イスラエルでは毎年1000社を超えるスタートアップが生まれると言われます。その多くに、Talpion(タルピオン)と呼ばれるエリートたちが何らかの形で関わっていることをご存知でしょうか?

スタートアップ大国イスラエルを支える タルピオットプログラムとは
(画像=ISRAERU)

日本でも良く知られるようになりましたが、イスラエルの若者は、男女を問わず18歳になると男子は3年間、女子は2年間兵役につきます。彼らは、健康状態や適性を評価するためのIDF(Israel Defense Forces:イスラエル国防軍)のテストを受け、それぞれに適した部隊へ配属されますが、そのときに、応募者の中から特別優れた資質の若者が最終的に約50名選抜され、3年間技術エリートとなるためのタルピオットプログラムという研修を受けます。

その選抜過程はとても厳しく、前記のIDFの試験に加えて、創造性のテストやグループ討論、面接等、単に学力的な能力だけではなく、グループで働く協調性や、国のために貢献する使命感など、様々な角度でその資質が評価され、選別されます。最終的に選ばれた50名は、ヘブライ大学で3年間、物理、数学、コンピュータサイエンスを徹底的に学びます。通常4年間かけて学ぶ内容を3年間で、しかも3つの科目を修得するわけですから、その負荷の大きさが想像できるのではないでしょうか?

スタートアップ大国イスラエルを支える タルピオットプログラムとは
(画像=ISRAERU)

3年間の徹底した教育で彼らは技術エリートとして育成され、卒業後は安全保障関連技術の開発に従事する責務を担っています。特に教育に関しては公平・平等を旨とする日本では、一部の人間だけを選抜してエリート教育する、という考え方はなかなか理解されないかもしれませんが、このプログラムが生まれるには、厳しい背景がありました。

プログラムの生まれた背景

イスラエルは1948年に建国されましたが、常に敵対するアラブ諸国との対立の中にありました。第一次から第三次までの中東戦争ではイスラエルは比較的優位に立ち、アラブ諸国に対して軍事的な勝利を収めてきましたが、1973年に起こった第四次中東戦争では、ヨム・キプール(贖罪日)という祝日に奇襲を受けたこともあり、初戦で大敗を喫しました。その後体制を立て直すとともに、米国の支援も得て戦局を持ち直し、停戦が成立したときには逆転勝利とも言える結果をおさめています。

しかし、この初戦大敗はイスラエルの人々の大きな挫折となりました。この挫折経験を踏まえて二人のヘブライ大学の教授が立ち上がり、少ない人口や小さな国土という「量」ではアラブ諸国に見劣りするイスラエルは、優れた技術という「質」でその劣勢を補うべき、と考え、それを可能にする技術エリートを育成するプログラムを提唱したのです。

Mount Scopus campus, Hebrew University Jerusalem
(画像=Mount Scopus campus, Hebrew University Jerusalem)

(photo by: Wikimedia Commons)

しかし、その提案はすぐにはIDFに受け入れられませんでした。例えば、戦闘機のパイロットには、体力だけではなく、高度な機械を操縦しながら瞬時の状況判断をするという能力も求められます。即ち、従来は兵役年齢の若者の中でも、心身ともに優れた人材は空軍に採用されるのが通例でした。しかし、タルピオットプログラムができると、それらの人材がプログラム研修生にまわってしまい、空軍が採用しにくくなります。そのため、空軍はプログラム導入に反対したと言われます。また、金持ちの家庭に生まれようが、貧しい家庭に生まれようが、18歳になれば等しく経験する兵役は、イスラエルでは誰にも平等に訪れる役務ですが、タルピオットのようなエリート教育は、その平等性を阻害するものだ、という反発もIDFには有ったと聞きます。

そのような中で、二人の教授は関係者を地道に説得し、1979年にプログラムをスタートをさせることができました。

プログラムの内容

冒頭述べたように、選ばれた研修生たちは3年間ヘブライ大学で学びます。大学の1年間は前期18週と後期18週とからなり、アカデミーコースとして3教科の勉強をします。並行して、研修生同士が様々なテーマで互いに教え合う日本のゼミのようなプログラムや、テーマ・目標を定めて、3年間で技術開発を行うテクノロジー・ハンズオンというプログラムもあります。このテクノロジー・ハンズオン・プログラムは、開発目標を自分たちで定め、そのための予算、実行計画を自ら設定し、3年間でチームで協力して具体的な成果を作り上げる、いわばベンチャー企業の製品開発のようなプロセスそのものです。迎撃システムとして有名なアイアンドームも、このタルピオット研修生のテクノロジー・ハンズオン・プログラムから生まれたそうです。

また、前期と後期の間、夏に10週間、冬に3週間、研修生はIDFの訓練に参加します。この期間、研修生はイスラエル中のIDF部隊をまわり、他の兵役従事者同様の訓練を受け、戦車を操縦したり、パラシュート降下訓練を体験したりします。これらの経験を通して、研修生は自ら現場の課題を理解し、将来の技術開発に活かすことが目的だそうで、3年間の中で最も重視されている内容とされています。現場の部隊にとっても、タルピオット研修生は単なる優遇されたエリートではなく、現場の抱える課題を技術で解決してくれる人材であるということを理解できるので、現場との相互理解に役立つプログラムになっています。通常の兵役では、男子と女子は訓練内容も配属も異なりますが、タルピオットプログラムでのIDF訓練には男女の区別はなく、パラシュート降下なども同じ内容をこなすそうです。現在約3割は女性ということで、ジェンダーの差なく能力のある人材を育てるプログラムになっています。

ただ、選ばれた研修生全員が卒業できるか、というと必ずしもそうではなく、この厳しい訓練をやり遂げるのは約半数と言われています。途中でドロップした研修生は、残りの期間通常の兵役に従事します。イスラエルでは挑戦して失敗したことは尊ばれる文化であり、ドロップした研修生が不利益を被るようなことはありません。

卒業生たちの活躍

3年間の研修を終えた者たちは、その後6年間IDFの各部隊で技術開発に従事することになり、それが彼らの兵役義務となります。彼らは各部隊から引っ張りだこのようで、その意味でもこのプログラムが成功していることが伺えます。2018年時点、卒業生は累計1074名で、彼らが冒頭述べたTalpionです。そのうち約200名は大学で教育・研究に従事していますが、残りは産業界で活躍しています。3年間の研修+6年間の技術開発業務で得た技術力と知見を元に、多くのTalpionが起業し、素晴らしい製品を世に送り出しています。その一部の企業のロゴをピックアップしました。

企業のロゴ
(画像=企業のロゴ)

同じ経験をしたTalpion達は結束力が強く、同窓会のようなネットワーク組織が作られているそうです。誰かが新製品の開発をしていて、難しい問題に直面した時、まず相談するのはこのコミュニティーメンバーだそうです。また起業して特定の技術分野の人材が欲しいときも、このコミュニティーに相談すれば適切な人材を紹介してもらえるようでした。つまり、イスラエルのイノベーションを支えているのは、このエリートたちのネットワークなのです。