独占インタビュー|ダニエル・コルバー経済担当公使兼経済貿易ミッション代表


昨年10月、駐日イスラエル大使館に新たな経済担当公使ダニエル・コルバー氏が就任しました。コルバー氏は、日本に来る前は、イスラエルと多くの国との二国間貿易協定を担当されており、2013年から2017年は在ブラジル経済イスラエル大使館経済部代表を務めた国際派です。また、学生の時はスイスのエコール・オテリエール・ド・ローザンヌ(EHL)で国際ホスピタリティ・マネジメントを学び、6ヶ国語に精通している、というとても興味深いキャリアと才能をお持ちです。日本に来ることも目標として持っておられたということで、今回の就任はご自身の目標の一つを達成したことにもなります。着任早々毎日複数回のウエビナーに出席しているという多忙なスケジュールの中、1時間ほど時間を頂き、ご自身のキャリアや日本でのミッションについてお話を伺いました。

経済担当公使ダニエル・コルバー氏
(画像=経済担当公使ダニエル・コルバー氏)

スイスでマネジメントを学んだ

コルバー氏がエコール・オテリエール・ド・ローザンヌで学士号を取得したのは、インターナショナル・ホスピタリティー・マネジメントという分野です。外交官がホテルのビジネスを勉強していたというのはとてもユニークであると考え、まずその経験について伺いました。

「大学のあるローザンヌはレマン湖畔の美しい都市で、スイスの中でもフランス語圏です。”ホスピタリティ”は”ホテル”の別名であり、スイスはこの分野で長い歴史を持っています。数十年前にヒルトンやシェラトンなどの大規模ホテルチェーンが成長を始める前は、この学問はより実務的なスキルを学ぶことが中心でしたが、大規模チェーンが成長してきてからは、アカウンティング、ファイナンス、マーケティング、HRなど、まさに”マネジメント”が必要になってきました。したがって、ケーススタディの焦点はホテルやサービスマネジメント全般でしたが、勉強の内容はBusiness Administrationそのものでした。私自身は13歳のころからホテルに興味があってEHLで学んだのですが、特にホテル産業には興味がないけれども、ビジネスを学ぶために来た学生も多かったです。実際、かなりの卒業生は、不動産やファイナンスなどの別の分野の仕事に就きました。EHLには世界中からいろいろな国の人が集まってきたので、自然に多くの言語に親しむことができたのです。」

スイス・ローザンヌ
(画像=スイス・ローザンヌ)

コルバー氏がホテルの仕事に興味を持ったのは、そこが世界中から来る人と接することができる場であるからでした。

「実際にホテルで働いていました。オーストラリアのシドニーやタイ、スペインなどです。チームのメンバーもお客様も世界中から来る人びとで、多様な文化に触れられる(Cultural Sensitivity)とても魅力ある場でした。シドニーの時は、自分のボスが日本人であり、同僚にも日本人がいました。ホテルのお客様の多くも日本人でした。このとき既に、私は日本人を含む多くの国の人と働く経験をしているわけです。」

「サービス業であり、国際的なビジネスと言う意味では、ホテルの仕事も今の大使館の仕事もあまり変わらないと思っています。ホテルでは滞在し食事をしてくれる顧客にサービスを提供しますが、大使館もイスラエル企業と日本企業とをつなぐためのサポートと言うサービスを提供します。どちらも、顧客のニーズを理解し、付加価値のあるサービスを提供せねばならないという意味では同じであり、国際的であり、異文化の理解も必要です。より良いサービスを提供することがゴールです。違うのは、ホテルの場合は顧客が自分の仕事場にいますが、大使館の場合は顧客はちょっと離れたところにいる、くらいだと思います。」

コルバー氏
(画像=コルバー氏)

コルバー氏の説明は良く解るのですが、でもなお、ホテル業界から外交官への転身というのは不思議に思ったため、そのきっかけは何だったのかを伺いました。

「直接転身したわけではなく、2008年に一度オーストラリアからイスラエルに戻り、テルアビブ大学の修士課程で2年間外交を学んだのです。政府機関で働くことは自分のキャリアプランには無かったのですが、偶然修士課程が終わる頃に、Cadet(研修生)のコースがありました。外務省ではなく経済省で、2年に1度12名しか採用されないチャンスで、幸運にもその試験にパスしたので経済省で働きはじめました。その中で、世界とイスラエルとの貿易を促進するような仕事をしたいと考えるようになりました。」

「日本に行きたいと計画していたのですが、実は日本は最初のアサインメントで行ける国ではありません。世界でも経済大国第三位の日本はイスラエルにとって重要な国であり、しかも、アメリカやドイツ、中国の場合は複数の経済部があるのですが、日本は一つしかありません。したがって担当する仕事の量も多いので、貴重な経験です。それで、最初のミッションでブラジルに行き、経験を積んだので今日本に来ることが出来ました。」

Cadet コースというのは、採用のプログラムだそうです。経済省の場合は2年に1度、約3000人ほどの応募者からわずか12名が選ばれます。選ばれた人材は3ヶ月間の集中研修のあと、3年間実務研修を受けるそうで、この期間はCadet(研修生)という位置づけです。それが修了した後に、それぞれのミッションを与えられて世界中の経済都市に派遣されます。『スタートアップ大国イスラエルを支えるタルピオットプログラムとは』で紹介したタルピオットプログラムも、10,000人から50人を選抜するエリート教育です。イスラエルは人材が資源だと考えているので、あらゆる場面でこのような厳しい選抜が行われるのだと改めて理解しました。

ブラジルで過ごした約4年半の素晴らしい経験

「ブラジルの大使館はブラジリアにあるのですが、リオデジャネイロに経済貿易ミッションの新しいオフィスを開設するチャンスを得ました。自分にとっては、スタートアップのような経験でした。オフィスの場所を探し、家賃や契約の交渉をし、リノベーションを行い、チームを雇い、トレーニングをし、新たなネットワークを構築するなど、全てをスクラッチから行いました。」

「ブラジルの人々はとても暖かく、彼らと働くのは素晴らしい経験でした。何よりも、在任中に2つのメガイベントが有ったことは幸運でした。オリンピックとワールドカップです。イスラエルの企業がオリンピックのビジネスチャンスを獲得するのをサポートしたり、ブラジル企業とイスラエル企業とのパートナーシップをプロモートしたり、大変面白い経験でした。世界中からそれぞれの国のチームを応援するために人々がブラジルにやってきたので、雰囲気は最高でした。ゲームも会場で応援し、イスラエルが柔道で2つの銅メダルを取る瞬間もこの目でみました。時代の証人になったのです。」

ブラジル・リオデジャネイロ
(画像=ブラジル・リオデジャネイロ)

実は肥料の輸出に強いイスラエル

本業である経済貿易ミッションの仕事についても詳細に話していただきました。イスラエルといえばハイテク、ITのイメージしか無かったのですが、主要な輸出品として化学製品があるのです。

「イスラエルからブラジルへの輸出の60%は肥料を含む化学製品なのです。肥料というのは主な原料がカリウム(potassium)とリン(phosphor)で、実はイスラエルにはそのどちらもあるのです。カリウムは死海で取れます。したがって、イスラエルは肥料を大変多く輸出しています。ブラジルは大豆や穀物などの食料の輸出大国であり、それを支えるためにも大量の肥料を必要とするのです。また、殺虫剤(pesticides)も輸出しています。化学製品といえば医薬品も輸出しています。」

肥料などの化学製品の輸出は非常に有益であり革新性もありますが、コルバー氏はより革新的なテクノロジー製品を取り組むことで、イスラエルからの貿易を増やしたいと考えています。

「我々がブラジルへ輸出しようと注力していたのは、ハイテク製品です。メディカルデバイス、テレコム関連、セキュリティデバイス、アグリデバイスなどです。私自身はデジタルヘルスやオイル・ガス関連テクノロジーをもっと増やしたいと注力しました。」

「イスラエルとメルコスール(MERCOSUR:ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ)との間にはFTA(Free Trade Agreement)があるので、これが貿易促進のための重要なツールなのです。FTAの合意は2010年に有効になり、毎年徐々に関税が下がっていきました。今は、イスラエルからブラジルに輸出するものの殆どに税金がかかりません。ブラジルの輸入税は比較的高く、ラテンアメリカ諸国以外の国(エジプトを除く)とはFTAがないため、イスラエルの持つアドバンテージは大きいのです。」

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