イスラエルと日本の国旗
(画像=イスラエルと日本の国旗)

2月17日から3月16日にかけて、東大先端研・創発戦略研究オープンラボが主催する「イスラエル月間」と称するウェビナーが開催された。大変幅広いテーマでのセミナーが10回以上企画され、中でも初回は日本とイスラエルの関係を“多層”な視点から理解しよう、という大変示唆に富む内容だったので、その概要を紹介したい。

「イスラエル月間」ウェビナー概要

講師はヘブライ大学人文学部長ニシム・オトマズキン教授(Prof.Nissim Otmazgin)である。オトマズキン教授は、ヘブライ大学東アジア学科長、トルーマン研究所所長を経て、2021年10月より人文学部長に就任。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞するなど、日本との関係が大変深い。金閣寺を60回訪れたという日本通である。朝日新聞出版が運営するWEBメディア、AERA.dotにも連載記事を寄稿している。

出典:ヘブライ大学ウェブサイト
(画像=Nissim-O出典:ヘブライ大学ウェブサイトtmazgin.jpg)

本ウェビナーは、日イ国交70周年も記念するイスラエル月間のスタート回であるということもあり、開幕の挨拶はギラッド・コーヘン(Gilad Cohen)駐日イスラエル大使より行われた。本題のニシム・オトマズキン教授による講演だが、演題は「Three Dimensions of Israeli-Japan Relationship」で、教授は両国関係を語るときに”3レイヤー・アプローチ”が必要である、というお話をされた。

3レイヤーとは

  • Historical Relations ユダヤ人と日本との歴史的な関係
  • Diplomatic Relations 国家間の外交、経済関係
  • People to People Relationships 人と人との文化的な交流

の3層である。ここでは、貴重な史実を提供頂いたHistorical Relations とPeople to People Relationshipsに注目する。なお、講演全体は今でもYouTubeで見ることが出来る。

Historical Relations

教授はまず、近代史における日本とイスラエルとの具体的なつながりとエピソードを紹介してくれた。

1854年の開国以降、多くの外国人が日本にやってきた。ユダヤ人もその一部だが、他の事例と異なり、貿易事業目的、または、ホロコーストを逃れてきた難民の2種類である。彼らの多くは日本に定住し、東京、神戸、長崎にユダヤ人のコミュニティを作ったそうだ。長崎のコミュニティは日本で最大となり、ピーク時には100家族を超えたという。1894年には日本で最初のシナゴーグが長崎に作られた。

長崎、梅香崎のベス・イスラエル・シナゴーグ
(画像=長崎、梅香崎のベス・イスラエル・シナゴーグ)

教授は其の中の3人のエピソードを紹介してくれた。一人目はベルナール・ベツレヘム(Bernard Bettelem)である。彼は開国前の1846年に妻と二人の子供を連れて那覇に到着した。ハンガリー系ユダヤ人として生まれ、ラビとなるための勉強をしたが、イギリスやイタリアへの旅を通してクリスチャンへ改宗し、医学の学位を取得。さらにフランス語、ドイツ語、ヘブライ語、英語、ハンガリー語、イタリア語をマスターした。琉球政府の意向に反して彼らは下船し、7年間琉球に滞在することになる。キリスト教の布教を試みたが、琉球政府や人々の協力が得られずにミッションは失敗し、1854年に彼は那覇を去ることになる。その間彼は旧約聖書の日本語訳にも貢献したそうだ。

ベルナール・ベツレヘム
(画像=ベルナール・ベツレヘム)

二人目はフェリックス・ティコティン(Felix Tikotin)というドイツ生まれのユダヤ人でホロコーストの生存者である。第一次世界大戦後、シベリア鉄道で日本に渡り、日本文化を愛するようになった。日本の絵画等をコレクションし、1927年にベルリンにギャラリーを開く。第二次世界大戦のときは、ナチスの弾圧から逃れて家族でオランダへ避難した。幸いにも生き延びたものの、殆どすべてのコレクションを失っている。戦後は再び過去の伝手をたどって何度も日本を訪問し、コレクションを再構築した。彼のコレクションはヨーロッパでも指折りの個人収集の一つとなった。彼は1956年にイスラエルへ移住し、ハイファ市に全コレクションを寄贈した。9000点にのぼる絵画、版画、浮世絵、陶芸、工芸品がティコティン美術館に収蔵されている。

フェリックス・ティコティン(出典:フェリックス・ティコティン財団Facebook)
(画像=フェリックス・ティコティン(出典:フェリックス・ティコティン財団Facebook))

三人目はシャウル・アイゼンバーグ(Shaul Eisenberg)。彼は1940年に難民として19歳で日本に来て東京に住んだ。日本人女性と結婚し、ビジネスに才能を発揮して1960年代には世界の富豪の一人となっている。戦争中は東京から軽井沢へ疎開し、戦後は御徒町に小さな家を借りて生活を再建する。彼はアメリカ占領軍とコネクションを作り、アメリカ人と日本企業との仲介を始めた。50年代には韓国を始めとして、東南アジアへと事業を拡げている。貿易だけではなく、不動産、通信、エネルギー、海運にも投資した。後にヨーロッパや南アメリカ、アフリカへも事業を拡大している。正式な教育は受けていないが大変ビジネスの才能があったようだ。彼は長年東京のユダヤ人コミュニティのスポンサーであり、広尾のシナゴーグの建物や横浜墓地のユダヤ人区も彼の寄贈である。

シャウル・アイゼンバーグ
(画像=シャウル・アイゼンバーグ)

このように、志のあるユダヤ人が近代日本に来て、日本社会や文化に適応してきた歴史が、現在の日イ関係の基礎となっていることは大変興味深い。開国直後のかなり早い時期からユダヤ人コミュニティーが日本社会の中に根付いていたことに驚かされる。

People to People Relationships 

もう一つの視点は、しばしば見逃されがちな人と人との関係である。両国の人々は、旅行、文化イベント、教育などを通じて活発に交流するようになってきたが、教授は、最近の重要な交流事例を紹介された。

1つ目はベツァルエル美術デザイン学院(Bezalel Academy of Arts and Design)の新しいキャンパスである。日本の芸大に相当する学校であり、エルサレムの中心部に巨大な新キャンパスを建築中である。この建物は、東京に拠点をもって活動するデザイナーの妹島和世と西沢立衛が主宰するSANAAが手がけた。彼らは多くの関係者とプロジェクトについての対話を重ねただけではなく、エルサレムの歴史や伝統建築も学んだそうだ。これらの多くの文化的対話から生まれた建物の最終形は、とてもシンプルな直線とガラスで囲まれたモダンジャパニーズデザインだそうだ。

また、イスラエルの若い人は日本のアニメが大好きで、年に2度大規模なコスプレイベントが開催されるそうだ。ユダヤ教の祭り“プリム”の時期に合わせて開催される2017年の「ハルコン(春のコンベンション)」では、当時の駐イスラエル日本大使 富田大使が漫画“ワンピース”の格好で現れ、挨拶をしたという。教授が教鞭をとるヘブライ大学では1958年から日本学コースがあり、歴史、文化、政治、日本語を教えている。最近、教授は10000冊を収蔵する漫画図書館を作ったそうだ。このように、草の根レベルでの交流が深まっていることは、大変嬉しいことではないだろうか。

当時の駐イスラエル日本大使 富田大使 (出典:駐イスラエル日本大使館Facebook)
(画像=当時の駐イスラエル日本大使 富田大使 (出典:駐イスラエル日本大使館Facebook))

日本とイスラエルとの関係については、日本からの投資額がいくらになったなどの経済面ばかりが言及されるが、このような建築、文化面での交流などがあることももっと認知されるべきだろう。講義のまとめとして、教授は二国間関係を論じるのに複数の視点を持つことの重要性を再度指摘し、今後はDiplomacy&EconomyからPeople-People Relationshipsへと移行してゆくであろうと指摘したのである。両国の今後にとって大変重要な指摘であり、この2年間、人の交流を妨げている新型コロナ禍が収まり、両国の人々が早く活発に会えるようになることを期待したいものである。