの笑顔だった。
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<出演者略歴>
迫本淳一(さこもと・じゅんいち)
1953年、東京都生まれ。1978年、慶應義塾大学法学部卒業後、松竹映画劇場入社。1993年、弁護士登録をして三井安田法律事務所入所。1998年、松竹顧問、その後副社長に就任。2004年、社長就任。
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